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強引執着溺愛ダーリン あきらめの悪い御曹司

日野さつき

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『そんなこといわれても、すぐ思いつかないよ』

 困ったような口振りだったが、佐恵子の声は笑いを含んでいる。

 友人の楽しそうな声は、麻里を明るい気分にさせた。

 一度頭に浮かんだ彼の顔を消すのは難しかったが、それでもそこから思いを逸らすことはできたのだった。



 暑いかもしれない、と上着を薄手のものにしたことを、麻里は後悔していた。

 九月の半ば、過ぎた夏を思い出すような気温の日が続いていた。そのために選んだ服装だったのだが、いざ出かけてみると肌寒さを通り越し、腕からこごえがいのぼっている。

 目的地の駅に降り立って歩きはじめたときには、ノースリーブのパーティドレスを選んだことを後悔していたし、羽織りものに透かし編みのボレロを選んだことを悔んでいた。

 振り返っても駅も線路も確認できなくなったところで、いまからでもタクシーを捕まえられないか、とあたりを見まわしてみた。休日の昼をすこし過ぎたところ、往来にひとの姿さえ見当たらない。

 会場への最寄り駅は二ケ所あり、麻里が下車しなかったもう一方からはバスが出ている。そちらを選ばなかった自分にため息をつきつつ、麻里は足を運びはじめた。

 佐恵子と三浦の結婚を祝う立食パーティが、きちんとしたドレスコードのある食事会に変更になる、と連絡があったのは半月前のことだ。

 連絡をよこしたのは、さわむらというやはり以前の同僚である。

 親戚からの意見があったかららしく、気軽な飲み会に参加する気分でいた麻里は急な変更に驚いていた。

 佐恵子とは普段からLINEで連絡を取る間柄なので、そのことについて尋ねると『ごめんね、親戚がちょっと』と弱っている気配があった。その親戚はにできない相手らしく、しかし三浦と決めたことに口をはさまれて困っているようだ。三浦はこれといって怒っておらず、ひとり佐恵子だけが変更について釈然としていない状況らしかった。『今度愚痴聞いてー』と泣き顔のスタンプと一緒にメッセージが送信されてきていた。こまかいことははいずれ尋ねればいい。ひとまず佐恵子たちを祝福しようと決めていた。

「春原さん?」

 後方から声をかけられる。まだ道路にタクシーの姿がないか視線をさまよわせていた麻里は、そちらを向いた。

「ああ、やっぱり春原さんだわ。ひさしぶり、お元気でした?」

 麻里に呼びかけ追いついて来たのは、会場変更の連絡をくれた沢村だった。

 相好を崩した彼女は麻里とは違い、厚手の上着を羽織った上にショールを重ねている。沢村の顔は赤く、どことなく汗ばんでいるように見えた。

「春原さん、寒くないの?」

「沢村さんこそ、暑くないんですか?」

 足を止めて顔を見合わせて笑う。

 笑ったまま沢村はショールを外し、麻里に手渡してきた。

「会場までどう?」

「ありがたくお借りします」

 明るい空色のショールは、麻里のドレスのピンクによく合っていた。ショールを肩に巻くと、寒さはぐっとやわらぐ。帰りはタクシーを捕まえよう、と麻里は心に決めていた。

 まだ開始の時間までは余裕があり、ゆっくりふたりで歩を進める。

 現在、麻里は二十六歳、佐恵子は二十八歳だ。沢村は三十路を越えてから年齢を口にしなくなり、それが確か四年ほど前のこと。ともかく沢村は年上なのだが、とても肌がきれいだ。前職で麻里は、佐恵子や沢村とおなじ窯元で事務職に就いていた。雑用や接客で、ばたばたと忙しかったが、そのころから沢村の肌はきめがこまかく、美しかった。

「最近どうされてたんですか?」

「娘が中学に上がったから、近所にパートに出てるの。頼んでおかなくても、娘があれこれ家のなかのことやってくれて……いっそ正社員になれる仕事探しちゃおうかしらって思ってるところ」

 楽しそうな声で、沢村が娘がみずから家事を手伝ってくれることを喜んでいるのだとわかった。

「急に会場が変わって、ちょっと驚きましたね」

 麻里が切り出すと、ハンカチで鼻のまわりをおさえながら沢村はうなずく。

「三枝さんのご親戚が、略式ですませるのをいやがっちゃったって」

 うなずき、麻里は先をうながした。

「三枝さんのおうち、お母さんとふたりって知ってた?」

「ええ、前にそんなようなことを」

 なんの話題のときだったか、母子家庭で、と佐恵子がいっていたのを覚えている。

「なんでもお母さんのお姉さんにお世話になってたらしいのね、小さいころ。その方がちょっと口うるさいらしくて」

「それじゃ、今日はその親戚の方も」

 佐恵子を祝うのだ、とどこか弾んでいた気持ちはすこし沈んでしまった。

「そうみたい。ほかにもさかより屋のひとたちも招待してるっていうから、きっとなつかしい顔も多いんじゃないかしら」

 佐恵子たちと麻里が勤めていた窯元・酒寄屋の経営がままならなくなったのは、二年ほど前のことだ。

 全社員を合わせても二十人ほどの窯元で、うつくしい彩色の焼きものを手がけていた。

 しかし、腕のいい職人であり、酒寄屋を引っ張っていた社長が事故にったことで、あっという間に状況は変わってしまった。

 生命に別状はなかったものの、利き腕に若干のが残った社長は後任に席を譲った。いまでは生まれた街に帰り、夫婦で小さな陶芸教室を開いている。

 後任の新社長は意欲的で、前社長の下で働いていたときには頼りになるひとだった。

 ただあまり他人の話に耳をかたむけるタイプではなく、経理に自分の妻を据えたあたりから急激に状況は悪化した。新社長は奥さん共々行方がわからなくなり、そのとき麻里にできたことは債権者会議の手配などだけだった。

 幸いなことに、技術のある職人たちはべつの窯元に移り、事務職だった麻里も焼きものを扱う会社に再就職ができて現在に至っている。

「あそこじゃない? 見えてきたわ」

 沢村の声に目を向けると、道の先、大きな木のとなりに白い建物があった。明るい日差しと風を受けて揺れる枝葉と、汚れのない白い壁は、佐恵子たちを祝う場所としてふさわしい印象があった。

「スペイン料理屋さんなんですって」

「こういう席でスペイン料理って、私はじめてかも」

「三浦さんの親戚がやってるそうよ。あ、ほらみんないる」

 沢村の声が高くなった。つられて麻里も声を上げて手を振っていた──酒寄屋で慣れ親しんでいた顔が、木の陰からのぞいていたのだ。麻里たちに笑顔を向けている。

「おひさしぶり」

「お元気そうで──」

 挨拶を交わし、なつかしい顔に囲まれた麻里は満面の笑みを浮かべていた。

 酒寄屋が消えていくときはつらいものがあったが、ほそくとも縁は続いている。

 なつかしい顔に再会できる場所が、友人の結婚を祝う席なのはなおさらうれしい。

 開場時間よりすこしはやく到着したので、店の駐車場で近況報告に花を咲かせた。こどもが大きくなった、仕事が忙しい、マンションを買うか迷っている。取るに足りない話題だが、いやな話はひとつも出てこなかった。

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