国王陛下の溺愛王妃
第一章 (2)
実際のところ、十七歳のコーデリアに結婚の実感などありはしない。宮殿の奥深くで、多くの侍女と家庭教師に囲まれて育ったため、王族以外の男性と親しく接したこともなかった。
父王と、王太子である兄、ふたりの叔父と、従兄弟たち。それが、コーデリアが日常的に接する男性のすべてである。
無論、宮殿内で働く者や、枢密院の貴族たち、王族の警護に就く騎士団員とも挨拶はする。ときに、会話をすることもあった。だが、母の教えに従い、王女らしく振る舞うことを自らに課していたコーデリアは、異性と個人的に親しくなるようなことはしなかった。
ステーリアの王女としてしかるべき相手に嫁ぐことは、物心ついたときから決まっていたこと。それを悲観したことはない。コーデリアの母も、ふたりの姉も、国同士の定めた婚姻により幸せに暮らしているのだから。
──そう、だからわたしは何も恐れたりはしないわ。願わくば、ヒューバート陛下が同じように幸せになろうと思ってくださる方だといいのだけれど……
大陸の内陸部にある小国ステーリアと違い、ヒューバートの暮らすエランゼ王国は、南西の海沿いにある。海辺の民は明るい気質の者が多いと聞くが、ヒューバートはどうだろうか。ステーリアのような小さな国から后を娶ることを、王自身は納得しているのだろうか。三十六歳まで結婚しなかったのは、何か思うところあってのことなのだろうか。
考えても詮無いことだ。
コーデリアは軽く首を横に振って、肩にかかる艶やかな金の髪を払った。
──だいじょうぶ。ひととひとが、心を傾けあってわかりあえないことなんてないはずだわ。歴戦の騎士王と呼ばれる方なのですもの。きっと、騎士たちから慕われるすばらしい王に違いない。
かすかに膨らみかけた不安を、心のうちできゅっと押し込めて、コーデリアは背筋を伸ばす。
窓の外、遠い山の合間にきらりと青く光る水平線が見えた。エランゼ王国との国境は近い。
「──……ですので、コーデリアさまはご自身の矜持をしっかり持ち、女性として誇り高く生きていかねばなりません。ステーリアの神のもとにお生まれになったからには、皆そうして──」
真面目な侍女は、まだ神の教えを説いている。ハンナの話が、エランゼの宮殿に到着する前に終わればいいのだが、いかがなものだろう。
コーデリアはつとめて神妙な表情で、侍女の話に耳を傾けた。
§ § §
湖の中央に建てられた宮殿を初めて見たとき、コーデリアは思わず目を瞠った。もし、馬車の周囲にエランゼの騎士団員が配置されていなければ、王女らしさも忘れて歓声をあげていたかもしれない。
「なんて美しいのでしょう……!」
アーチ型の小窓に思わず顔を寄せ、目を輝かせて全貌を見ようとする。
湖畔には深緑の常緑樹が茂り、湖面は空の青と葉の緑で神秘的な色に染まっていた。陽光を受けて輝く様は、宝石のよう。
その中央に建つ宮殿は、乳白色の尖塔が左右に高くそびえている。さすがは大国エランゼの宮殿、コーデリアが今まで見たどの国の宮殿と比べても類を見ない、堂々たる佇まいだ。
湖の手前で一度停車した馬車は、跳ね橋を渡って宮殿へ向かう。エランゼ王国が誇る不敗の象徴、アエリア宮殿は女神アエリアの名を冠している。
女神の名に相応しく、荘厳でいて繊細な造りの建物に、コーデリアはひと目で心を奪われた。
──これからは、この宮殿がわたしの世界。窓からはきっと、季節の美しい自然と湖を眺めることができるのだわ。
比類なき美しさは、同時に少しの閉塞感を伴う。跳ね橋をいくつも経由しなければ宮殿まで辿りつけない構造は、攻め入る敵軍を寄せ付けないようになっている。ということは、宮殿に暮らす者は皆、外界から隔離されている状況だ。
──どちらにせよ、わたしには勝手に宮殿から出て行く権利などない。それは、ステーリアにいても同じこと。
美しいドレスを身にまとい、町民が一生かかっても手に入れられない装飾品をいくつも飾ったところで、王女に自由はなかった。それを不満に思っているわけではないけれど、十七歳の少女の翼は自由に空を飛ぶことを夢見てしまう。
そして、跳ね橋を渡った馬車はアエリア宮殿の広い前庭を抜け、きらきらと水飛沫の輝く噴水前に停まった。
エランゼ王国の大臣たちが出迎えるなか、薄く笑みを浮かべて会釈するコーデリアの目は、夫となるヒューバートを探していた。だが、騎士王らしき男性は見当たらない。出迎えの者たちは皆、五十を過ぎたと思われる壮年男性ばかりだった。
──いくらなんでも、ヒューバート陛下がこのなかにいらっしゃるとは考えにくい。歴戦の猛者で、実年齢よりも大人びていたとしても、三十六歳なのだから……
十九歳の年の差から考えると、コーデリアにとってヒューバートはずいぶんと大人の男性にあたる。けれど、壮年男性の群れを前にすると、彼らと比べて三十六歳の夫となる男性は、かなり若く思えてくる。
──やはり、ヒューバート陛下はいらっしゃらない。考えてみたら当たり前のことだ。これだけの大国の王が、そうそう簡単に姿を現したりはされないでしょうね。
石畳に敷かれた天鵝絨の絨毯を進んでいくと、足首まである神職衣を着た白髪の男性が厳しい表情でコーデリアを見つめてくる。
「コーデリア姫、こちらが大司祭のローレンスです。今後、儀式のたびに大司祭とは顔を合わせることになりましょう。まずは結婚式ですな」
コーデリアを案内していた大臣の紹介にあずかって、大司祭は軽く顎を引いた。厳粛なまなざしと、神に仕える者のみがまとう静謐な空気に、コーデリアは敬意を払って会釈する。
「お初にお目にかかります、大司祭さま。コーデリア・リナリー・ステーリアと申します。以後、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「僭越ながら教会をあずかっております。ローレンス・ムジカにございます。若き王妃に神の祝福のあらんことを」
右腕を胸に当て、大司祭が一礼する。これが、この国における正式な男性の挨拶の仕方であることは、すでに学んで知っていた。
──この国のひとびとは、ずいぶんと背が高い。ステーリアにも屈強な男性はいたけれど、全体的に体つきがひと回りも大きく見える。
コーデリアの兄も、すらりとした長身の男性だが、エランゼの重臣たちはその兄と並んでも変わらぬほどの上背がある。それどころか、胸板は倍ほども厚い。神職にある大司祭でさえ、ステーリアの騎士と遜色ない体格の持ち主だ。
同じ大陸に生まれ育ったにもかかわらず、見た目だけでこれほどの差があるからには、ここから先、文化や考え方、日常の礼儀や常識においても様々な相違があるかもしれない。コーデリアは気を引き締めると同時に、新しい世界を知る喜びを感じていた。
「──……まあ、まあまあまあ! なんて繊細なレースでしょう。これほどの品は、ステーリアでも見たことがございませんね、コーデリアさま!」
南向きの居室へ案内され、侍女のハンナとふたりきりになった途端、少しだけ寂しさがこみ上げてくる。しかし、そんなコーデリアの気持ちには気づかないのか、ハンナは居室と寝室を確認して目を輝かせていた。
侍女の言うとおり、天蓋から垂らした純白のレースは美しい。エランゼまで乗ってきた馬車のなかの装飾と、同じ職人によるものかもしれない。居室の調度品も繊細な細工を施したものばかりで、コーデリアの嫁入りを歓迎してくれているのは伝わってくる。
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