若き皇帝は虜の新妻を溺愛する

麻生ミカリ

第一章 (1)



   第一章 囚われの王女



「号外! 号外だよ!」

 石畳を走る馬車のなかで、エレイン・ヘリウォードは男の声を聞いた。王国の中心にある中央宮殿へ向かう道中のことだった。

 四角い窓のカーテンをそっと手でよけて、エレインは外の様子を確かめる。あかれんの大きな建物の前にひとだかりができ、帽子を被った男ふたりが外壁に何やら大きな紙を留めているところだった。

「メリル、あれは何をしているのかしら」

 同乗する侍女長のメリルに声をかけながらも、エレインの目は遠ざかっていく人混みに向けられたままだ。

「あれは壁新聞というものです。主に王家からのお達しを紙に書いて張りだし、せいへの周知を行うのですが、何か事件があったのかもしれませんね」

「壁……新聞……」

 そうねんに近い侍女長は、エレインの暮らす北の離宮で生き字引と呼ばれている。幼くして母を亡くしたエレインに、家庭教師が教えてくれる学問とは違う世の決まりごとを教えてくれたのもメリルだ。

 四頭立ての馬車が、軽く左右に揺れた。それを機に、エレインはめくっていたカーテンを元に戻す。いつまでもカーテンの隙間から外をのぞいているなど、淑女のすることではない。

 花の香りのする羽扇を口元にあて、彼女はそっと目を閉じた。

 こうして外出するのは、いつぶりのことだろう。

 ──前回馬車に乗ったのは去年のリリーのお誕生日だったわ。

 ヘリウォード王国第二王女であるリリー・ヘリウォードの誕生日を祝うため、国内貴族はもちろん近隣諸国の王族や使者たちが集まった会場に、エレインも一応招待を受けた。

 一応とつけたのには理由がある。本来ならば、エレインがその場にいるのは当然のことなのだ。なにしろ、エレインこそがリリーの異母姉であり、この国の第一王女なのだから。

 エレインの母フェリシアは、王国内の男爵の娘だった。裕福とはお世辞にもいえない貧乏男爵の家に生まれながら、母は卓越した美貌の持ち主だったという。父である国王ランバートは、枢密院の反対を押し切ってフェリシアをきさきに迎えた。

 しかし、母はエレインが二歳になるより前に病で急逝し、息子のいなかった父はすぐに隣国から王女をめとることになったのである。

 継母は、亡き母によく似た美しいエレインをひどく嫌った。母譲りの黒く艶のある直毛は、大陸内ではとても珍しい。それが継母には気に入らなかったのではないか──とは、のちに侍女たちがうわさしているのを聞いて知ったこと。当時のエレインはあまりに幼く、なにゆえ自分が継母から敬遠されるのかなど知る由もなかった。

 その後、父と継母の間にはエレインより三歳下の異母妹リリーと、七歳下の異母弟カナンが生まれた。

 だが、エレインはカナンと直接話をしたことがない。異母弟の誕生と同時に、北の離宮をあてがわれたのである。わずか七歳にして、エレインはたったひとり、国のはずれにある古い城で暮らすこととなった。

 それから十年余りが過ぎ、エレインは十八歳の美しい女性となっていた。

 白磁を思わせる透き通った白肌に、夏空を溶かし込んだ青い瞳、母譲りの黒髪を結い上げると清廉な印象が増す。りんとした容姿のせいか、少し冷たい印象の美貌ではあるが、エレイン自身は離宮育ちなこともあって世間知らずのきらいがある。

 とはいえ、彼女は自分が世間知らずだということを認識しているため、たまの外出の際には周囲に気を配り、つとめておとなしく過ごしていた。

 それも相まって、ヘリウォード王国の第一王女は神秘的な美女とひそかな噂を呼んでいる──のは、さすがにエレインの耳に届くところではない。

 ──馬車というのは不思議なものね。座っているだけで、北の離宮から中央宮殿まで移動できてしまうんですもの。

 羽扇で口元を隠しながら、エレインは小さくあくびをころす。中央宮殿に住む父からの呼び出しに緊張して、昨晩はなかなか寝付けなかったのだ。

 幼いころ、なぜ自分だけがひとりで北の離宮で暮らさなければいけないのか、酷く悲しく思ったこともあった。だが、成長するにつれてエレインにも大人の事情がわかるようになってくる。

 現王妃である継母にとって、前王妃の忘れ形見のエレインは好ましい存在ではないのだろう。まして、エレインは年々亡き母に似てきているとメリルは言う。なさぬ仲とは、さぬなかと書く。おなかを痛めて産んだリリーやカナンの将来を思えばこそ、継母はエレインを第一王女として扱うことに抵抗を覚えるのかもしれない。

 年に一度か二度、異母弟妹の誕生日の催しに招待される程度のエレインに、継母は冷たくあたった。

 ──けれど、そんなことも三百六十五日のたった一日か二日ですもの。

 本来、王家に生まれた者は王族としての公務がある。離宮に育ったエレインは、そうした行事に参加したこともなければ、他国への訪問の経験もなかった。対外的には、体の弱いエレインを北の離宮で静養させているということになっているため、公務を割り当てられることがないのだ。

 美しいさかりを、エレインは毎日代わり映えなく生きていた。

 寂れた丘の上にある北の離宮は、まさにエレインを閉じ込めるろうごくと呼ぶべき代物だ。

 勝手に外出することも許されず、せいぜいが城の中庭を散歩するぐらいの日々。それでもエレインは不自由も不満も感じていない。数人の侍女と使用人、二年前までは家庭教師も住み込んでいた。寂しさとは、ひとりぼっちだから感じるものではなく、自分がひとりだと知ってしまったときに襲いかかってくる。

 ──わたしは、ひとりではないわ。メリルがいて、侍女たちもいる。だから、ひとりだなんて思わないようにしなくては。

 悲しいのは、エレインが自分を孤独ではないと考えるときにそばにいる人間として挙げる相手が家族ではないということだが、彼女はそれに気づかない。いや、気づいていないのではなく、あえて考えないようにしているというのが正しいだろう。

 現国王ランバートの家族とは、継母とリリーとカナンなのである。そして、エレインの家族は亡き母のみ。

「……お父さま、いったいどのようなご用件かしら」

 長いまつを伏せて、エレインはほうと息を吐く。

 子どものころから、おとなしい娘だった。育ちによる部分もあるのだろうが、快活というよりは内向的で、小さな声で話す少女だったエレインは、十八歳になった今も羽扇で遮られてしまいそうな小声で話す癖がある。

 しかし、長年仕えてくれるメリルは、いつでもエレインの声を聞き取ってくれた。

「エレインさまもお年頃ですから、もしかしたら縁談ということもあるかもしれませんね」

 予想外の返答に、エレインは目をみはる。

 そう。

 通常ならば、十八歳にもなる王族の娘が婚約もしていないだなんておかしな話なのである。事実、母は十七歳で結婚して十八歳でエレインを出産した。継母も十九歳で嫁いできたと記憶している。

「縁談……わたしに……?」

 メリルに問いかけるというよりは、ただ困惑した唇の紡ぐにまかせたような言葉が漏れた。

 それというのも、父と継母の会話が脳裏によみがえったからだ。

 あれは、去年のリリーの誕生日祝いの席だった。

 継母は第二王女の十四歳のお祝いに、そろそろ縁談を考えてはどうかと父に打診したのである。

「ふむ、だがリリーに縁談をというのならば、まずはエレインの婚約者を考えるのが先であろうな」

 そう言った父に向かって、継母はキッと目をげた。

 だが、賓客の多い場である。王妃である継母は、すぐに表情を和らげてエレインに向き直った。

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