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「極」怖い話 謝肉災

加藤一

居座り (1)

居座り


 二〇一三年の初春頃、夜ノ森氏は長年連れ添った奥方と離婚した。

 これまで二人で暮らした部屋も引き払わねばならない。早急に家探しが必要になった。

「離婚となれば、色々先立つものが必要になってくるので、正直新居にはあまり金は掛けられなかったんですよ」

 職場が変わるわけではないので、同じ市内で安上がりな部屋を探すことにした。

 不動産屋を回って、挙がった候補の部屋を何軒か見て回った。小綺麗な部屋、広い部屋ももちろんあったが、予算が心許ない。どうせ、この先は独り暮らしになるし、広さや新しさよりは、安さを優先したい。

 そう思って探した中に、ちょっとした出物があった。

「ここは掘り出し物ですよ」

 不動産屋の案内で内見した部屋は、四階建てのアパートの最上階だった。

 エレベーターはなし。階段のみ。

 不惑を過ぎた中年男には少々しんどい。

 だが、築年数はまだ浅いようで、建物の外観も内装も申し分ない。

 空き室があるのは四階だという。

「四階と言いますか、こちらのフロア全室空いてるんですよ。ですので、どちらのお部屋を選んでいただいてもいいんですけど、どうせなら一番いいお部屋をお奨めします」

 息を切らして、段を上がる不動産屋の後を付いていく。

 階段を上りきったところに、まっすぐな通路が伸びていた。

「こちら、通路の突き当たりにあるお部屋が角部屋になっていまして。見晴らしも日当たりも最高ですよ」

 通路に沿って何室かのドアが並んでいる。

 ドアを開けると、玄関がある。

 室内に入るとき、人の気配があった。

(ああ、他の内見客がいるのかな)

 三人位。家族連れかな。

 ダイニングの他に二室あり、思っていたより広い。これなら三人位の家族なら暮らせなくもない広さだろう。

 リフォームは随分前に済ませてあるのか、室内は綺麗に磨き上げられ、埃も手垢の付いた様子もない。

「こちらがユニットバス、こちらがダイニングで──」

 説明されながら室内を見回していて、ふと気付いた。

 不動産屋はこの部屋に入室するとき解錠していた。それ以前、部屋には鍵が掛かっていた。他の内見客がいたなら解錠されているはずだ。

 いや、玄関に靴があってもいいはずだが、今自分達が上がり込んできたとき、玄関に靴などなかった。

 いや、でも。確かに自分達以外に三人ほど人がいた、気がしたんだが……。

 気のせいではなく確信のようなものがあった。だが、鍵は確かに掛かっていたし履き物は他にない。

「……それで、こちらのお部屋なんですけど、実に掘り出し物で。今なら敷金も礼金もサービスさせていただいています」

 提示された家賃は、近隣の同じような間取りの部屋に比べて四割ほども安い。

 この安さ、この広さ、そしてさっきの「三人分の気配」。

(──ははあ、出るな?)

 不動産屋が掘り出し物、と奨めてくるような部屋だ。何かの曰くがあるのだろう。

 だが、やたらと安い家賃と明らかな三人の気配にも拘わらず、部屋に関する曰くのようなものは何一つ説明されなかった。隠している様子はなく、本当に何もないのか、それともこの不動産屋は何も知らされていないかのどちらかだろう。

 しかし、この安さは捨て難い。

 安いなら仕方がない。そう思えば、何かあっても我慢できそうな気がする。

 根拠があったわけではないが、いつまでも部屋を決めずにぐずぐずしているわけにもいかない。軽い気持ちで部屋を決めた。


 こうして夜ノ森氏は新居で暮らし始めた。

 昼間は朝から仕事に出かけ、夜は外で夕食を済ませてから帰宅。殆ど寝に帰る巣のようなもので、たまに弁当や肴を買って軽く晩酌する程度である。

 旧宅から持ってきた荷物もさほど多くないので、2DKの部屋が持て余すほどの広さに感じられたりもした。

 ──キシ……。

 住み始めてすぐ、音を聞くようになった。

 木材が軋む音、であろう。

「家鳴り、かな?」

 とも考えた。できればそういうことにしたいとも思った。

 だが、四階建てのアパートは鉄筋造りである。

 家鳴りというのは新築後一~二年ほどの築浅の木造住宅で、まだ馴染んでいない木材が温度差湿度差などから膨張収縮する、そのゆがみの過程で材が割れる音、と言われている。

 鉄筋のアパートで、それはない。

 フローリングをそろりそろりと踏む足音のように思えてもくる。

(外から何かの雑音が聞こえてくるのだろう)

 そう思い込むことにした。

 最初の一週間はこの〈音〉が続いた。


 二週間を過ぎた頃。

 深夜、目が覚めるようになった。

 早寝をしても、夜更かしをしても変わらない。決まって、二時を過ぎた位の頃に目が冴えて起きてしまう。

 そしてまた音が聞こえる。

 ──ココンッ。

 先週までの家鳴りめいた音とは違う。

 ノックである。誰かが玄関のドアを小さくノックしている。

 訪問者が来る時間ではないし、越して間もない新居の住所を知らせてある知り合いもあまりいない。離婚したばかりの四十男のねぐらに、平日の夜中に雪崩れ込んでくる輩もいまい。

 ──ココンッ。

 真っ暗な部屋の中、玄関を短くノックする音が小さく響く。

 ドアチャイムはあるが、それが鳴らされる様子はない。

 ノックは毎晩続いた。

 連夜、この音で目が覚めてしまう。

 音に気付いて目が覚めるのか、音と関係なしに目が覚めるのかは自分にも分かりかねたが、半端な時間に目覚めては寝付けずに寝返りを繰り返す暮らしは、どうにも疲れが溜まりやすくなる。

 二週間目の終わり頃、業を煮やして夜ノ森氏はノックの主を確かめようと思い立った。

 深夜、いつもの時間にノックが始まる。

 ──ココンッ──────ココンッ。

 この音が、少し間を置きつつずっと続く。

 ドアの向こうの〈来客〉に気付かれないようそっと布団を抜け出し、そろそろと玄関前に立った。

 玄関のドアにはドアスコープが付いている。

 三階に下りる階段から夜ノ森氏の部屋まで、直線で十メートルほどある。障害物はなく、通路の途中に並ぶ他の部屋には今も入居者はない。四階の住人は夜ノ森氏のみ。ここまで上がってくる者は、夜ノ森氏自身以外では彼に用事がある誰か以外考えられない。

 ──ココンッ。

 ノックが聞こえたのと同時に、ドアスコープを覗き込んだ。

 女がいた。

 階段を上りきった辺りに、女が立っていた。

 背が高い。二メートルはある。

 女はふらふらと揺れている。重心の定まらないひょろりとした竿かんとうのようにも思えた。

「だ……」

 言葉が出かけた次の瞬間、女は目の前にいた。

 ドアスコープにぴったりと貼りつくほど近くに立ち、

 ──ココンッ。

 と、ドアを叩いた。

 ドアスコープを覗き込んでいた夜ノ森氏の頭蓋に、直接響くほどの近さからノック音が聞こえてくる。

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