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幼獣マメシバ 望郷篇

大月小夜

第一章 (2)

 しかし連れの獣はそんなことを思いもしないのだろう。

 何故か顔を出したままきゅんきゅんと切なげに鳴き始める。

 視線の先を見れば、これ見よがしに老婆が魚肉ソーセージを食べていた。

 一郎の言い分としては「あれが食べたい」で、老婆としては「これが食べたかろう」と、まさに釣られる者と釣る者。わかりやすい思惑がそこにあった。

 が、二郎はそこに巻き込まれてやるほどお人好しではない。

「無視無視。『田舎のバス停で魚肉ソーセージを食べている老婆を信用するな』という格言がある」

 さっさと行こうとすると、バスの中から声をかけられた。

「ちょっとお客さん。お金、足りませんよこれ」

「はい?」

 振り返ると運転手がこちらに向かって手を出している。

「あと四二〇円」

「高っ。っていうかバスって全国二一〇円均一じゃないの?」

 バスの乗車経験が少ない二郎は本気でそう思っていた。

 運転手はやれやれと首を振り、ふと何かに気付いたように眉間にシワを寄せた。

「それ犬じゃないですか」

 その視線の先には二郎の鞄から顔を出している一郎。

 一郎の視線は相変わらず老婆の持つ魚肉ソーセージにくぎ付けだ。鞄がもごもごと動いている辺り、中で尻尾も振っているかもしれない。

「うむ。絶賛、いぬいぬしく犬しておる。犬以外には見えませんな」

「うちのバス、動物禁止ですよ。乗せてたんですか」

「そんなご当地ルールは知らんゆえ。後の祭りってことでスルー希望」

「そうはいきませんよ。何か身分証明書を見せてくれますか」

 二郎は身分を証明出来るようなものを持ち歩いてはいない。

 あるとすれば一郎の動物病院の診察券だが、それも旅先で一郎が体調を崩した時に電話するように持ってきただけで、当然二郎の身分を証明してくれるものではない。

 さして困ったようでもなく、二郎は「ふむ」と顎の下を指でいた。

 間が空けば空くほど、運転手の目つきは厳しくなっていったが、警察に何度か職務質問されたことのある二郎には慣れたものだ。

 妙な空気が流れるのを見かねたように老婆が言う。

「偉そうに。こんなボロバスで金とるなんて犯罪だよ」

「婆ちゃんは老人パス持ってるから金払ってないだろ。ルールはルールなの」

「けっ。いっそバスなんて無くしたらいいんだ。そうすりゃみんな歩く」

「皆、婆ちゃんみたいに元気なわけじゃないんだよ」

 ポンポン交わされる運転手と老婆のやりとりを適当に聞き流ながしながら、二郎は一郎の目頭に目ヤニがついているのに気付き、指で拭ってやる。

 犬は目ヤニを適度に取らないと目の下がただれる『涙やけ』という病気になってしまうのだと、勤めているペットショップの店長から教えてもらった。それを聞いたきっかけは客が「この子、涙やけが酷くて」なんて相談にやって来た時だったが、その時の二郎は病気のことも知らなかったので「涙を流すのは悲しいことがあるから。その悲しみをなくしてやればいい」なんてアドバイスをしていた。

 店長はそんな対応をしていた二郎を怒るでもなく、丁寧に説明してくれた。

 思えば二郎がペットショップに客として通っている頃から何かと融通してくれたり、アルバイトとして二郎を雇った後も一郎のエサ代を割引してバイト代から天引きしてくれたりと、後光が見えそうなほどよくしてくれている。

 ただ服装がダルメシアン柄の着ぐるみだったり、耳や尻尾、犬用の首輪などをアクセサリー感覚で着けているのはどうかと思うが、間違いなくいい人だ。

 こうも長い間仕事を休むならやはり他人に頼まず、自分で一言言うべきだったかと思う。

 しかし、まあ今さらか、あの店長ならきっと許してくれるだろうし、と自己完結した。

 一郎は一郎で、二郎の指についた自分の目ヤニの臭いを興味深そうに嗅いでいる。毎回の事なのでそろそろ慣れて来たが、何故そんなに嗅ぎたがるのかいつも謎だ。

 と、現実逃避をしていた二郎を、運転手の「あのね」と強い声が引き戻す。

 まだ運転手と老婆のやりとりは続いていたのだ。

「今度の選挙でさぶろうさんが勝ったら変わっちゃうよ、この辺。そんな失礼な口利けなくなるからね」

「変わんないよ」

「喜三郎さんをナメない方がいいよ、婆ちゃん」

 いつの間にか島の中の抗争にまで話が発展したらしく、二人の間に対立を見た二郎は思わずポロリと言う。

「キサブローさんが島のヒーローなのね」

 はっと二郎の存在を思い出した運転手がすぐさまこちらに向き直った。

「すいません。身分証、いいですか?」

 戻ってしまった話に二郎は失敗したとまた顎を搔き、自分の財布の中を見る。

 口が裂けても多いとは言えない残金。あてのない旅。連絡がつかない〝べーちゃん〟。

「……いたいな」

「はい?」

「ここで四二〇円は痛い」

 後々を考えると、ここでの出費は少ないに越したことはない。そんなわけで二郎は一歩老婆に寄って、運転手に言った。

「僕はこの老婆の意見にくみしたいと思う。郷に入りては郷に従えと言う言葉もある。古き良き習慣を侵すのは土地へのぼうとくとも言えよう」

「無賃乗車は古き良き習慣じゃないんですけど」

「無賃ではない。三分の一はすでに払った」

「確かにそうですけど」

 運転手は納得してはくれない。払うものを払ってないのだから当たり前だ。

 だがこのまま長引けばバスの運行時間に支障を来たすのは明白で、となれば運転手の方が引かざるを得まいというのが二郎の目算だった。

 しかしそんな展開を裏切るように、老婆がひょいと二郎の鞄から一郎を抱き上げた。

「よーしわかった。あんたを雇う」

「は?」

 声を出したのは二郎か運転手か。固まる男二人を置いて、老婆はさっさと行ってしまう。

 ついでに大きな風呂敷包みも置いて行かれていた。妙にゴツゴツしていそうなそれは、二郎の鞄の三倍はありそうな大きさで、嫌な予感の塊だった。

「さ、仕事に行くよ。それ持っておいで」

「うおーい」

 声をかけても老婆の歩みは止まらない。残された二郎は一応、運転手に聞いてみる。

「さて、どうしたものか。雇われてしまいました」

「あんた本気? やめといた方がいいよ。あの婆ちゃんはああ見えて資産家で、行商なんかしなくたって悠々自適に暮らせるんだよ。毎日ここで内地の人を物色している変人だ」

 同情してくれているのか、運転手の口調はちょっと優しくなっていた。

 これならあと一押しだ。

「一応、犬ドロボウの被害に遭ったので、追いかけてもいいすか?」

 運転手は諦めたように、「もう……いいよ、行って」と言った。

 許しが出たので二郎は老婆の残した荷物を背負おうとして──重さに負けた。

 なんと言うか、全身が無理と言っている。物理的に無理。精神的に無理。

 だって重いもの、これ。

 しかし老婆が歩みを止めることはなく、連れられている一郎も離れてしまう。

 どうにもならなそうな二郎に運転手があきれたように言った。

「それ、あの婆さんが持って来たんだよな? そんなに重いわけないだろ。軟弱だな」

「軟弱なのは認めるがね。持ってみ、これ。無理っすわ」

 そして運転手は仕方なさそうに手を貸してくれた。二郎に背負わすべく荷物を持った瞬間、運転手も「重っ」とらした。

「でしょ? あの老婆なんなの。アスリート?」

「いや、違うと思うけど、すげーな、あの婆さん」

 男たちはぜんとして、老婆の背を見る。

 最終的に、運転手は完全に同情してくれているらしく、「じゃ、頑張って」と二郎にエールを送ってくれた。だからといって背負った荷物の重みが変わることはなかったが。


 よたよたと覚束ない足取りでどれほど歩いただろう。

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