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赤い靴のシンデレラ 身代わり花嫁の恋

鳴海澪

1.身代わり花嫁の申し込み (2)

(浮き世の義理だもの)

 そう思ったとき、自分ばかりが「礼儀」と「義理」を要求される立場に甘んじなければならないことに、抑え込んでいた怒りが多香子の胸にまたむくむくと広がる。

 身体の内側から出てくる黒いもので全身がいっぱいになりすすけていく。

(花嫁になるはずだったあたしが、どうしてこんなことになっているわけ?)

 恋人に衝撃的な別れを切り出された日から、幾度となく自分自身へ問いかけた言葉を、多香子はまた繰り返した。

 思うにまかせない憧れのハイヒールは、まるで上手くいかない多香子の恋愛みたいだ。

 おまえにはまだ無理だと言われているようで、足の痛みがひどくなる。

 花嫁の座から滑り落ちたあの日を、靴を履きこなせない苛立ちと一緒に、多香子は思い返さずにいられない。


*  *  *  *


「冷めないうちに早く食べて、祐くん。食べ終わったら、結婚式場のパンフレットを集めてきたから一緒に確認しようよ」

 小さなテーブルに座ったゆうに、多香子は手早く作った青椒牛肉絲チンジヤオロウスーとスープを勧めた。実家暮らしの多香子だが、両親が働いていたので、早くから家事を手伝ってきた。子どもの頃は何もしなくていい友人が羨ましかったが、今となれば有り難いと思える。家事はそれなりに身につき、慌てて料理教室に駆け込まなくても、一人暮らしの恋人のために簡単な料理ぐらいは作れる。

 大学時代、映画鑑賞倶楽部という他愛ない遊びのサークル活動を通じて、他大学のいいじま祐樹と知り合い、付き合ってもう六年が経つ。

 その間に祐樹は卒業して中堅どころの総合商社に勤めた。二年後には多香子も就職し、あっという間に三年。気がついたら多香子は二十五歳、二歳年上の祐樹は二十七歳になっている。

 少しばかり真面目すぎて、考え方が固い多香子と、少しばかりいい加減で何事も要領のいい祐樹は、相性が合うらしく、けんもなく続いていた。

 ただ一度だけ、多香子が就職活動をしているときに、気になる擦れ違いはあった。


「接客なんて大変な仕事じゃない。結婚しても続けられる楽な仕事にしたらいいよ。女の人は結婚したら家事とかあるしさ」

 銀座の老舗デパート〝つる屋〟を、就職先の第一希望にしたときの祐樹の反応に、かちんときた。

「楽な仕事なんて、この世にないよ。そんなこと祐くんだってわかってるでしょう」

 毎日就職活動のために、慣れないスーツで走り回っていた多香子は緊張と疲れのせいで、口調がきつくなる。

「でもさ、三鶴屋のスタッフなんて残業がたくさんありそうだろう。普通の事務でいいじゃないか」

「普通の事務って何よ。そんな言い方、ちょっと失礼じゃない」

 祐樹の会社での営業成績はいいらしいが、上に立ったもの言いにいらつく。

「えー、でもさ、うちの会社じゃ事務の女の子は定時上がりで、やれカルチャースクールだ、飲み会だって感じで、満喫してるよ」

「定時に上がったからって、仕事が楽なわけじゃないでしょ。時短が叫ばれてるんだから、就業時間内に仕事を片付けるようにするのは時代の流れだよ」

「だからさ、そういうのがいいって言ってるだけじゃないか」

 多香子の表情がどんどん強ばるのを見て、さすがに祐樹が譲歩する。

「結婚しても続けられる仕事にしたらってことだよ。深読みするなよ」

「三鶴屋の女性スタッフは結婚しても働いてるよ。ずっと仕事は続けたいから、女性への福利厚生は調べてるもの」

「うーん……でも接客って時間が不規則になりそうだな……。家庭内にしわ寄せがくるんじゃないかなあ……多香子がそれでいいならいいけどさ」

 納得しきれないといった祐樹の不満顔に多香子は、(女だけが家事をやるわけじゃないよ)と、言いたくなる。だが、いつまでも言い争いが収まらない気がして、その言葉を飲み込む。

 何に対してもあまり深く追求しない祐樹が、ここまでいろいろ文句があるということは、自分との結婚を考えてくれているからに違いない。そう思えば祐樹の言うことも、わからなくもない。

 取り返しのつかない喧嘩になる前に多香子は気持ちを切り替えた。

「子どもの頃から靴が好きでたまらなかったの。大人になったら絶対、靴に関われる仕事をしようって決めてたんだから。三鶴屋は確かに忙しいかもしれないけれど、三鶴屋の品揃えの豊富さと売り場の雰囲気には、ずっと憧れてた。せっかくなら好きなところで働きたい。祐くんだってそうでしょう」

「そんなに気張らなくていいのにな」

 顎の細い、剝きたての卵みたいにつるりとした今風のきれいな顔をしかめたものの、祐樹もそれ以上の意見は控え、その場はうやむやに収まった。


 そんな些細な食い違いはあったものの、多香子は就職活動に励み、無事三鶴屋に入社することができた。

 研修後、希望どおり靴売り場のスタッフとして配属され、現在はレディースシューズフロアを担当している。高級百貨店には目の肥えた年配客も多いし、常連客も多い。毎日が勉強と緊張の連続だったが、それにもようやく慣れたと、自分でも思う。

 新人時代のように仕事に振り回されなくなった多香子に、周囲は〝結婚〟を勧めてきた。

 ──もう彼とも付き合いが長いんだから、さっさと結婚しちゃえばいいじゃない。

 ──いつまでも若くないからな。

 ──ぼーっとしていると誰もいなくなるわよ。

 ──彼って結構イケメンだし、仕事もちゃんとしてるし、ぱっと見はチャラいとこあるけど、いいんじゃない。

 ──そうそう、結婚すれば軽いところのある男性でも落ち着くしね。

 祐樹との付き合いを知っている周囲の勧めに、多香子はなんとなくその気になる。

 まだ少し早い気もするけれど、付き合いだけはそれなり長い。多香子もいつかは結婚するつもりでいるし、多香子の就職に口を出してきたということは、祐樹もそう考えているに違いない。

 お互いに結婚を意識しているなら、これ以上付き合い続けるよりは、適当な時期に落ち着いたほうが互いのためかもしれない。

 ──そろそろ、結婚するのもいいよね。

 さすがに自分からのプロボーズには緊張したが、断られる気はしない。どきどきして答えを待つ多香子に、祐樹は「そうかもね」と軽く返してきた。

 祐樹の返事が曖昧で軽いのはいつものことで、これは「いいよ」という意味だ。

 両親や親しい友人に、祐樹と結婚することを告げた多香子は、あれこれ準備に忙しい。

 挙式をしないカップルも多いし、友人だけに披露するという人たちもいるし、それはそれで軽やかで、爽やかだ。けれど多香子はオーソドックスな手順を踏みたい。花嫁衣装を着て、神さまの前で夫婦の誓いをして、お世話になった人たちにお披露目する機会を作りたかった。

「あたしはそう思うんだけれど、どうかな?」

 結婚するとなれば、最初の二人のイベントである結婚式は話し合って決めたい。

「……ああ、うーん……多香子の好きにすれば」

「何、それ。祐くん、やる気ないでしょ?」

「そんなことはないけど、結婚式って女性のためのイベントだし、俺はわかんないなあ」

 正面切って反対しないものの、そう言ったきりで、祐樹は積極的に動いてくれない。

 何でも自分勝手に決めてしまう俺様男よりはずっといいけれど、こういうときはもう少し引っ張ってくれればいいのに。多香子はそう思いながらも、自分から率先して動くことにした。


「あたしたちはまだ働いて間もないから、お式はそんなに派手じゃないほうがいいと思うんだ。でも仕事関係のご招待ははずせないよね。披露宴は人数を絞って、二次会でお友だちに楽しんでもらうっていう案はどうかな?」

 食事の最中もどうしてもその話になる多香子を、祐樹は「ああ」とか「うん」とか、曖昧な返事で受け流す。

 まるで食事中に新聞を読んで、せっかく作った食事を味わわずに、妻をいらいらさせる夫のようだ。

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