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エリート弁護士は不機嫌に溺愛する~解約不可の服従契約~

御堂志生

第一章 愛人契約 (2)

 介護士は専門の病院に入院させることを勧めるが、それには大きな問題がある。一ヵ月の個人負担金が二十万円以上もかかり、兄姉からの、月数万円の援助ではどうにもならない。

 事務所の規定によりアルバイトは禁止されていたが、夏海に選択肢はなかった。

 就職して五ヵ月、ちょうど夏が終わるころから、彼女は仕事が終業後の週五日、六本木のクラブでホステスを始めた。

 そのわずか二ヵ月後、彼女の勤めるクラブに聡が客として訪れたのだった。

『優秀で真面目な女性と推薦されたんだが……とんだ食わせ者だったな』

 とんでもない場所で顔を合わせてしまった翌朝、出勤するなり聡の部屋に呼ばれた。

 そして言い訳をする間もなく、夏海の鼻先に解雇通告が突きつけられたのだ。

『一週間以内に引き継ぎをして、私物をまとめるように。給料はそのときに清算する』

 聡は椅子に腰かけたまま、尊大な口調と侮蔑に満ちた視線で夏海を切り捨てた。

 遊び金欲しさか、それともカードローンでも抱えているのか、どちらにしても、法律事務所で働く人間にふさわしい状況ではない。

 聡にそんな言葉をぶつけられ、夏海は『申し訳ありませんでした』と頭を下げることしかできなかった。

 いっそ、上司である聡に事情を話してしまおうか、とも考えた。

 だが、話してどうなると言うのだろう。大学を出たばかりの夏海にこれ以上の給料など望めない。貸して欲しいと頼むにしても、いくら借りれば足りるのか見当もつかず、返す当てもないのだ。

 それに……淡い憧れを抱く聡に、母のことを知られたくなかった。

 病気の母を恥じるつもりはない。母は大事で、どんなことをしても面倒をみたいと思っている。

 だが……。

 就職してすぐ、聡はただの弁護士ではないと聞かされた。

 年商一兆円と言われる巨大企業、一条グループの長男──それが聡の隠された姿だ。だが、この事務所で一条グループの仕事は一切引き受けていない。彼は独自のルートを開拓して今の地位を築いていた。それだけでも充分、尊敬に値する人物だろう。

 一八〇センチ近くの長身で、脚は……よくもつれずにデスクの下に収まるものだと感心するくらいに長い。洋服は保守的でスタンダードな英国調のスーツが好みのようだ。上品でクールな容貌にピッタリだった。

 厳格を絵に描いて額縁に入れたような聡だが、たまに見せる穏やかな笑顔に、夏海はどうしようもなく惹かれる。その静かな微笑みは、彼の端正な顔をさらにチャーミングにした。

 夏海にとって聡は、それまで出会ったことのない完璧な男性だった。

 クラブに来たときも夏海以外のホステスは全員、彼の気を引くのに必死になっていた。

 こんな男性なら、お付き合いしてきた女性は片手では足りないくらいだろう。

 勝手にそんな想像していたが……事務所の同僚たちに聞く限り、聡の周囲に女性の影は一切なかった。

 夜は遅くまで残業し、長期休暇も取らず、日曜日も月に一度休むかどうか。クラブのような接待は他の弁護士に任せており、昨夜は急遽都合の悪くなった如月弁護士の代役だったという。

 自堕落な生活に陥るのに十二分の環境にありながら、仕事ひと筋で潔癖な男性。そんな聡の下で働けることは幸せだった。

 だが、自分のような立場の人間がこれ以上憧れを抱いても無駄なこと。

 夏海は何も言わず、仕事の引き継ぎと数少ない私物の整理を始めたのだが……。

 次の日の夜、事態は急変する。


 昼間より厚めにファンデーションを塗り、真っ赤な口紅を引いた夏海の前に、ふたたび聡は現れた。

『君の事情はすべてわかった。給料とは別に、毎月二十万を支払おう。条件はひとつだ、私の愛人になれ』

 彼はなんと一日で夏海のアルバイトの理由を探り当てたのだ。

 それも、父の死から母の発病、兄姉の家庭の事情から母の入院費用まで──すべての事情を把握していて、夏海は言葉もない。

『昼間は事務所で働き、たまに夜の相手をしてくれればいい。そんな怯えた少女のような芝居は不要だ。私に妙な趣味はないし、病気もない。月に数回、それなりに楽しませてくれ。時給に換算すれば、ホステスよりかなり得だろう』

 水割りを一気に飲み干し、グラスに残った氷をカラカラと回した。聡の仕草はどことなく苛立たしげだ。

 今夜、テーブルについているのは夏海だけである。無論、聡の希望だった。

『……お断りします』

『なんだと? 自分が何を言ったかわかっているのか?』

『一条先生。わたしはホステスとして接客をしているだけです。身体は売ってませんし、売るつもりもありません!』

 まさか、聡がこんなことを言い出すとは夢にも思わなかった。

 夏海はそのことに本気でショックを受けていた。

 そんな夏海の表情を気にする様子もなく、聡は無言でグラスを差し出す。夏海も黙って受け取り、二杯目の水割りを作った。

『すべてわかったと言ったはずだが……』

『おっしゃる意味がわかりません』

 聡はニヤリと笑い、

『君にその〝つもり〟はなくとも、ここのママは充分にその〝つもり〟のようだぞ』

 その言葉は夏海の胸に突き刺さった。

 聡の事務所をクビになり、生活費も稼がなければならなくなった。昼間の仕事が見つかるまで、クラブで働く時間を増やしたい。そんな相談をママに持ちかけたのだ。

『だったら、いいお話があるわ。横浜にある設備工業の社長さん……ほら、山田さんよ。あの人がなっちゃんのことを気に入って、お世話したいって。ちょっとお腹は出てるけど、優しい人よ。けちじゃないしね。なっちゃん、お母さんのことでいくらかかるかわからないんでしょう? そういう人に頼ることも考えておかないと』

 夏海が勤め始めたころから週二回はやって来る男性だ。若く見ても四十代だろう。

 それに、

『あの……ママさん。山田さんはお子さんがいらっしゃるんじゃ……奥様は?』

 夏海はてっきり再婚の話だと勘違いしていた。

『いやぁね。横浜にご家庭があるから、東京妻が欲しいんじゃない。しっかりしてよ、なっちゃん!』

 ママの返事は夏海には受け入れがたい現実だ。

 しかし、昼間の仕事が見つからず、さらに入院代がかかるようになれば……。

 言葉を失う夏海に、聡はため息をついて口調を変えた。

『悪かった。言い方を変えよう。これは契約だ』

『け、いやく?』

『そうだ。私は結婚に一度失敗した。二度とする気はない。だが、女はたいがい愛の言葉を欲しがり、結婚というゴールを求める。煩わしい感情抜きで、抱きたいときに抱ける女性が欲しい』

『それこそ……お金を出したら、欲しいときにそういう女性が買えるんじゃないんですか?』

『赤の他人と歯ブラシを共用するような真似はしたくない。君はどうだ?』

 例えは悪いが言いたいことがわかり、夏海は赤面する。

『君は司法試験に合格していることを履歴書に書かなかったな。親のことを詮索されるのが嫌だったんだろうが……』

 聡の言うとおりだった。

 母の病気が不採用の理由になったら、と思い……。教授には、家庭の事情なので自分から話す、と言い口止めした。

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