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赤い靴のシンデレラ 身代わり花嫁の恋

鳴海澪

1.身代わり花嫁の申し込み (3)

 さらさらとした前髪を片手で搔き上げながら、違うことを考えているらしい祐樹に、多香子は少し呆れる。

 長い付き合いのせいとはいえ、今から返事が所帯じみているのはどうかと思う。

に会ったときは、あんなに調子よく相手をしてたのに……ん、もう)

 偶然多香子の友人に出くわしたときの祐樹の態度を思い出して、多香子は心の中で文句を言う。

 あのときの祐樹は、さすが仕事のできる営業職だと思わせるような、人を逸らさない笑みで挨拶をした。

 ──ばんざい沙耶さん? いやあ、すごく縁起のいいお名前ですねえ。あやかりたいなあ。幼なじみだなんて、多香子も随分萬歳さんの運を分けてもらったんじゃないですか?

 初めて会ったばかりとは思えないじようぜつ振りに、友人は目を丸くしていた。

 あまりの愛想の良さに、少々やり過ぎだと思うけれど、友人相手にむすっとされるよりは有り難い。

 けれどあの熱意の半分ぐらいは、こちらに向けてくれてもいいだろう。

「ねえ、聞いてるの? 祐くん。そんなに人任せだと全部決めちゃうよ」

 雰囲気が悪くならないよう、冗談交じりに発破をかけると、祐樹はふいっと顔を上げた。

「あ、ごめん。話を聞いてないわけじゃないよ」

 いつになく強ばった祐樹の表情に、多香子は笑顔を作る。だが祐樹は表情を崩さず、多香子と目を合わせた。

 これだけ長く付き合っていても祐樹のこんな顔を見たことがない。

 瞬きをしない目。いつも笑っている唇が強く引き結ばれ白くなっている。

 そして何故か、今にも走りだしそうに浮かせた腰。

「どうしたの? 具合が悪い? お腹でも痛いの?」

「あのさ、多香子」

 指が白くなるほど祐樹がテーブルの端を握りしめて、乾いた唇を開いた。

「俺さ、結婚できない」

 突然の言葉に多香子は、何も言うことを思いつけず、祐樹の顔を見つめた。

(結婚できない? いつもの冗談だよね?)

 内心で必死に今の言葉を否定するが、抑揚のないかすれた声の響きがうそではないと感じさせる。

 結婚できないのが本心なら、理由はなんだろうか。多香子はぐるぐる回る頭で考える。

「……どうして? まだ早い?」

 要領のいい祐樹は会社でも上手くやっているようだが、実際はいろいろ大変なのかもしれない。それなら結婚はもう少し先延ばしでも仕方がない。

 多香子は必死に納得できる理由を考える。

 だがテーブルを握りしめた祐樹は、多香子の目を避けるように、視線をあちこちに揺らして早口になる。

「俺、出会っちゃったんだ」

「出会ったって、誰に?」

「運命の人だ」

 その瞬間、白かった祐樹の頰に血の色がのぼり、目に熱が宿る。

(何? 運命の人ってどういうこと?)

 言われたことを理解しようと黙り込んだ多香子とは逆に、勢いを盛り返した祐樹が身を乗り出す。

「君じゃない人を好きになってしまった。というか、君との愛は幻だったと、知った。彼女と会ったのはもう、運命なんだ! 彼女に会って俺は、本当の愛というものがわかった気がする」

 ぱっと椅子から立ち上がり、その勢いのまま祐樹は床に這いつくばる。

「人は誰でも恋をするけれど、本当の愛に出会える者は一握りって昔から言うだろう? 俺はその奇跡を手にしたんだ。こればかりはもう運命としか言いようがない。多香子もそんな恋をしたら、俺の気持ちがわかると思う」

「……運命……って」

 せっかく作った夕食に手をつけず、ドラマの登場人物にでもなったみたいに土下座する祐樹に、多香子は心が冷えていく。

(本当の愛に出会える者は一握り……って、いったい誰がそんなこと言ったの? 聞いたこともないけど、シェークスピアとか?)

 ばかばかしい言い草に呆れながらも、激しい失望がこみ上げてくる。裏切られたという絶望感も押し寄せてくる。

 それでも目の前で自分の言葉に酔い、真実の愛だの奇跡や運命を訴える男の姿に、罵る気持ちが薄れる。

 自分の行為を恥ずかしいとも思わず、ここまでして別れたがる男を、引き留めることなんてできない。

 たとえ引き留めたところで、かつての気持ちは戻らない。

 悔しさと哀しさ、怒りと屈辱で、心も頭もぐちゃぐちゃになりながらも、多香子は尋ねる。

「運命の相手って……誰?」

 聞いても、もう取り返しがつかないことだし、聞いたところで、嫌いな人間と苦痛が増えるだけだ。それでも、この期に及んで物わかり良く「はい、そうですか」なんて済ませるわけにはいかない。

(奇跡的に巡り会った人っていったい誰?)

 大学時代のサークルや、六年の間の付き合いを通じて共通の友人も多い。けれどその中に結婚寸前の男に手を出す人がいるとは思えない。むしろ、みんな二人の仲を応援してくれている。

 運命の人っていうからには、予告もなくいきなり出会った相手だろう。

 六年間、ざっと二千日、時間に換算すれば四万八千時間、多香子は祐樹と過ごした。その時間をたった数日で蹴散らしたのはどんな女性だ。

 その運命の相手とやらの名前を、絶対に聞き出してやる。

 そして永遠に呪ってやる──。

 暗く投げやりな気持ちで多香子は言葉を重ねる。

「誰? どんな人? いつ、どこで会ったの?」

「ごめん! 多香子。ほんとにすまないと思っている」

 多香子の怒りをやり過ごすためとしか思えない姿勢のまま、祐樹は上目遣いで多香子を見あげた。

「ばんざい……さん」

「バンザイ、って何の冗談なの? お手上げってこと?」

 多香子は驚いて声のトーンを抑えた。

 都会的な容姿と雰囲気が、自他共に認める祐樹の自慢だ。どんなに年を取ってもオヤジギャグを言うようにはなりたくない、というのも口癖だ。

 こんなじやを口走るなんて、もしかしたらどこか悪いのだろうか。

「いや……そっちのバンザイじゃなくてさ。萬歳沙耶さんのことなんだ。ほら、多香子も知ってる……」

「沙耶って、あの沙耶?」

 萬歳沙耶──知っているも何も多香子の幼なじみで、祐樹に紹介したのは多香子自身だ。

「どういうこと、それ?」

 それまでどこかにあった冷めた気持ちが吹き飛んで、声が裏返る。

 偶然沙耶にあったのは確か二ヶ月少し前。本当に彼女が相手なら、ばかばかしいほどあっという間だけれど、ロミオとジュリエットは一週間もかけずに恋に落ちて心中したのだから、二ヶ月あれば運命の恋には充分だ。

 だが物語ならともかく、相手が自分の友人となれば別だ。

「……沙耶が相手ってこと? 沙耶は幼なじみだって言ったよね。沙耶にはあなたを恋人だって紹介したよね? まさか二人で私をだましてたの?」

 ──透明感があって、可愛い人だね、萬歳さん。

 あのとき、別れたあとも祐樹は沙耶を褒めた。

 幼なじみとは言え、普通のサラリーマン家庭に育った多香子と違い、沙耶は有名和菓子チェーン店社長を祖父に持つお嬢さまだ。かなり天然なところはあるが、育ちの良さからくる素直さが長所で、学校、仕事と互いの生活環境が変わっても長い付き合いが続いていた。

 多香子が三鶴屋に入社したときも、沙耶は手をたたいて喜んでくれた。

 ──お祖父さま、お祖母さま、それにパパもママも三鶴屋さんの外商でお買い物しているわ。とってもいいお店よ。良かったわね。

 他の人が言えば、嫌みに聞こえかねない言葉も沙耶なら許せた。世間からずれているところが、沙耶の欠点でもあり、いいところでもある。それがよくわかっていた多香子は、沙耶流の祝福も素直に受け取った。

 そんなふうに、彼女はいつも悪気はない。けれど、悪気がなければ何をしてもいいわけではない。

 まさかあの沙耶が、友人の恋人を取るなんて──。

 可愛い人だね、と友人を褒める祐樹に笑顔で頷いた、あのときの自分が間抜けに思え、いっそう怒りに火がつく。

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