若き皇帝は虜の新妻を溺愛する

麻生ミカリ

第一章 (2)

「ええ、そうですわね。ですが、エレイン王女は縁談より先に健康になっていただきませんと。それまでは、我が国で大切にお育てしてまいりますからね」

 エレインは、すらりと背が高く手足が細い。離宮に暮らす理由として、体が弱いことになっているものの実際は健康そのものだ。けれど、色白で同年代の女性よりきやしやな体つきは、病弱と偽るには格好の的である。

「はい、おさま」

 ここで継母に口ごたえをすれば、周囲からなさぬ仲の母娘がどう思われるか、エレインは知っていた。

 それに、自分より先に義妹が婚約することを不快に思ったりはしない。ならば余計なことは言わず、うなずいて微笑ほほえんでいるのがエレインにできる理想的な対応だ。

「エレイン王女もこう申しておりますもの。陛下、リリーにすばらしい男性を選んであげてくださいましね」

 あれから一年近く過ぎたが、いまだに義妹が婚約するという話は聞こえてこない。

 ──もしかしたら、今日のお呼びはリリーの縁談に関するお話かもしれないわ。

 自分の縁談と言われるよりも、そちらのほうがずっと現実味を感じた。

 大陸内のどの国でも王族のみならず貴族や富豪は、早くから娘の嫁ぎ先を選別するものだ。場合によっては、生まれてすぐに結婚相手が決まっていることさえある。

 ──そういう意味では、ニライヤド帝国だけは違ったはずね。

 離宮から出ることはできずとも、家庭教師について歴史や地理を学んだエレインは、大陸内の様々な国の文化を知っていた。無論、それは書物から得る知識でしかない。エレインはヘリウォード王国から一歩も外へ出たことがないのだから。

 大陸でもっとも広大な国土を持ち、大国として名をせるニライヤド帝国は、王族が十八歳未満で結婚することを禁止している。理由は単純で、他国と姻戚による交渉をする必要がないためだ。

 それどころか、不必要な関係性の強化は多国間のあつれきを生み出すと懸念し、結婚できる年齢になる以前の縁談すら許されないという。

 だが、そこまで徹底した主義がまかり通るのも、ひとえにニライヤド帝国が強国であるゆえであり、それ以外の国では家と家との結婚によりさらなる繁栄を求めることが一般的だ。

 ──そういえば、先ほどの『壁新聞』というものにニライヤド帝国の名前が見えたような気がしたけれど……

 遠目に眺めただけなので、詳細はわからない。大国ニライヤドに何かあったのだろうか。

 ニライヤド帝国、またの名を絶対帝国ニライヤド。

「……まさかね」

 あの国にかぎって、『何か』はありえないのだ。それほどまでに、エレインの読んだどの書物にもニライヤド帝国を絶賛する言葉が書き連ねてあった。

 ──何も起こらないほうがいいわ。皆が幸せで、穏やかに過ごしていられることが何よりのぜいたくなんですもの。

 エレインは静かに目を閉じた。

 馬車は、ひづめの音を響かせて石畳を行く。

 その音に耳を澄ませる。どこかから聞こえてくる子どもの声。あれは女の子だろうか。楽しそうな笑い声に、エレインは小さく笑みを浮かべた。

 中央宮殿に、孤独の王女を送り届けるため、馬車は城下を走りつづける。


    ◆ ◆ ◆


「──お父さま、今なんとおっしゃったのですか?」

 赤いじゆうたんの敷き詰められた謁見の間で、エレインは紙のように白い顔で父王を見つめた。

 やりを手にしたかつちゆう姿の兵士が左右の壁を隠すほどに立ち並び、正面の数段高い玉座に座った国王ランバートは威厳ある表情でせきばらいをする。父の隣には、すまし顔の継母が羽扇で口元を隠しているが、そのまなざしはどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。

「我が国の武器商人が、ニライヤド帝国にて投獄されたのだ。皇帝夫妻を殺害した反逆軍と協力体制にあったと聞く」

 哀れな第一王女に向かって、ランバートは先ほどより言葉をくだいて説明を繰り返す。

 それは、三日前のこと。

 絶対帝国ニライヤドの皇帝と皇妃が暗殺された。それだけでも信じられないというのに、皇帝夫妻を手にかけた反逆軍に、ヘリウォード人の武器商人が関わっていたというのである。

 ──ああ、先ほどの壁新聞に書かれていたのはこの事件だったのだわ。

 けれど、ニライヤドの皇帝夫妻が殺害されたというだけならばエレインにはなんら関係のない話だ。彼女は離宮で軟禁生活をする身の上、他国で何が起ころうともエレインの日々に変わりはない。

 それでも。

 見も知らぬ皇帝夫妻の無念の最期を思って、エレインは心痛に唇をんだ。

 なんたるむごいことを。

 そう思う反面、皇帝夫妻にやいばを向けることでしか活路を見出すことのできなかった者たちの苦しみに顔を上げていられない。

 反逆軍は、捕まり次第極刑を科されるのだろう。彼らはそうと知っていてなお、自国の皇帝を討ったのか。

 細く息を吐いて心を落ち着かせようとするエレインの耳に、低い男性の声が聞こえてきた。

「王よ、ここから先は私が代わろう」

 兵士たちに囲まれて立っていた、長身の青年がマントを払うようにして右手を横に出す。まるで、国王の言葉を遮るかのような仕草だ。

 年の頃は三十前後。黒髪に黒い瞳の、屈強な男性である。肩章の紋章から見るに、彼はニライヤド帝国の皇族に違いない。深く刻んだ眉間のしわが、の帝国の悲劇を物語っていた。

「我が名はトバイアス・ロード・ニライヤド。亡き皇帝のおいにあたる者だ。たびは皇帝代理として貴国に参じている」

 トバイアスは鋭い眼光でエレインをひとにらみすると、ヘリウォードの王を軽んじているのを隠しもせず、玉座の前に堂々と立つ。

 両手を長剣の柄に載せ、さやに収めた剣をつえのように体の前についている。

「お初にお目にかかります。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません。ヘリウォード王国第一王女エレイン・ヘリウォードでございます」

 ドレスの裾を両手でつまみ、エレインは王族の娘らしく会釈をした。しかし、長い裾で隠れて見えはしないだろうが、彼女の両脚は小刻みに震えている。

 目の前に立つこの男が──トバイアス・ロード・ニライヤドが、心の底から恐ろしかったのだ。

 エレインは幼いころから離宮に暮らしていることもあって、大人の男性と接することが少ない。皆無に近い。父と話すときですら緊張するというのだから、初対面のトバイアスを前にして震え上がるのも当然だ。

 おびえる心を奮い立たせるのは、自分がこの国の王女であるというきようだった。無様な姿をさらせば、父に恥をかかせることになる。それどころか、ヘリウォード王国の名に泥を塗りかねない。

「なかなか気概のある王女とお見受けした。王よ、ヘリウォード王国が差し出すのはこのエレイン王女で相違ないな?」

 トバイアスはにやりと口元に笑みを浮かべ、背後に座るランバートに視線だけを向ける。

 ──ヘリウォード王国が……差し出す……!?

 途端に、エレインの背筋が凍りついた。

 まさか、そんなことがあるものか。いかに自分が役立たずの王女だからといって、もののようにやり取りされるなど、あっていいはずが──

「相違ありませぬ。我が娘、エレインを此度の事件の真相が究明されるまで、ヘリウォード王国の誠意として貴国に滞在させますことをお約束いたします」

 これほどまでにへりくだった父の言葉を聞いたのは、生まれて初めてのことだった。絶対帝国ニライヤドを敵に回せば、ヘリウォード王国とてただでは済まない。否、それどころか存続が危ぶまれる。

 けれど。

 実の父が、自分を人質として他国に差し出そうとしている現実を、エレインは絶望的な気持ちで聞いていた。それ以外のことは、何も考えられない。

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