ぼのぼのみたいに生きられたらいいのに

キム・シンフェ

第一章 / 本当の慰めは自分もそうされたくなるもの (1)

 何年か前、ツイッターにかなりはまっていた頃に、ある風変わりなbotを見つけた。


  春の一番いいところは 春が来ることだ


  どんな理由でも必ず消えるものさ

  理由が消えたんなら おまえはもういつでも戻ってこれるはず

  さあ この森に戻ってこい


  スナドリネコさんには趣味がある。

  趣味って、よく考えるとへんだ。

  ひょっとしたら、趣味のないひとが、ほんとの大人かも。


 あるときは臆病な子供みたいに。またあるときは、考えることに疲れてしまった大人みたいに。ぽんと、放りだされた言葉たち。けれど、そっと何度かつぶやけば、まるで生きられるだけ生きた八十代の老人のつぶやきみたいにも思えてくる。いずれも、マンガ『ぼのぼの』に出てくるセリフだという。もう少し読んで、そのbotをフォローした。わたしとぼのぼのは、そんなふうにして出会った。

 ツイッターに続けてマンガを読み、アニメも一気見した。最初は、そのスローなテンポや、たまにイラッとする展開に、これっていったいどういう作品なのかと首をかしげることもあったが、やがてぼのぼののことがわかってきた。

 ぼのぼのは小心者。心配ばっかりしている。仲間が大好き。得意なことはあまりない。おやおや? これって、わたしみたいでは。自分でずっと短所と思ってきた部分に似てるんですけど。

 ぼのぼのは、小心者だからこそ、臆病者がどんな気持ちになるかわかっている。心配性なぶん、心やさしい。仲間は大切だと知っているから、誰かがどんなにめんどうくさい真似をしても、そんなもんかなと受け止める。もともと得意なことがあまりないので、やってみたいことができたらバカみたいにひたむきにがんばる。そのくせ、そんなことなかったみたいにきっぱりあきらめたり、忘れてしまう。


 最初はもどかしかったのに、親近感が生まれると、「ぼのぼの似のわたしも、捨てたもんじゃないかも」と思うようになった。イマイチだとばかり思ってきたけれど、自分にもいいところ、あったりして。そうなのかな。そして気がつけば、すっかりぼのぼのに夢中だった。周りをみわたせば、似たような人が何人もいた。ぼのぼの好きはほとんどが平凡で、でも、どこかクセのある人たちだった。わたしと同じように。

 大きすぎる夢なんか持たず、ただ黙々と日々を生きる人。立派な趣味より居心地のよさを大事にする人。小さい頃夢みていたのとはかなり違う人生になったけど、でも挫折ばかりだったわけじゃない人。強く求めていた何かを、努力してもうまくいかないことはあるんだとあきらめられる人。自分の笑いや涙や溜息と同じだけ、他人の笑いや涙や溜息にも、耳を傾けられる人。ときどき、全然やる気がなさそうで、ダルそうにも見える人。わたしたちはみんな、そんな人間じゃないだろうか。上手に生きられているかはともかくとして、どうにかこうにか生きている、そんな誰かじゃないだろうか。


 ぼのぼのと出会ってから、世界が少し違うふうに映りはじめた。いつもツンツン尖っていた心の片隅に、やわらかな芝生が芽を出したような気分。誰もがみんな違っていて、たまにまったく理解不能な人にも出会うけれど、でも、みんな各々のベストを尽くして生きている。自分のこういう生き方に理由があるように、誰かのそういう生き方にも理由がある。そう気づかされた。理解できない人を、無理に理解しようとしなくていいとも教わった。理解したってしなくたって、これからもわたしたちは、それぞれが一番いいと思えるやり方で、生きていくんだから。ぼのぼのと仲間たちがそうであるように。

 わたしたちの周りには、ぼのぼのと仲間たちみたいな人間がきっといる。あるところにはシマリスくんのように、外見は平凡だけど心のなかに光る石をひとつ抱いて生きる人が。またあるところにはアライグマくんのように、悪口を言ったり意地悪したりする以外気持ちが表せない、でも、友情や愛情には誠実な人が。さらに別の場所には、ぼのぼのと同じように、たえず悩んだり心配して一日を過ごしているけれど、一つぐらい、自分をいとおしむすべを持っている人が。きっと、いるはずだ。


 いつか出会えたら、わたしたちはお互いに気づくだろう。いろいろ文句を言いあいながらも、結局はお互いを好きになるだろう。だって、ぼのぼの好きにクセのある人はいても、悪人はいないから。わたしみたいに、あなたみたいに、そしてぼのぼのみたいに。わたしたちはちょっと変わっているかもしれないけれど、悪い人間ではないのだから。


春らしい春の日に        

キム・シンフェ 

 生きていれば、慰めが必要な瞬間はところかまわず訪れる。でも相手をちゃんと慰めることができたのがいつかは記憶が曖昧だから、ほとんどは「慰めようとしたのに、慰められなかった」ケースなのだろう。逆に、これまで無数の慰めを受けて生きてきたけれど、心底慰められたと思える瞬間は数えるほど。「慰められたのに、慰められなかった」みたいな感じだろうか。

 慰める、という行為は、ほとんどが当初の目的を達成できずに、横道にそれてしまう。一生懸命背中をさすっていたはずが、気がつけば偉そうなことを言っていたり(「世の中にはもっとつらいこと、いっぱいあんのよ。生きるってそもそも大変なのよ」風)、必死に話を聴くあまり、結局は説教調になったり(「ねぇ、もういいかげん愚痴はやめようよ。うんざりだわ。勘弁して」風)、逆に、自分の苦労話をしていることもある(「あんただけじゃないよ。あたしだって大変だったんだから。ううう……」風)。人間関係とは相手を思いやり、いたわって築いていくもののはずが、いざというとき相手を満足に慰めもできないままに、わたしたちは人間関係を作って暮らしている。

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