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覚醒兵士アレックス・ハンター クウォトアンの生贄

グレッグ・ベック

プロローグ


   プロローグ


     一五八七年 ロアノーク植民地


 エレノアは胸にヴァージニアを抱き、その愛らしいピンク色の寝顔にほほ笑みかけた。島で生まれた初めての赤ん坊。入植者たちはみなヴァージニアの誕生を祝福し、この新しい開拓地にとってよいきざしだと思った。

 ロアノーク島の晩春の日差しを浴びながら、新米の母親は暖かくて心地よい毛布にくるんだ赤ん坊に子守歌を口ずさんだ。


 エレノアの父親ジョン・ホワイトは、植民地の総督としてこの島でなし遂げた業績を誇りに思っていた。時代はまさに植民地政策の黄金期であり、英国は圧倒的な力を世界に見せつけて領土をさらに拡大しようとしている。一五八三年にハンフリー・ギルバートきょうがニューファンドランド島が英国初の海外植民地であることを宣言してから数年、今こうしてロアノーク島が新大陸ニューワールドアメリカで最初の植民地となったのだ。

 ホワイト総督は物資調達のためにやむなく英国に帰還することになり、その前に入植地の安全を確実なものにしておきたかった。ロアノーク島は南北に細長く、大陸本土と大西洋の不安定なアウターバンクス(ノースカロライナ州東岸沖に南北に連なる砂洲状の島々)にはさまれる形で浮かんでいる。周囲の海はてつくような海流によって水温が低く、不快な灰緑色をしているが、幸いにも島そのものは湿地と草地とオークの森からなるオアシスで、猟の獲物にも不自由しない。

 島の先住インディアンは概して友好的だが奇妙な集団で、ふだん臆病ともいえる態度を見せているかと思うと、入植者が森林内の特定の地域に近づいた場合などは攻撃的になり、大声で警告を発したりする。とはいえ、島内の決まった場所にいるかぎり、入植者たちがトラブルに見舞われることはなさそうだった。徐々にではあるがぎこちない交易関係も築かれつつあり、先住民は入植者たちにとって脅威にはならないだろうと、ホワイトは安心していた。

 ホワイトにとって最大の懸念は、大西洋で発生する暴風雨に対して入植地がぜいじゃくだと思えることだった。あまりにも海岸線に近い。赤ん坊も生まれ、とりわけ自分がこれから数ヵ月のあいだ留守にしなければならない以上、想定外のできごとで植民地が危険にさらされることが絶対にないよう手を打つべきだろう。

 ホワイトは小隊を組織し、荒天の際に避難可能な場所がないかどうか周辺地域を探索させた。すると、一週間もたたないうちに大きな洞穴を発見したという知らせがもたらされた。その洞穴は奥のほうから妙なにおいがするものの、内部は乾燥していて百名ほどの入植者を全員収容できるだけの広さがあり、人びとを嵐から守ってくれそうだった。ホワイトは洞穴内にみずだるをいくつも運び入れるよう命じた。準備作業を確認し、安全対策でほかにやり残しがないことを願いながら、ホワイトは英国へ戻る船に乗りこんだ。


 エレノアは居住地からほんの少し離れた小川に向かった。澄んだ流れのそばには柔らかい草地があり、彼女はよくこの場所でヴァージニアの小さな衣服を洗濯し、平らな岩の上に広げて乾かす。そこで若いインディアンの女性と初めて出くわしたとき、ふたりが友人になるのはごく自然ななりゆきに思えた。

 インカラ──それがエレノアの聞き取った名前だ──は毎日ほぼ決まった時刻に川岸に来ては洗濯や洗いものなどの雑事をこなしていた。最初はにこやかに手を振り合うだけだったが、ほどなく岸辺に並んで腰を下ろし、たがいの第一子を見せ合うようになった。ふたりとも相手の言葉を話せなかったが、同じ新米ママとしてどうにか意思を伝え合い、気持ちを通わせた。

 エレノアはショールを引き寄せ、空を見上げた。西のほうから黒い雲が勢いよく流れ、すぐにも雨になりそうだった。ヴァージニアを抱いて立ち上がり、インカラに手を振ってさよならを告げる。インカラが笑みを返し、さよならの言葉を模倣しようとした。彼女の試みを見てエレノアはくすくす笑い、いつかインカラにドレスを作ってあげようと思った。もちろん父がどれだけの生地を持ち帰るかによるけれど。

 風がみるみる強まる中、エレノアは家路を急いだ。水平線には巨大な紫色の雲がふくれ上がり、今にも破裂して島を吹き飛ばしてしまいそうだった。入植地のはずれにある広場まで戻ったとき、ちょうど夫のアナニアスが走ってきてエレノアを抱き締めた。夫は息を切らし、ブロンドの髪は降り始めた雨で頭に張りついていた。夫が激しい風に負けないよう声を張り上げ、入植者全員が島の南部にある洞穴に避難するのでエレノアも持ち運べるだけの食料と衣服を集めなくてはいけないと言う。

 暴風が早くも小屋の屋根からシュロの葉や板をむしり取り、それを四方八方に短剣のように投げつけている。居住地の中心部に向かいながら、ふたりは横殴りの雨に顔を打たれた。出発しようとしたとき、エレノアはインカラの姿に気づいた。極度に興奮した様子で森との境に立っているので、こちらに来るように手招きすると、インカラは走ってくるなり洞穴の方角を指さして激しく首を振り、エレノアの手を引いてとどめようとする。懇願するような目を大きく見開き、〝クロアトアン〟と聞こえる言葉を何度も何度も繰り返した。そして、両腕を波打たせるような動作をしてから自分の身体を強く抱き締めてみせた。おそらく身体を温めたほうがいいと伝えたいのだろうが、どういうわけかその身ぶりは、もがいたりつぶされたりするような感じをエレノアに与えた。

 エレノアは父親から聞かされていた。このあたりの先住民は吉事も凶事もすべて精霊の仕業だと信じていて、天候も例外ではないと。エレノアはインカラと軽く抱擁すると、まだ残っている数名の入植者たちとともに洞穴へ出発した。

 インカラがまだ何度も〝クロアトアン〟と繰り返すので、エレノアはそれが今から行こうとしている洞穴の名前なのだろうと考え、父親が戻ってきたときにまだ自分たちが洞穴にいた場合に備え、居住地の端にある大きな木の幹にその名を刻んでおくようアナニアスに頼んだ。そうしておけば、父親か誰かが入植者たちの居場所を知りたいとき、その方角をインディアンに尋ねさえすればいい。


 インカラは急いで父親マンテオのもとに帰った。ロアノーク族の長であるマンテオは小屋の中央でき火を囲み、聖なる者たちと話をしているところだった。インカラは父親の前にくずおれるように膝をつき、あえぎながら入植者たちの行き先を伝えた。ロアノーク族の大半は入植者に対して無関心だったが、洞穴の危険性についてはよく知っていた。何世代も前に大地が揺れ、洞穴が太陽の下で口を開けたのだ。インカラも人食い洞穴の伝説を聞いていた。何年も前に愚かな若い狩人たちが危険をかえりみずに洞穴の中に入ったが、彼らの姿は二度と見ることがなかった。

 天候はいよいよ荒れ狂い始めていた。ロアノーク族では危険を冒して洞穴に入ることはおろか、近づくことさえタブーとして禁じられている。だが、マンテオはインカラと白い〝エレノア〟のあいだに生まれたきずなのことを知っており、入植者たちを止めるために最強の戦士たちを派遣すると告げた。インカラはそれを聞いて心からあんするとともに、父親の制止を振り切って戦士たちに同行した。

 インディアンの一行が洞穴にたどり着いたとき、ちょうど最後の入植者が中に入り、暴風雨を避けるために入口が封じられようとしていた。インカラが大声で呼ぶと、運よくエレノアとアナニアスが入口の外まで出てきた。その光景はインカラと戦士たちにとって永遠に忘れられないものとなった。赤ん坊を胸に抱いて雨の中に立つエレノア。彼女がほほ笑みながらインカラに手を振って別れを告げた。そのとき、アナニアスが誰かに呼ばれたかのようにびくっと後ろを見やり、そのまま洞穴内に走りこんでいった。穴の奥でこだました大声にエレノアも振り返り、夫と同じく急ぎ足で暗闇に戻っていった。

 それからわずか数分後、穴の中で複数の叫び声が上がり、うめき声が聞こえてきた。動物が本能から発するような恐怖と苦痛の声を耳にしたインカラはがっくりと膝をつき、大声で泣き叫んだ。心痛のあまり大地からぬれた葉や土をつかみ取り、頭や顔に塗りつける。響き渡る悲鳴がひとつずつ途切れていくさまに、勇敢なロアノークの戦士たちですら顔から血の気が引いていた。洞穴の入口をじっと見つめるマンテオは、いにしえの言い伝えを思い起こしていた。それが自分たちにとってどのような意味を持つかはわかっている。洞穴に背を向けると彼は決断を下した。ただちに島を離れよう、と。


 ジョン・ホワイトはこれほど長くロアノーク島を離れるつもりはなかった。ようやく帰島したとき、上陸するだいぶ前から植民地に異変が起きたことを察した。海に釣り船が一そうも出ておらず、内陸には焚き火の煙も見えない。居住地には生活の気配がなかった。人っ子ひとりおらず、あるのは破壊された小屋の残骸のみ。広場はふたたび森と化しつつある。たったひとつ残された手がかりは、木の幹にぞんざいな大文字で彫りつけられた〝クロアトアン〟の一語だった。

 何週間も捜索を続けたが、ホワイトの美しい娘や赤ん坊をはじめ、入植者たちの消息を示すものはいっさい見つからなかった。そればかりかインディアンたちも島から消えていた。途方に暮れたホワイト総督は、せめてエレノアだけでも彼らとともに移動し、どこだかわからないその場所で安全にすごしていてほしいと、はかない望みをかけるしかなかった。

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