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クロとシロの囲い屋敷

寺川智人

八月八日

八月八日



 翌朝、僕は昭午の運転する車の後部座席で、眠気と戦っていた。

 車にはうといが、恐らくハイヤーに用いられているものと同じタイプだろう。塗装も艶やかな漆黒で快適な乗り心地。徹底した制震性と静音性、最新型のカーナビ。どこをどう見ても自家用車ではない。誰かを乗せるために設計された車だ。

 今朝昭午と交わした言葉は、玄関先での

「お迎えに上がりました」

「あ、は、はい」

 という、それだけだった。

 朝早すぎてまだ蝉は鳴き始めていない。エンジン音も車内には入り込んでこない。

 いたたまれない沈黙と適度な揺れ、そして快適な座り心地が眠気を誘う。

 眠気覚ましに外の風景へと目をやっても、ちょっと寂れた町並みが続くだけで、面白いものは何も無い。

 仕方なく、胸ポケットからスマートフォンを取り出す。

 画面には、昨日昭午から送信してもらった、シンプルな家系図が映し出された。この簡略家系図には、ファミレスで見せられた遺言書には記載されていなかったことがいくつか載っている。

 ひとつはそれぞれの年齢と職業。もうひとつは、遺言書になかったいくつかの名前だ。

 済氏の妻・千代と昭午の母・まつの両名は早世しているため、その名がなかったのだ。

 昭午の父・光昭は元弁護士とある。恐らくは昭午が跡を継いだのだろう。

 資産家である済氏の顧問弁護士を、二代にわたって担当している訳だ。

 彼らは済氏の代理人であり、執行を託された遺言書にその名がないのも頷ける。

 それに、存命者のいずれも僕よりも年上だ。職業もばらばらで、どんな人たちか、まるで想像がつかない。

 先のことを考えると、ものすごく気が重い。

 まあ、考えたところで仕方がない、か。

 結局僕は開き直って、睡魔に身を委ねることにした。

「着きました」

 昭午の声に、僕は慌てて飛び起きた。スマートフォンで時刻を確認すると、さほど時間は経っていないようだった。昭午が扉を開くと、わずかに緩い外気が車内に入ってきた。誘われて車を降り、あたりを見渡す。

 もやのかかった灰色の風景の中に、いくつもの棒がずらりと並んでいた。目をこらしてよく見ると、その棒は停泊しているクルーザーのマストだった。どうやら、ここはどこかのヨットハーバーらしい。

 昭午は車に施錠をすると、すたすたと歩き始めた。慌ててその後に続くと、彼はいくつかある浮き桟橋のひとつに降りた。

 浮き桟橋とは、文字通り海面に浮いた桟橋で、潮の満ち引きに合わせた動きが出来るようになっている。つまり吊り橋同様、いや、それ以上に良く揺れる。

 僕は手すりにつかまりながら、慎重に昭午の後を追った。彼は僕を振り返ることもなく、手すりにつかまることもなく、まるでアスファルトの歩道でも歩いているかのように歩みを進め、徐々に僕との距離が離れていく。

 しかし、不意に彼の歩みが止まった。

 そしてすぐそばに停泊しているクルーザーに向かって声を荒げた。

「あなた方、何をしてるんですか!」

 何が何だかわからず、僕は急いで昭午の元へ向かった。彼が冷ややかな視線を向けている先を見ると、ふたつの人影がクルーザーの甲板に立ち、ようやく薄れつつある靄の中から、僕と昭午を見下ろしているのが分かった。

 黒い影と、白い影のふたつ。

 ──彼らが遺言書に記されていた、便利屋のふたりか。

 何故かすぐにそう思った。

 いや、そう理解していた、と言った方が正しいかもしれない。

「何をしてるかって? 待ってたに決まってんじゃんかー」

 黒い影が、だるそうに答えた。

「いやいや、ボクたちが勝手に早く来ただけでしょう、クロ」

 白い影がやんわりと、黒い影をたしなめる。

 いつの間にか、すっかり靄がかき消されていたが、それでも甲板上のふたりは、影のように見えた。

「んで、そっちが例のモノカキのセンセイか?」

 黒い影がそう言って、僕をじっと見つめた。

 半袖シャツにスラックス、つぶれたホンブルグハットに靴、全てが黒で統一されている。シャツのボタンは二つ目まで外されていて、褐色の地肌が露わになっていた。

 クロ──彼があの遺言書に書かれていた便利屋の迎玄人だろう。

 物怖じしない態度に、便利屋というよりは探偵のようなコーディネート。名は体を表すと言うが、まさに名前通りの風貌と印象だ。

「センセイっぽくねえな。地味で普通すぎだ」

「クロ、初対面の人に対して失礼すぎだよ。磨けば光る感じだとボクは思うよ」

 白い影が、ぜんぜんフォローになっていないことを口にした。

 長袖シャツにチノパン、足元のスニーカーまですべて白。肌も透き通るほど白い。

 彼がもうひとりの便利屋、迎素人だろう。

 名前も服装も、そして印象も真逆のふたりだが、よく見ればその顔はそっくりだ。

 名字も同じであるし、恐らく双子なのだろう。

 それにしても、この場に似つかわしくないといえば似つかわしくない、似つかわしいと言えば似つかわしいふたりだ。

 あまりにも派手なその佇まいは、クルーザーと良く調和している。

 しかしあの遺言書の件にはまったく縁がないどころか、世界が違いすぎるくらいだ。

「えっと、彼らが、もしかして……?」

 念のため、あくまでも念のために、昭午に尋ねてみる。

「……仰りたいことはよくわかります」

 昭午はこちらに背を向け、彼らを見上げたまま、そう答えた。


 それから一時間ほどして、僕たちを乗せたクルーザーは出航した。サロンの内装は綺麗で、キッチン・トイレ・寝室まで完備されている。

 昭午によると、このクルーザーは済氏の屋敷がある孤島へと向かっているらしい。島の名前は……聞くのをすっかり忘れていた。

 えらく場違いな場所にいる、という緊張と、不規則な波の揺れが胃を刺激する。

 気分転換に甲板へと出たところで胃が悲鳴を上げて、大海原に盛大にぶちまけた。何も出てこなくなってもなお、何度も何度も胃が締め上げられる。

 にっちもさっちもいかず、仕方なく甲板に身を投げ出した。頬をなでる潮風と、熱い日差しが心地良い。

「だらしねえなあ」

 小馬鹿にした言葉とともに、頬に冷たいものが押しつけられた。

「うわっ!」

 思わず飛び上がると、黒いシルエットが僕の傍らに立っていた。

「ミネラルウォーターだ。飲みな。熱中症になるぞ」

 黒い影──玄人はそう言うと、水色の瓶を僕に投げてよこした。

 瓶は予想以上に冷えていて、思わず落としそうになった。

「えっと……クロトさんですよね。ありがとうございます」

 礼を言うと、玄人が笑った。

「かたっ苦しいなぁ。クロでいいって」

 恐らく二十歳前後だと思うが、にっと笑ったその顔はより子供っぽく見えた。潮風に揺れるつややかな銀色のポニーテール。そして宝石のように紅い瞳。カラーコンタクトだろうけど、必然性がよくわからない。

 不意に、その紅い瞳がぐっと迫った。

「どうした?」

「え、いや、あの」

 鼻先が当たるか当たらないかの距離。

 はじめての距離感に、何だかいたたまれない気持ちになる。

 しかし彼はまったく動じることなく、顔を近づけてくる。

 僕は……視線を逸らすことが出来なかった。

 時間が──止まる。

「なんなら、口移しで飲ませてやろうか?」

「えっ……?

 予想外の言葉に、どう応えていいか戸惑う。

 次の瞬間、ドンッ、という音とともに、彼が視界から消えた。

「縁クン、ご飯食べられる?」

 さっきまでクロがいた場所に、唐突に別の顔が現れた。クロの相棒、素人の顔だ。

 別の顔とはいっても、顔の作りはまったく同じなのだが、その似て非なる顔が今、目の前にある。

 潮風に黒い癖っ毛が揺れる。海よりも深く碧い瞳は、まっすぐこちらに向けられている。彼もカラーコンタクトを入れているのか。

 初対面の時にも思ったが、彼らは違和感の塊のような風貌であるにもかかわらず、単体では違和感を感じさせない。

 いや、完成されていると言っても過言ではない。

 その完成された顔を間近にして、僕はまた、瞳を逸らすことも、返事をすることも出来なくなった。

「なんだ、やっぱり覚えてないんだ」

「えっ?」

 覚えてないって……何を?

 再び、ドンッ、という音とともに、今度は素人が視界から消えた。

「痛いなあ、何するんだよ」

「シロ、そりゃあ俺の台詞だっ! 痛かったじゃねえか!」

 右側からクロの怒鳴り声が飛ぶ。

「まずは元気になってもらわないと。縁クン、お粥だったら食べられそう?」

 クロを無視して、シロが問いかけてきた。

「どうせ撒き餌になるだけだ。酔い止め飲んで寝てろよ」

「それくらいの常備薬はありそうだね」

「シロ、薬取って来いよ」

「キミが行きなよ」

 どちらも、自分が薬を取りに行くつもりはないらしい。

 よくわからないが、クロとシロは互いを牽制している。

「いや、もう、大丈夫だから」

 僕はゆっくりと立ち上がった。

 そのとき船体が大きく揺れ、バランスを崩した。船のへりまでよたよたと歩き、手すりにつかまろうとした。

 が、不意に何かを踏んづけ足が滑った。

 さっきもらったミネラルウォーターの瓶が、勢いよく甲板を転げていく。

 あっ瓶を踏んだのだ、と思ったときにはすでに、船から投げ出されていた。

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