ぼくの手を借りたい。
第一章 想い出を喰らう樹 (3)
その光景をくすくす笑いながら見送っていた教授は、扉が閉まると同時に真顔に戻り、囁くように言った。
「お手並み拝見といきますか」
「まずは聞き込みから行くわよ」
由香は借りてきた資料を広げ、てきぱきとアンダーラインを引き始めた。
「直接、現場に行った方が早いんじゃないかと……」
「はぁ~っ?」
生意気言ったのはこの口ですかぁ。と言いながら由香が摘まんだのは健吾の右耳である。
「いたひ。ごめんなさいごめんなさい。ってかそれ、耳です」
「耳は口ほどに物を言いって言うでしょ」
それも言うなら目だよ、目。健吾はため息まじりにぼやいた。
「いい? いきなり現場に行って、とんでもない相手だったら責任持てる? あたし、まだ死ぬの嫌だからね」
言われてみればその通りである。強引なだけではなく、知恵も回るらしい。
「一軒目はここ。この家の奥さんが目撃したらしいわよ」
「すいませーん。奥様いらっしゃいますかぁ」
爽やかそのものの笑顔を一瞬で作り上げ、由香はインターホンに話しかけた。
「どちらさま?」
怪しんでいる様子を隠そうともせずに、その家の主婦が顔を覗かせた。
「あたし達、昆明館大学の学生なんですが、こちらの地域を研究中でして」
「忙しいから他あたってちょうだい」
取りつく島も無いとはこのことだ。
「あ、ちょっと待ってください」
由香がバッグを探った。困った時に使いなさいと言って、後藤田教授が渡してくれた袋があったのだ。
中を見ると、大小様々な小袋が入っている。
「なによこれ。ワラ人形セットってどう使えってのよ」
「あ、これなんかどうすか?」
☆取材で困った時用・秘密兵器
「ナイス」
喜び勇んで袋を開ける。
中身は後藤田教授の名刺であった。しかもにっこり微笑んだ顔写真付きだ。
「こ、こんなもん何の役に立つってのよっ!」
地面に叩きつけようとする由香を必死で制止し、健吾は奪い取った名刺を先程の主婦に見せた。
「責任者はこの人なんですが」
名刺を見せた途端、吊りあがっていた主婦の眉毛がハの字に下がった。
「あらぁぁん。ゴッチーじゃないのん」
「ご、ゴッチー?」
さすが、マスコミの露出が多いだけのことはある。後藤田教授は御家庭の主婦層にイケメン教授・ゴッチーとして知れ渡っているのであった。
その後も名刺のおかげで取材は楽々進んだ。
が、詳細が分かれば分かるほど、謎は深まっていくばかりである。
そもそも、祟ること自体がおかしい。
問題の樹は、町の商店街の中心に立っている。
話題にすら上らない単なる樹である。近所の年寄り連中が涼んだり、カップルが待ち合わせ場所に使うぐらいだ。
寂れはじめた商店街の再建にあたり、まずは道路の整備工事が始まったのだが、その行く手を阻んだのがこの樹である。
切り倒す以外の選択肢は無いのだが、作業が遅々として進まない。
近づくだけで重機が動かなくなる。作業員の怪我が絶えない。
見ると、樹皮に少女の姿が浮かび上がっている。時に睨み、時に絶叫する。
そのぐらいならよくある話なのだが、怖いのはその先だ。
現場には寝泊りできる仮事務所があり、地方から働きに来た作業員が利用している。
そのうちの数名が、記憶の一部分を失くしてしまった。
自分の名前や、職業、何故ここにいるか等は分かる。
消えるのは家族に関する記憶だけだ。
メールの内容に心当たりが無い。電話で話しているうち、食い違いが起こる。
約束していた土産、結婚記念日、子どもの誕生日ぐらいならまだマシだ。
酷い状態になると、今話している相手が誰だか分からないという者さえ出始めた。
触れる者を傷つけ、家族との想い出を食べてしまう樹。
心身両面で祟るという噂が世間に知れ渡り、作業を拒む者が続出し、とうとう工事は止まってしまった。
頭を抱えた施工業者が相談を持ちかけたのが、後藤田教授であった。
「さて。覚悟はいい?」
「よくないです。帰りましょう」
ビシッ
由香が平手で健吾の後頭部を思いきり叩いた。
乾いた音が青空に吸い込まれていく。
「ぼ、暴力反対っ」
「口で言って分かんなきゃ、いつだって手ぇ出すわよ」
問答無用。いよいよ現場確認である。
「やだなぁ……なんでこんなバイト引き受けちゃったんだろ」
ぼやく健吾と対照的に、先を行く由香は鼻歌を続けている。何の歌だか分からない。
歌が下手な人は、鼻歌も下手なんだなぁ。くだらない発見に感心する健吾の目は自然と、由香の後姿に吸いつけられる。
細い腰の辺りまで伸びた長い黒髪がサラサラと風に揺れる。
そう、黙っていれば、本当に美しい女性なのだ。
「それ以上見ると金取るわよ」
振り向きもせず、ドスの効いた声で由香が言った。
サトリの妖怪かよ。
声を出さずに健吾が唇だけを動かす。
「サトリの妖怪かよって思ったでしょ」
「ひぇぇぇぇっ! なんで分かった」
振り向き様に由香は健吾の耳をつかんだ。
「目は口ほどに」
「合ってるけど、つかんでるのは耳ですっ」
「るっさいわねっ!」
ストリート漫才を繰り広げながら、二人は商店街を進んでいく。
あまりにも夢中になっていた為、問題の樹を通り過ぎてしまった。
「西脇さん、今の樹がそうじゃないんですか」
「なにおうっ! あ。そうね。もっと早く言いなさいよ」
「ごめんなさい」
健吾は素直に謝った。生き残る術は心得ている。
新緑の季節にも関わらず、その樹は一枚の葉も茂らせていなかった。
樹皮も傷だらけだ。その全てが相合傘の落書きであった。
噂が広まった今では、木陰で休もうという物好きもいない。それどころか、付近を通りかかる者すらいない。
「これって何の樹かしら」
「桜ですね。ソメイヨシノ」
「うわ、植物オタ登場。僕ぅ、植物の名前には詳しいんですぅってか」
「いや、そこに看板が」
「……」
悔しそうに看板を見つめる由香の側で、健吾は声に出して読み始めた。
「このソメイヨシノは、初代町長が亡き妻との結婚記念日に植えたものです。そのことから、この樹は『永遠の愛を誓う樹』として親しまれてきました。愛する者同士の名前を相合い傘にして刻むと、来世でも結ばれると言われてます」
なるほどね、と健吾は頷いた。
「だからこうやって、相合傘を刻んでるわけですね。僕も刻もうかな」
言いながら健吾は、後頭部をかばった。平手が飛んでくると思ったからだ。
だが、いつまで待っても平手も手刀も来なかった。
どうしたのだろう。恐々振り向くと、凄まじい目つきで由香が睨みつけている。
眼力などという生易しいものではない。
そこら辺のヤンキー兄ちゃんなら、確実に座り小便レベルだ。
アメリカならX‐MENのメンバーになれるぐらいの眼差しである。
「すいませんすいません、とにかくすいません」
健吾が土下座するのも無理はない。
「黙って。動かないで。動くとやられるわよ」
動くとやられる──?
普通に暮らしていたら、そんな状況に遭遇する機会などありえない。
一ミリだって動いてたまるか。健吾は土下座の置物になった。
由香もまた、動きを止めていた。
彼女の鋭い眼差しは、樹に注がれている。
いや、正確には樹から浮きだしている少女にだ。
写真と同じ姿である。
少女は、由香を睨み返している。
虚ろな、それでいて強い想いを秘めた目だ。
その瞳が求めるものを探ろうと、由香は意識を集中した。
長年に渡る霊視能力の思考錯誤の末、彼女が見いだした技である。
もとより望んで身につけた技ではない。
幼い頃、彼女は霊と人間の区別が付かなかった。
何故なら、何の障害もなくごく自然に霊と会話ができたからだ。
「ぼくの手を借りたい。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
ジャナ研の憂鬱な事件簿
-
36
-
-
アポカリプス・ゲーム
-
15
-
-
JOKER GAME
-
21
-
-
JOKER GAME ESCAPE
-
18
-
-
人狼ゲーム BEAST SIDE
-
25
-
-
人狼ゲーム
-
39
-
-
人狼ゲーム CRAZY LIKE A FOX
-
23
-
-
人狼ゲーム PRISON BREAK
-
20
-
-
女子高生探偵 シャーロット・ホームズの冒険
-
119
-
-
人狼ゲーム LOVERS
-
22
-
-
人狼ゲーム MAD LAND
-
20
-
-
アクシキ事件簿 阿久根直樹は無慈悲に笑う
-
16
-
-
クロとシロの囲い屋敷
-
5
-
-
ぼくの手を借りたい。
-
7
-
-
虚ろなる十月の夜に
-
10
-
-
人狼ゲーム LOST EDEN
-
85
-
-
女子高生探偵シャーロット・ホームズの帰還 〈消えた八月〉事件
-
39
-
-
人狼ゲーム INFERNO
-
43
-
-
スクールカースト殺人教室(新潮文庫)
-
23
-
-
スクールカースト殺人同窓会(新潮文庫)
-
14
-