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覚醒兵士アレックス・ハンター クウォトアンの生贄

グレッグ・ベック

第二章


   第二章


     コネチカット州スタンフォード


 窓からしこむコネチカットの暖かい日差しを受けながら、エイミー・ウィアーは炭酸飲料をひと口飲むと、最新プロジェクトのデータから顔を上げた。黒い髪、淡いブルーの瞳、そしてその行動原理にスコットランド人の血が色濃くにじむ彼女は、商店主と船大工ばかりだった一族が輩出した最初の科学者だった。化石燃料合成の分野ですぐれた才能を示し、天然資源を大量消費する世界中の企業からつねに熱い注目を浴びている。すらりと背が高く、年齢は二十九歳。ふだんのまなざしは柔らかいが、ときとして相手を突き刺すほど鋭い視線を向けることがある。その仕草は友人たちから〝ウィアービーム〟と呼ばれ、ひとにらみで大学の小心な教職員はもちろん役員会のメンバーたちも黙らせることができたし、ここぞというときにはたいていそれで自分の要求を通してしまう。

 エイミーは炭酸飲料を飲み干し、同僚研究者のトムにそのひとにらみをくれた。

「むだだよ、エイミー。きみと視線を合わす気なんてない。朝っぱらから目がつぶれるのはごめんだからね」

 トムは自分のカップにコーヒーを注ぐ手を止めず、笑いながら言った。トムが彼女の視線に気づきつつも平静を装っていることは、エイミーにはお見通しだった。できれば今のうちに彼女の怒りを発散させて、そのあとで現地調査に気持ちよく送り出してもらおうという魂胆なのだ。音をたててカップをかき混ぜながらトムが続ける。

「それに、きみは高所が苦手なはずだ。わたしたちは南極大陸の氷床下にある極寒の洞窟にロープセイリングとかで下りないといけないんだよ」

「ほら、それだもの。正しくは〝アプザイレン〟とか〝ラペリング〟って言うのよ。〝ロープセイリング〟なんて言葉はないわ。それに高所については、ずっと昔にたまたま足がすくんだことがあるだけ。恐怖症じゃないわ」

 トムはわざとらしく音をさせてコーヒーをすすった。その背中を見つめながらエイミーは、それならこっちにも考えがあるわ、と声に出さずに言った。プリントアウトから小さな紙片を破り取って丸め、その紙玉を口に放りこむと、舌を使ってさらに丸くした。炭酸飲料のボトルからストローを引き抜いて口にあてがい、よく狙ってからぬれた弾丸を放つ。紙玉は狙いどおりトムのうなじに命中した。

「いてっ! こういうのは反則だぞ」

 トムが首の後ろを手でぬぐいながら振り向く。エイミーは椅子でにやにや笑いを浮かべながら左眉を上げ、下唇にくっついたストローをぶらぶら動かした。

 トムとはもう十年のつき合いになる。エイミーのいる大学とパイプを作りたい企業の命を受けて彼が派遣されてきて以来だ。当時のエイミーはひょろっとした十九歳の学生(父親は〝じゃじゃ馬〟呼ばわりした)でありながら、生物学と生分解現象の領域において能力を高く評価され、優秀な学者がひしめき合うこの分野でもひときわ目立つ存在だった。将来性は計り知れず、知性という最も価値ある人的資産を探し求める多くの企業がまるで磁石のように引き寄せられていた。トムには涙が出るほど笑わせられたし、冷淡な教授陣の誰よりも科学が人間味にあふれたものであることを教えてくれた。エイミーにとってトムは兄のような存在であり、今でも学生のころのように笑わせてくれる。彼が何年にもわたって何くれとなく面倒を見て、キャリア面でも道を示してくれたから、こうして世界で最も尊敬されている化石燃料生物学者のひとりになれたと言っても過言ではない。

 トム・ヘンツェンはGBR社(化石燃料とその探査・利用・合成、ひいては代替に関する地質学および生物学的な研究を専門にしている小規模な企業)で主任研究員を務めている。四十歳の彼は細身で背が高く、よく笑う。GBR社では研究者のあいだに和気あいあいとした雰囲気があるが、トムはその落ち着きと地球深部化石燃料生物学の豊富な知識によって自然とリーダー格になっていた。

 エイミーはトムのことが大好きだった。だが、こうした兄妹のような関係では、ときとして急に激しい衝突が起きることがある。今がまさにそれだ。トムは政府から緊急要請を受け、南極大陸へ向かう救助チームに同行することになった。プライベートジェット機が氷原に墜落し、氷床に大きな穴をうがったのだが、送られてきた初期データでは、地中深くに原油か天然ガスの可能性がある膨大な量の液体だまりが認められるという。もちろんそれはデータの異常かもしれないし、調査から採掘まであらゆる目的で南極大陸を訪れた国々(地球上で人類に荒らされていない最後の巨大な未踏地に貪欲な目を向けている)が廃棄物の不法投棄に使用した場所かもしれない。とはいえ、重要な何かである可能性もある。南極はつねに雪と氷におおわれていたわけではない。一億五千万年前にゴンドワナ大陸が分裂し始めたころ、極点付近に今の南極大陸が合体によって誕生した。そこには多種多様な恐竜が生存したことが知られており、植物の生態系は湿地に育つシダ類に支配されていた。年月の経過とともにこうした湿地が南極横断山脈内で石炭の堆積地となり、やがてそれが分解して地下の原油貯留層になったとも考えられる。

「でも、あなたは寒いのが大嫌いでしょ? それに野外作業も好きじゃないはず。わたしには地下洞窟であなたを手伝う資格が十二分にあると思うけど」エイミーは自分の声に懇願の響きが混じるのが気に入らなかった。トムが最適任者であるのはわかっている。しかし、現在のプロジェクトに十八ヵ月間もかかりきりの彼女には、いささか気晴らしが必要だった。降って湧いた南極行きは、まさに気分転換に打ってつけのように思える。

「エイミー、水曜日の役員会には誰かが出席して合成燃料生産のモデルの実現性に関するわれわれの結果について議論しないといけない。でないと追加予算は見込めないぞ」トムは忍耐力を最大限に発揮した口調で応じた。「役員会のメンバーを丸めこむことにかけては、わたしなんかよりきみのほうがはるかに上手じゃないか」

 トムが意図的におだてているのがわかり、エイミーは「そう? ありがとう」とおざなりに笑みを返した。

「一週間で戻ってくるよ。たぶん鼻風邪ぐらいはひいて」トムは荷造り作業から顔も上げずに言った。「向こうで電磁探査をおこない、炭化水素移動がおよぼす地表近傍の変質効果をマッピングしてくるつもりだ。その結果からきれいな3Dモデルを作成して、役員会のお歴々に見せよう」

「だったら、必ず色をたくさん使って、専門用語をなるべく減らして説明してね。そうじゃないと、叔母さんの編み物の図柄を見せたほうがまだ役員全員に理解してもらえるなんてことになりかねないから」エイミーは冗談半分に言った。難解なテーマをやさしくみ砕いて相手に理解させることにかけては、この業界でトムの右に出る者がいないとわかっている。「それから、おみやげは雪がいいわ」

「ペンギンを一羽持ち帰るよ。いや、二羽にしよう。一足分のスリッパができる」トムが言い、ふたりはそのばかばかしさに声をたてて笑った。

 エイミーの目はもとの柔らかな色に戻った。ラボよりもキャンパスによく似合うトムのユーモアセンスで、彼女はいつものように怒りを静められてしまった。トムのことだから、きっと寒いテントの中でコンピュータにかがみこんで時間をすごし、滞在初日の終わりには退屈してしまうだろう。

 エイミーは思った。次回こそはまちがいなく自分の番だ。

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