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赤い靴のシンデレラ 身代わり花嫁の恋

鳴海澪

プロローグ / 1.身代わり花嫁の申し込み (1)

プロローグ



「名前を教えてください」

 をベッドに横たえた男性は、真面目な顔で多香子を見下ろしてきた。

「……知らないといけませんか?」

 一夜限りの関係なのに、名乗り合う必要があるのだろうか。

 名乗ってしまえば他人が知人に昇格する気がして、多香子は僅かに躊躇とまどう。

 だがその人は、なだめるように微笑む。

「花嫁の名前を知らないのでは格好がつきません」

 今夜だけの花嫁にしてくれと迫ったのは多香子だし、彼の言うことは筋が通っていた。自分だけが相手の名前を知り、素性を知っているのは不公平かもしれない。

 こんなときでも多香子の生真面目さが顔を出す。

まき、多香子です」

 そう言ったとたん、多香子の目にはまた涙がこみ上げてくる。

 本当ならば、今日から多香子は〝槙野〟でなくなるはずだったのに、どうしてこんなことになっているのだろう。

 どこで間違ったのか、わからない。もう少しで幸せに手が届いたのに、気がついたときにはなくなっていた。未練がましいけれど、今でも信じられない。

 だが涙が零れる前に、彼が目尻からそのしずくを拭いとる。

「泣かないでください。多香子さん」

 多香子の心の傷に薬を塗ってくれるみたいな優しい声には、同情だけではない、共感に似たものがある。

(ああ、この人も……哀しいのかな)

 もしかしたら彼だって泣きたいのかもしれない。髪に触れてくる温かい手に多香子は目を閉じる。今はもう、何も考えないようにしよう。

「忘れたいの……」

 つぶやいた唇に唇が重なる。舌が唇を割って口中に入り、柔らかい粘膜をめる。

「ん……」

 漏らした吐息も合わせた唇に吸い取られ、多香子の身体が熱くなる。

 頼りがいのあるしっかりした手が乳房をおおい、唇が首筋をった。

「いいですか?」

 密やかに尋ねる声と同時に、指先がワンピースのファスナーを引き下ろす。

 巧みな手が多香子の肌を顕わにしていく。

 肩から鎖骨、そして白い二つの膨らみが、ひんやりとした空気に包まれた。

 シャンタン織りの布地がしゃりしゃりと軽やかな音を立てて、ブルーのワンピースがベッドの脇に落ちていく。

「……ん……」

 男の目に自分の肌がさらされる羞恥に多香子は息を吐く。

 熱のある唇が喉から下りて、鎖骨のくぼみを這い、乳房の先に触れた。

「ん──っ」

 それまでの緊張と興奮のせいなのか、唇が軽く触れただけで、多香子の身体に鋭い刺激が走り抜ける。力の入った脇腹を男の手が緩やかにでて緊張を解き、ももの間へと流れた。

「……あ……」

 反射的にきゅっと力の入った内股を優しくその人の手が這い、奥の密やかな場所へと辿たどり着く。

(あたしは……本当に何をしているのだろう)

 ふと過ぎった疑問も、よどみのない指先の動きにやがて解け、跡形もなくなっていった。

1.身代わり花嫁の申し込み



 槙野多香子は一足歩くたびに、爽やかに吹く四月の風より、おろしたての靴のことを考える。

 ずっと憧れていて、いつか買おうと決めていた『Christianクリスチヤン Louboutinルブタン』のパンプス。

 上品なヌードカラーに、折れそうなぐらい細く高いピンヒール。そして歩くたびにちらりと見える靴底は上品に見える第一印象を裏切るこのブランドならではの、挑発的な赤。

(一歩いくらになるかな……歩けば歩くほどコスパは上がるけど、靴は傷むよね)

 今日が六月の梅雨時期じゃなくて良かった。多香子の胸の内とは真逆の晴天なのが唯一の救いだ。

 細く高いヒールで膝が曲がらないように気をつけながら、多香子はボーナス払いで買った靴の値段を頭から追い出す。

 どうせ今日の結婚式に出るために、なんだかんだと金は出て行っているのだ。いまさらどうってことはない。

 から元気で自分を鼓舞しつつも、気の進まない道すがら、多香子は本日の出費を計算してしまう。

 セミロングヘアーの美容院セット代金四千円。

 シャンタン織りのワンピースは、ネット通販で探しまくって見つけた、ラスト一点物セールの二万八千円。色はロイヤルブルーと鮮やかだが、花嫁を引き立てる控えめなAラインは値段以上の見てくれのはず。

 パール入りローズカラーの口紅、千円。手持ちの赤では青い洋服には悪目立ちし、仕事で使っているベージュラインでは祝いの席に相応しい華やかさにかけた。一度切りしか使わなそうなリップに出せる、ぎりぎりの値段でチョイスした。

 美脚を作る着圧ストッキング三千五百円。憧れのブランドを履くのに、五足セットの安売りストッキングなんて、靴に申し訳ない。

 以上、全て消費税別。

 そして披露宴ご祝儀三万円、こちらは税込み。

 一桁間違っているとしか思えない靴の支払いと合わせて、いったいどれだけ使ったんだろうか。

 社会人としてのたしなみ。

 友人の晴れの日を祝うのにみっともない格好はできない。

 どんな理由をこじつけたところで、出て行った金が戻ってくるわけでもなく、自分が馬鹿なことは間違いがない。

 髪はドライヤーとムースで失礼ではない程度になんとかできただろうし、洋服ならば、昨年行われた友人の結婚式で着たワンピースでも良かった。招待客も違うから、髪形やアクセサリーで変化をつければ、同じ服でもそうそう気づかれないだろう。

(第一、気づかれようと、みっともなかろうといいじゃない──祝う気持ちなんて、これっぽっちもないくせに)

 多香子は高級パンプスの足先にぎゅっと力を込めた。

 本当に祝う気持ちがあるんだったら、この靴は買わない。

 一番美しくあるべき花嫁が履く靴より絶対に高価なヒール。淑やかな曲線からは想像もできない、挑むような真っ赤な靴底。

 ──おめでとう。きれいだわ。

 そう言いながら花嫁に向かっていくとき、多香子の足元がきっと招待客の目を引き寄せる。

 ──あら、とても素敵な靴だけど……こういう場にはちょっと派手すぎじゃないかしら。あの靴……。

 ──あれじゃ花嫁より目立ちたいみたいじゃないの。

 口うるさい親戚たちが、ひそひそとささやき合うのが聞こえるようだ。

 多香子だってわかっている。礼儀に厳しい祖母は、親族が集まる法事や祝いの席での、孫たちの振る舞いや服装にうるさかった。そのおかげで多香子は社会人になる前から、ある程度の冠婚葬祭のマナーが身についていたと、自分でも思う。

 結婚式は花嫁を引き立てつつ、花を添えることが友人の役割であり、エチケットだ。だから本当は、シンデレラのガラスの靴のように、履くだけで主役になれるものを選んではいけない。

 今日選んだこの靴には、履いた女性を主役にする力がある──それを承知で、多香子はこの靴を買った。

(だって、本来ならば今日の主役はあたしだったんだから)

 多香子は顔を上げて、膝を伸ばし、精一杯靴が美しく見えるようにひたすら前に進む。

 だが多香子の頑張りは、披露宴が催されるホテルに着くまでしかもたなかった。

(あ、足が突っ張る……もう駄目)

 入り口で会釈をするベルボーイに引きつった顔でなんとかうなづき返した多香子は、よろよろとロビーの椅子に向かう。

 こういうピンヒールを履く女性は車を使うべきだ。この靴で五分以上、アスファルトの上を歩くなんて馬鹿げている。

 最寄り駅からホテルまでタクシーを使わなかったのを後悔しながら、多香子は倒れるように座り込んだ。

 さつそうと歩いたつもりだったが、真新しいピンヒールはハリウッド女優でもパリコレのモデルでもない多香子には荷が重すぎる。

 無理をしすぎてしびれたアキレスけんを、深く屈み込んだ情けない格好でんだ。勢い込んで歩いたせいで、せっかくアップにしたヘアスタイルも崩れたような気がして、いっそう滅入る。

 なんとか足を宥め、十二階の披露宴会場に行って、心穏やかな笑顔を見せなくてはならない。

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