ぼのぼのみたいに生きられたらいいのに

キム・シンフェ

本当の慰めは自分もそうされたくなるもの (2)

 仕事の関係で、普段からさまざまな人に会うことが多い。なかには、生まれてはじめて会うわたしに、ごく親しい人にも打ち明けにくいような話をする人もいる。「なんか変な話、しちゃいましたね……」と終わるディープな話を聞かされると、そのたびわたしはどうしていいかわからなくなり、大したことが言えない。知恵なんてあるはずないから気の利いた言葉も浮かばないし、相手の状況に共感して理解しようにも、情報が足りない。だからもう、バカのひとつおぼえみたいにこう言っている。「そんな……、大変でしたね」


 ところが、不思議なことにそういう何の足しにもならないような言葉でも、相手は慰めを感じるらしい。こちらが大したことも言えずにと恐縮すればするほど、相手の方はそう言ってもらえるだけで十分、とうなずいているんだから、わたしみたいなヤツ、下手に話なんかしない方が人様のお役に立つのかも。もっとも、立場をかえて考えてみると、やっぱりわたしだって、つらいときに慰められて一番記憶に残っているのは、それほど特別な言葉ではなかった。

 わたしは、つらいともらしたときにがんばってと返す人が苦手だ。大変な状況でにっちもさっちもいかなくなっているときに、「全部なんとかなるよ」と言える人は、何も考えてないなと思ってしまう。どうがんばればいいのかわからず、いつ頃なんとかなるかさえわからない人間に、そんな言葉は暴力になる。むしろそんなときは、「ええっ、そりゃ、頭くるわ」、「マジでムカつく」「よし、まずメシでも食おう」的な言葉の方が、ずっと心に届くだろう。

 とはいえ、目の前の相手が地獄を見てきたような顔で座っていれば、話は別だ。人生という荒波に溺れかかっている人に、なんとか気の利いた言葉を投げかけて、人生をドラマティックに好転させたいと思ってしまう。そういうとき、思わず口を衝いて出るのは、以前自分が言われてうんざりした言葉ばかり。相手がどう受けとめるかは二の次の、上から目線の助言や叱責、自分の苦労話を繰り返すことになる。


 ある日、ぼのぼのは「こまること」について考えこむ。ぼのぼのは突然お腹がすいたらこまるからといつも貝を持ち歩くほど、こまることをこまる前から心配している。そんな姿にアライグマくんは、後でこまればいいのになんで今こまるんだとツッコミを入れ、シマリスくんはといえば、当事者よりもっとこまって場を暗くする。だが反対に、スナドリネコさんはこんなことを言う。


 

  ぼのぼの 生き物は 絶対こまるんだよ

  生きてる限り 絶対 こまるんだよ

  こまらない生き方なんか 絶対 ないんだよ

  そしてこまるのは 絶対 おわるんだよ

  どうだ

  少しは安心してこまれるようになったか?

2巻・69ページ 


 苦しんでいる人にとんでもない解決策を押しつけたくなるのは、本人が苦しむのと同じくらい、そういう人を見守ることもつらいからだろう。早く問題が一件落着して、一緒にころころ笑いあいたい。もうこれ以上、重苦しい話は聞きたくない。せめて自分の周りくらい幸せな人ばかりであってほしいし、自分もそのエネルギーにひたって生きていたい……そんな勝手な思いが、慰めなければならないときにズレた行動をとらせてしまう。そして、自分と違う人間には自分と異なる考えなり、気持ちがあるということが、きれいさっぱり頭から抜けてしまう。

 しかし、スナドリネコさんは小心者で心配性のぼのぼのにぴったりの慰めを口にする。どうせこまるなら気持ちを楽にしてこまれ、いつかはこまることだって終わるんだからと、思いっきり悩める時間を用意してくれる。こまるのが趣味みたいなぼのぼのにとって、これ以上しっくりした慰めがあるだろうか。


 心理学に「シロクマ実験」というものがある。被験者を二つに分けて同じシロクマの映像を見せる。ただし、一方のグループには今後一切シロクマのことは考えないように言い、もう一方の被験者にはなんの指示も出さない。さあ、実験の結果、シロクマについてより多く考えをめぐらした方は、どちらだったでしょう?

 結果は、考えてはいけないと言われたグループの方が、より詳細にシロクマのことを記憶しているというものだった。考えるなと言われれば言われるほどしじゅう思い出し、忘れようとすればするほど記憶に刻まれる。それは、考えないようにしよう、忘れようという努力自体が不自然なものだからではないだろうか。同様に、心配している人に心配するなと言い、こまっている人にこまるなと助言することは、いっときの安心にはなるかもしれないが、心のこもった慰めにはならないと思う。

 相変わらず、わたしは上手な慰め方がわからない。ただ少なくとも、これだけは決めた。誰かを慰めるときは、自分という人間の器を振り返ること。わたしは気の利いた言葉がかけられる人間じゃない。同じような経験もない。それでも、あなたが苦しんでいるのを見ると心が痛む。そのことだけ伝われば、十分なのかもしれない。それが沈黙であれ、ジョークであれ、じっと耳を傾けることであれ、自分が慰められたときのことを思い出そう。今までで一番慰められたのは、ただじっと、話を聞いてもらったときだ。本当の慰めって、自分がそうしてほしくなることだと思う。

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