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くろねこルーシー ~はじめての子育て~

矢立健太

第一章 黒猫と占い師 (3)

「来てたんだ」

 そう声をかけると、幸子は手を止めて振り返った。

「ああお帰り。遅かったね」

 壁の時計をいちべつする。

 彼女は今日のように、たまに家を訪れては料理を用意してくれる。鴨志田が人並みに稼ぐようになればいつでも戻ってくる、という意思表示らしい。

 ありがたいと思うし、だからこそがんばらねば、とも思う。

「家の前に黒猫がいてさ。ちょっと手間取った」

「また逃げてたの?」

「黒猫は魔女の使いだからね。横切られたら最悪だし」

「相変わらずいまを生きてないわね」

 あきれたように言い、また包丁を構える。

「だって黒猫だよ?」

「黒猫から尻尾しつぽ巻いて逃げる人の占いなんて、だれが信じるのよ」

 言い返したかったが、言葉が見つからなかった。

 バツが悪くなり、鴨志田は台所を離れた。

 居間では息子の陽が床にノートを広げ、絵を描いていた。

 それを横からのぞきこむ。

「陽くん、今日はなに描いてるの?」

「父親が息子をくんづけしないで」

 台所からとげのある声が飛んできた。

 たしかに父親が息子を「くん」づけで呼ぶのは不自然かもしれない。だがどうしても呼び捨てにできないのだ。名前だけで呼ぶのは、なんだか妙に偉そうな気がする。

 気を取り直し、鴨志田はあらためて身をかがめた。

 息子の陽は質問にこたえず、黙々とクレヨンを動かしている。

 その絵を一目見て、鴨志田は悲鳴をあげそうになった。

「幸子、陽くんが変なもの描いてるよお」

 陽が描いていたのは、よりによって黒猫の絵だった。

「私もさっき見たけど。かわいいじゃない」

「信じがたい感覚だ」

 帰り際に見た黒猫のことが思い出された。ルーシーという名前だっただろうか。あの黒猫を探していた男性といい、陽といい、幸子といい、みんなどうかしている。



 玄関で靴を履く幸子に、鴨志田はたずねた。

「一緒に食べないの?」

「家で済ませてきたの」

「なんで?」

 わざわざ料理を作りにきてくれるのに、幸子はいつも食べないで帰る。彼女なりのこだわりなのだろうが、あまりにも効率が悪い。

「あそこが帰る場所だからよ。いまの、私の」

 あなたが一人前になるまでは帰らない、とあらためて言われたような気がした。

「そっか……」

「ねえ」

 陽が靴を履くのに手を貸しながら、幸子がつぶやくように言った。

「いつまで続けるの? 占い」

「なんで辞める前提かな」

「あんなのが仕事だなんて、認めてませんから」

 それだけ言い残し、幸子は陽の手を引きながら玄関を出ていった。

 目の前で閉じられた引き戸を、鴨志田は意味もなく見つめる。

「いつまで、か」

 鴨志田が占いを始めて半年が経つ。

 始めたきっかけは師匠との出会いだった。会社をリストラされ、途方に暮れていた鴨志田は、たまたま百貨店のイベントスペースで店を出していた師匠に将来を占ってもらった。そこで「仕事がないなら占いをやってみないか」と誘われたのだ。

「さすがになんとかしないとなぁ」

 現在の売上の少なさは致命的だった。これでもし持ち家に住んでいなければ、とっくの昔に飢え死にしている。

 幸子の作ってくれたカレーをよそい、居間へ移った。座布団の上に腰を下ろし、一人さみしく食べはじめる。

 カレーを口へ運びながら、そばに置いていたチラシを手に取った。チラシの上部には「Dr.鴨志田 占いの館」と大きな文字で書かれている。その下にはスーツの上からマントを羽織った鴨志田の写真。

 わざわざ宣伝のために作り、数日前からショッピングモールの入口に置かせてもらっているものだが、いまのところ効果は表れていない。

 あらためて写真を見下ろした。

 写真の中の鴨志田は、ぎこちない愛想笑いを浮かべていた。

「キャラが立ってない、か……」

 やはり、えないサラリーマンにしか見えない。



 店のに座り、鴨志田は手もとのナイロン袋からべっ甲柄の眼鏡めがねを取り出した。先ほどショッピングモール内の雑貨屋で買ってきたものだ。

 そのままかけようとするが、なんとなく気恥ずかしく、思わずきょろきょろと周囲を見まわしてしまう。

 ひとがないことをたしかめ、そうっと耳にかけた。さらに、両腕にはガリンシャからもらったブレスレットを一つずつはめてみる。

「……ねえ、なにそれ」

 上から降ってきた声に、思わずひっくり返りそうになった。

 見ると、ガリンシャが間仕切りの上から顔をのぞかせていた。薄気味悪い笑みを浮かべている。どうやらずっと前から見られていたらしい。

「キャ、キャラ? ですかね」

「ものすごい中途半端。なにやってもぱっとしないわね、あんた」

 見るからにキャラの濃いガリンシャの言葉には、有無を言わせぬ説得力があった。

 彼女は自分の頭に手をかけた。

「ほら。これも使っちゃう?」

「いえ、けっこうです」

 反射的に断る。さすがに銀色のカツラをつけるのはやりすぎだろう。

「あっそ」

 ガリンシャがつまらなそうに言う。

 彼女はフロアのほうへ目を向けると、こんどは含み笑いを漏らした。

「例の子、また来たみたいよ」

 言われて鴨志田も目を向けてみる。

 たしかに若い女性──さわカヨがペットショップの横を歩き、鴨志田のブースへと近づいてきていた。

 彼女は鴨志田の、唯一の常連客だ。年齢は二十三歳。いつも薄手の茶色いロングコートを羽織り、赤い縁のサングラスをかけ、ベレー帽をかぶっている。変わった風貌のせいで常に周囲の視線を集めているが、本人はまったく自覚していないらしい。

 カヨは迷うことなく鴨志田の前に座り、わずかに首をかしげた。

「あれ。なんか……眼鏡」

「ちょっと、キャラを立てようかと」

 ははは、と愛想笑いしてみせるが、カヨは眉一つ動かさない。むしろ冷たい目でじっと見つめてくる。

 微妙な空気に耐えられなくなり、鴨志田は伊達眼鏡とブレスレットを外した。

 やはり、慣れないことをするものではない。

 視界の隅では、ガリンシャが必死に笑いをみ殺していた。



「──昼起きてパン食べてトイレ行って、あとずっとテレビ。バイト探せって親がうるさいけど、世間はいま就職難なんだし。少ない働き口は困ってる大学生たちに譲るのが一番でしょ?」

 カヨはめ込んだものをすべて吐き出すかのように話した。

 とりあえず鴨志田は「そうですね」と相づちを打っておく。

「でしょ? で、週一でここに来るのが自分的なノルマなの。みんなに引きこもりって言わせないためのアリバイ」

「たとえアリバイでも、来てくれてうれしいです」

 常連の存在は仕事を続けていく上での励みになる。おまけに──カヨの親御さんには申し訳ないが──収益も増えるので、かなりありがたくもあった。

「鴨志田さん、話合わせてくれるし」

「そうですか?」

「そう。それにあたし、こう見えて人と話すのって嫌いじゃないんだ。家でもずっとテレビに話してるし」

「あ、それは僕も話しますよ。思わずタレントの言葉にうなずいたり」

「そうなんだ」

 カヨは嬉しそうに頬を緩めた。

 急になにか思い立ったらしく、前のめりになる。

「ねえ。あたし、鴨志田さんのことが聞きたい。結婚してる?」

「してますよ」

 そうこたえたあとで、不本意ながらも付け加えた。

「……別居中ですけど」

「子供は?」

「いますよ」

 そうこたえたあとで、やはり不本意ながらも付け加えた。

「……まったく懐いてませんけど」

 昨日の、家でのやりとりが思い出される。幸子は相変わらず戻ってくれそうにないし、陽に至ってはまともに口すらきいてくれない。

 カヨの質問攻めはなおも続いた。

「なんでお客が来ないと思う?」

「占いがだめだから、ですかね」

「え、でもは人にうつしたら治ったし、お酢ずっと飲んでたら身体柔らかくなったよ」

「お酢、飲んでたんですか?」

 カヨは鴨志田から聞いた言い伝えの数々をすべて実践してくれていたらしい。

 それ自体は嬉しいと思うが、素直には喜べなかった。

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