国王陛下の溺愛王妃
第一章 (1)
第一章 顔も知らない旦那さま
春色の花が咲き乱れる草原を、十数台の馬車が縦列になって進んでいく。あたりを囲むのは、ティレディア大陸一の大国であるエランゼの紋章をつけた騎士団だ。通称、白の騎士団。その名のとおり、彼らが騎乗する馬はすべて白馬である。
一団は、隣国ジョゼモルンを抜け、エランゼ王国を目指している。戦場を駆け巡るときとは違い、騎士たちはくつろいだ様子で時折笑い話をしては、ほがらかな春の陽射しを浴びていた。
長く伸びた馬車の列の中心に、ひときわ豪奢な細工を施した一台がある。それこそが、小国ステーリアの末王女、コーデリアが乗る馬車だ。
いささか少女趣味が過ぎる、純白のレースとフリルをふんだんに使用したカーテンに、同じデザインのひざ掛け、クッション。それらになかば埋もれるようにして、小柄なコーデリアはため息をつく。
「ハンナ、いつまで泣いているのです? わたしは、何も人質にとられるわけではないのですよ。それどころか、正式にエランゼ王の后に迎えられているのですから、あなたが泣く必要などどこにもないでしょう?」
十七歳のコーデリアは、同乗している侍女のハンナに話しかけた。
使用人相手であっても丁重な彼女の言葉は、だからこそ高貴な身の上であることが伝わってくる。可憐な声音でありながら、凛とした強さを感じさせるまっすぐな話し方。
金色のやわらかな髪は、耳の上で編み込んでリボンで結んである。旅の道中であっても、王女たるもの服装や髪型に乱れひとつ見せるべきではない。これは、母であるステーリア王妃の教えだ。
剥きたてのゆでたまごのように白い頬と、子猫を思わせる好奇心に満ちたすみれ色の瞳、びっしりと生えそろった長い睫毛が、コーデリアの愛らしい容貌を際立たせている。ひと刷毛の紅をあしらったかのような薔薇色の頬は、人形のごとき美貌を生身の人間たらしめる生命力を感じさせた。
ステーリア王家の誰からも愛され、かわいがられた末王女は、すすり泣く侍女の肩にぽんと手を置く。
「で、ですがコーデリアさま、お相手は十九歳もお年が離れていらっしゃるのですよ。歴戦の騎士王と呼ばれるからには、きっと泣かせた女も数知れずです。かような方に十七歳のコーデリアさまを嫁がせるだなんて、あんまりではありませんか……!」
自身で刺繍を施したレースのハンカチをぐしょぐしょに濡らし、ハンナはまだなお泣いている。生真面目で仕事熱心な侍女だが、いささか思いつめやすい性格なのは否めない。
「まあ、ハンナ。なんてことを言うのです。十九歳の差なんて、それほど珍しいことでもありません。あなたもご存じでしょう? 先のシャンゼル女王は、十歳のときに三十五歳の王配を迎えていらっしゃいました。ガーシュ公爵は四十歳を過ぎてから二十歳の奥方を娶られましたし、モルガー卿はまだ十五歳のご令嬢を──」
「いいえ、いいえ! そのどなたとも、コーデリアさまは違っていらっしゃいます。だって、コーデリアさまはこんなに愛らしく、可憐でいらっしゃるんです!!」
すでに、理屈は通じない状態である。コーデリアは困り顔で肩をすくめた。
ハンナの言うとおり、コーデリア・リナリー・ステーリアは、ひと目見たら忘れられないほどの容姿をしている。それも、鮮烈な美というよりは、誰もが守ってあげたくなる聖なる乙女の愛くるしさだ。城の者たちは、王族、貴族、使用人にいたるまで、誰もがコーデリアの一挙手一投足に注目し、彼女が微笑むとそれだけで周囲が明るくなると言われたほどだった。
──でも、それに驕ってはいけないとお母さまは仰ったわ。
大切に育てられたコーデリアだが、我儘放題に暮らしてきたわけではない。分別のない王女なぞ、王国にとっては畑の肥やしにもならない不要物だと、母から言われてきた。
ステーリアは小国だからこそ、王族の娘たちは他国との姻戚関係を結び、生まれ故郷の未来を守るべきである。そのためには、見た目が美しいだけではいけない。かといって頭でっかちな知識の虫になってもいけない。
自身も他国から嫁いできた身ながら、ステーリア王国史上、比類なき賢后と呼ばれる母は、三人の王女にしっかりとそう教え込んだ。
無論、王妃は暇ではない。王妃としての公務がある。少ない時間を活用し、娘の教育に尽力したことも母が賢后と呼ばれる所以であろう。
「──ハンナ、よく聞いてちょうだい」
夢見がちな侍女の手をとり、優しく握りしめると、コーデリアは真剣な瞳で語りかけた。
「わたしの外見がどうであろうと、この体にはステーリア王家の血が流れています。そして、それこそがわたしという人間の価値なのです。エランゼの国王が十九歳年上だからなんだというのでしょう。たとえ相手が三十歳離れていても、四十歳離れていても、国と国が決めた婚儀を潤滑に進めることがわたしの──ステーリアの王女の仕事なのです」
十七歳にして、コーデリアは自分に自由恋愛の権利がないことをよく理解している。だからといって、彼女は己の人生を諦めているわけではない。
母は言っていた。
『情熱的な恋だけが真実の恋だと勘違いしてはいけません。愛情は育むものなのです。コーデリア、あなたは愛されることに慣れているけれど、夫となる方と見えた暁には自分から愛情を捧げなさい。たとえ、それが国と国の決めた結婚であっても、幸せになれない道理などありはしないのですからね』
──そう、どんな出会いだろうと、縁あって夫婦になるのだから、わたしはヒューバート陛下にこの心を捧げる。
儚げな容貌とは裏腹に、コーデリアは芯の強い女性だ。母に似たのか、それともふたりの姉に似たのか。どちらにせよ、ステーリア王家の女たちは皆、現実的でしなやかなのである。
「ですが、コーデリアさま」
まだ不安げなハンナに、コーデリアは冗談めかして片目を閉じて見せた。本来ならば、王女らしからぬ仕草と知っているけれど、これ以上ハンナが泣く姿は見たくなかった。
「それにね、エランゼの国王はとても魅力的な男性と聞いています。背は高く、顔立ちは彫刻のようで、威厳ある立ち居振る舞いの騎士王の后になれるのですから、わたしは幸せな王女でしょう?」
「まあ! そのようなことを仰って……。コーデリアさま、姫君がそのようなうわさ話を鵜呑みにしてはいけませんよ。人間の価値とは、外見に比例するものではないのです。神は言っています。地上で愛と呼ばれるものは、すべて見返りのないもので──」
コーデリアより四歳年上の侍女は、もともと修道院の育ちで幼いころに洗礼を受けている。そのため信心深く、女性の品格について厳しい考えの持ち主だ。
「あら、先ほどあなたもわたしの外見を褒めてくれたと思っていたけれど、勘違いでしたか?」
図星を指したつもりだったのだが、ハンナは必死に首を横に振る。
「わたしが申しあげたのは、コーデリアさまのお心のことです。無論、お顔もお美しゅうございます! ですが、コーデリアさまは外見の美醜だけではなく、誰よりお心の清い王女です。それなのに──……」
──良かった。ハンナも少し元気になったみたいね。
感情的なところはあるものの、いつもひとのために尽くす心の持ち主である侍女を、コーデリアはとても大切に思っていた。ハンナだけではない。ステーリアの中央宮殿で働くすべての者たちを、家族同様に慈しんできた。
──これからは、エランゼの王国民がわたしの家族になる。そして、ヒューバート陛下が、誰よりも大切なひとになる。
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