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人狼ゲーム

川上亮

主な登場人物 / プロローグ

 プロローグ 

 

 しなあいは夜の商店街に立ち、慣れ親しんだバイト先の建物をながめていた。

 店の前からは雑誌の棚が消えている。ガラスの壁にはポスターも新刊予定表も貼られていない。おかげで外から一階の隅々まで見渡せてしまう。

 中の書棚は大半が撤去されている。ほんの二週間前までは床から天井までびっしり本で埋まっていたというのに。

 まるで別の星の光景を見ているかのようだ。

 愛梨は高校に入ってからの一年半、ずっとこの店で働いてきた。時給は決して高くなかったが、職場を変えようと思ったことは一度もない。この店には言葉では表せないほどの愛着がある。

「大丈夫?」

 隣で同じように店を見ていたが声をかけてきた。

 彼は半年ほど前から店で働いている大学生だ。愛梨よりも三つ年上。シフトが重ならないためあまり話したことはないが、独特の雰囲気を持った人だな、という印象は抱いている。

 店ではほかに三十代と五十代の女性が一人ずつ、アルバイトスタッフとして働いていた。彼女たちは予定が合わなかったため、今日は顔を出していない。

「はい」

 鼻声になった。いつの間にか涙ぐんでいたらしい。

「でも、くやしいです」

 がねを押しあげ、目もとを袖口でぬぐった。

「なんで万引きなんか……理解できません」

 店は繰りかえされる万引きのために、ずいぶん前から経営難に陥っていた。たしかに売上も徐々に落ちていたらしいが、それでも閉店に追いこまれるほどではない。直接の原因は、やはり万引きだ。被害額は月に十数万円、ひどいときは数十万円にも及んでいたらしい。

「うん」

 彼は静かにこたえた。

 なにを考えているのかはわからない。ふだんどおり落ちついているように見えるが、実際ははらわたが煮え繰りかえっているのかもしれない。

 愛梨と同じように。

「わたし」

 と愛梨は続けた。あふれる感情を抑えられない。

「昔から本ばかり読んでました。小学校の図書室にある小説はぜんぶ制覇しちゃったぐらい。それで、あるときこの店の前を通りかかって、新しくてきれいな本はいいなぁって。まるで宝石みたいにキラキラしてるなぁって。そんなことを考えながら見てたら、なおしまさんが声をかけてくれたんです」

「あの直島さん?」

 津野がちらりと店のほうをうかがう。中では店主の直島が最後の点検を行っている。

「はい。あの直島さん」

 彼は現在、六十歳ぐらいのはずだが、当時からほとんど外見が変化していない。おそらく十年後も同じだろう。

 目を閉じると、当時の光景が昨日のことのように浮かんでくる。

「直島さん、いろんなことを教えてくれました。外国の作家のこととか、歴史上の人物のこととか。本もたくさん貸してくれました。悪いからいいですって断っても、大人になって常連になってくれたらいいって」

「あの人らしいね」

「そう思います。それで、ほとんど毎日通うようになって。少ないお小遣いはぜんぶこの店で使って」

「なら、もう十年ぐらい?」

「そうですね。ちょうどそれぐらい」

 そうだ、愛梨は人生の半分以上をこの書店と一緒に過ごしてきたのだ。

 この店は世界中で最も落ちつける場所だった。

 愛梨の両親は十年以上前に離婚している。愛梨は母親に引きとられたのだが、その母親は離婚後すぐに再婚した。相手に連れ子はおらず、いまのところ弟や妹はできていないが、それでも愛梨は、家では常に居心地の悪さを感じている。

「だから、バイトに雇ってもらえたときは本当にうれしくて」

 なのに、その店が、この世界からなくなろうとしている。

 あまりにも理不尽だ。到底、受け入れられるものではない。

 中の階段から店主の直島が下りてきた。

 彼はいったん立ちどまると、店内をぐるりと見渡し、ゆっくりと息を吐きだした。

 照明を落とし、店の外へ出てくる。

「悪かったね。待ってなくてもよかったのに」

「はい。でも、なんとなく」

「そうか」

 直島は店の看板を振り仰いだ。これも一週間後には業者によって撤去されてしまうという。

「潮時だったんだよ。僕もガタがきてたしね」

 直島の今後の生活について、愛梨はなにも知らない。

 ずっと気になってはいたが、実際にいてみる勇気は持てなかった。「どうすることもできない」などと返されるのが怖かったからだ。どんな反応をすればいいのかわからない。

 彼の妻は専業主婦だと聞いている。息子たちはもう独立したという話だが、それでも彼ら自身の生活費は必要だろう。

 次の仕事のあてはあるのだろうか。

 一介の高校生に過ぎない愛梨が気にすること自体、おこがましいのかもしれないが……。

「見納めだね」

 直島がぽつりとつぶやき、また息を吐きだした。愛梨たちのほうを振り向く。

「閉めるけど。二人とも、もういいかな」

「はい」

 愛梨はなんとかこたえた。津野も隣で小さくうなずいている。

 直島が店からかぎつきの棒を持ちだした。せんたんをシャッターの金具に引っかけ、ガラガラと音を立てて下ろした。

 これで本当に終わりなんだ……。

 本格的に泣いてしまうかと思った。だが不思議と涙はこぼれなかった。それでも胸の奥の熱さだけは、火傷やけどしそうなほど強く感じていた。

 直島が棒を壁に立てかけ、地面に埋めこまれた金具とシャッターとをなんきんじょうでつないだ。

「お給料はちゃんと振りこまれるから。安心して」

 そう言い、はにかむように笑った。

 つられて津野が苦笑する。

「心配してないです」

「そりゃよかった」

 直島は愛梨たちと正面から向きあい、姿勢を正した。

「それじゃあ、気をつけて。また会いましょう」

「はい。あの……本当に、お世話になりました」

 愛梨は頭を下げた。何度目の挨拶かわからない。同じ言葉を今日だけでも五、六回は繰りかえしている。

「こちらこそ、ありがとう」

 直島は目を細め、軽く会釈すると、ひょこひょことした足取りで去っていった。

 通行人の数は少なかった。郊外にあるちっぽけな街の商店街は、驚くほど夜が早い。

 なぜか動きだせなかった。それは隣の津野も同じらしい。

 二人で直島を最後まで見送り、その背中が視界から消えたところで、ようやく息をついた。

「なんか食べる?」

 津野が訊いてきた。

 愛梨は一瞬なにを言われたのか理解できず、馬鹿みたいに「食べる?」と訊きかえした。

「うん。夕食、よかったら」

「ああ……いえ、いいです。お金ないですし」

「ごちそうするけど」

「いえ……」

 だれかと語りたい気もする。この店で過ごした日々について。

 だがそのための活力が湧いてこない。今夜はまっすぐ家に帰り、これまでに店で買った本を順番にながめ、一人で感傷にひたろう。

「すみません。今日は帰ります」

「そっか」

 彼は腕時計で時間をたしかめた。まだせいぜい夜の七時半といったところだ。

「これで終わりっていうのもさみしい気がするし。また声かけてよ。俺も声かけるし。連絡先、あるよね?」

「はい」

 急なシフトの交代を頼んだりするため、アルバイトスタッフの間ではお互いに電話番号やメールアドレスを交換している。

「落ちついたらメールします」

 本心からの言葉だった。

 彼の言うとおりだ。これで終わり、というのはあまりにもさみしい。彼ともまた会いたいし、店主の直島やほかのスタッフともまた会いたいと思う。

「それじゃあ、失礼します」

「うん。気をつけて」

 店の前で別れた。

 彼は駅から電車に乗るが、愛梨はここから徒歩十五分ほどの場所に自宅がある。直島も歩いて店に通っていたらしいが、愛梨の家とは方向が逆だった。

 一人で古い住宅街を歩いた。ひとはないが、街灯が多く治安もいいため、特に不安を感じたことはない。

 少なくともこれまでは。

 古いマンションの前に差しかかったところで、黒塗りのどっしりとした車に追い抜かれた。

 車はみるみる減速し、歩道との距離を詰め、愛梨の十メートルほど前で停まった。助手席側から女性らしき人影が出てくる。

 その女性が振りかえった。街灯に照らされ、姿が浮かびあがった。三十歳前後といったところか。美人だ。見覚えはない。

 なんとなく嫌な感覚はあったが、引きかえす理由もないため、愛梨はまっすぐ歩きつづけた。

 女性との距離が縮まる。

「仁科愛梨さん」

 女性が声をかけてきた。

 問いかける口調ではなかった。あくまで確認しているだけ、という印象だ。

 だれだろう。なぜわたしの名前を知っているんだろう。

 バイト先の常連さん? 出版社の営業の人? 運送会社の人?

 わたしが忘れているだけで、実は前に会ったことがあるのだろうか……?

 たとえそうだったとしても、いきなり夜道で声をかけてくる、というのは不自然な気がする。

 愛梨はためらいつつも、声を返した。

「すみません、ちょっと曖昧なんですけど──

 女性との距離がさらに縮まる。

 と、唐突に車の後部ドアが開いた。中から女性よりも一回り大きな人影が出てきた。

 その人影がにゅっと腕を伸ばした。

 逃げなくちゃ、と思う間もなく、脇腹に強烈な痛みとしびれを同時に覚えた。

 目の前が暗くなった。

 夜空が足の下にまで広がり、そこへ吸いこまれていくような気がした。

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