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幸福をもたらす三毛猫 御子神さん

永森裕二

序 章 はじめのいっぽ






 その猫は、雨の交差点にいた。

 大粒の雨がまるでスローモーションの様に落ちていた。

 ビタ。ビタ。雨粒は猫の足元で次々にはじける。

 水分を含んだ体が重かった。

 雨なのに、月明かりが鮮明に周りを照らしている。

 妙な夜だった。

 車通りも無く、猫はアスファルトのにおいをぎながら、交差点の中央に進んだ。

 タイヤのわだちまった雨が、猫の姿を映した。


 生まれて初めて、猫は自分を見た。


 あまりにも小さく、せた三毛の子猫。

 雨粒が水溜りを揺らした。

 ぐにゃぐにゃに映っている自分を、猫はじっと眺めていた。

 それはまるで、自分自身を受け入れているかの様だった。

 やがて、猫はかすれた鳴き声を自分の姿に投げかけた。

 猫は初めて、自分の意思で鳴いた。

 それは、消え入りそうだが、しっかりとしんがある「声」だった。

「お前は僕か?」

 水溜りの猫も、同時に問いかけてきた。

 もう一度鳴いた。

「そうだ」と。

「お前は僕だ」


 周りを見た。自分と同じ様な生き物がいないか探した。

 猫は一人だった。

 生まれてからずっと一人だったのか、家族とはぐれてしまったのか。

 記憶はなかった。

 幸せを知っているから孤独になる。

 だから、猫はまだ孤独じゃなかった。


 そうして、孤独じゃない猫は、また、歩き始めた。



 自分と同じ生き物に初めて会ったのは、晴れた日の朝だった。

 その白黒の猫は、締め切った窓の中からこっちを見ていた。

 軒先を通りかかった時、視線に気付いた。

 自分と同じ形だと思った。

 でも仲間だとは思わなかった。


 なぜなら、彼の目が「安心」していたから。

 水溜りに映った自分の目と違う気がしたから。


 確認したくて、白黒がいる窓に近付いた。

 白黒は、じっとしたままこっちを見下ろしている。

 猫は鳴いた。確認したかった。

「お前は、僕か?」

 白黒は答えなかった。しばらく見下ろしていたが、ぷいと家の奥へ行ってしまった。

 一人残された猫は、あいつは僕じゃないという結論に達した。

 自分と同じ形だけど、同じじゃないのがいる。

 ガラスの向こうで生きている。安心顔の奴。

 うらやましくなかった。

 ガラスの向こうで生きることがどういうことか、知らなかった。

 走り出した。

 なぜだか一刻も早く、ここを離れたかった。

 よく晴れた朝、汚れた子猫は生まれて初めて無意味に走った。



 駐車場の車の下で寝ていたら、雷が鳴った。

 猫はビクリと起きた。

 稲光とごうおん。恐ろしかった。どうしたらいいか分からなかった。

 車の下で、ただ震えた。

 そっと外を見た。

 隣の車の下に、トラ柄の猫がいた。

 同じ様に雷におびえ、空を見ていた。

 自分と同じ様に、ただ震えていた。

 猫は、生まれて初めて他の誰かと「同じキモチ」だと思った。

 雷は強く激しく鳴り続けている。

 でも、猫は、なんだかうれしかった。

 あいつも弱ってる。僕も弱ってる。

 覚悟して、外に出て行った。

 トラ柄のいる車の下へ潜り込む。

 トラ柄が気付いた。初めて見る相手に警戒していた。

 歩を止めた。トラ柄の目が、拒絶していた。

 その時、沸き起こった気持ち。

 相手に理解してもらいたい気持ち。

「恐いね」「一緒にいよう」

 どう伝えたらいいのか分からない。ただ、トラ柄の怯えた目を見続けた。

 やがてトラ柄は、何かのスイッチが入ったかのように駐車場から駆け出て行った。

 雷が鳴る、恐ろしい空の下の方が、自分といるよりマシなんだと思った。

 猫は、トラ柄がいた辺りにベタリと伏せた。

 確かに一緒のキモチだったんだ。

 それで少し嬉しかったんだ。

 猫のココロに、小さな芽が顔を出した。



 人間はごはんをくれる。

 なぜくれるのか、猫には分からない。

 そして、猫が食べている様子を、ただじっと見つめている理由も分からない。

 一緒にいたいのかなと思った。

 あの雷の日の自分の様に。

 何か恐いのかな。

 でも食べ終わると、人間はすぐいなくなってしまう。

 付いていこうとすると、追っ払われる。

 なんだか分からない。

 人間には付いていってはいけないんだと思った。

 きっと付いて行っても、もうごはんは無いのだろう。


 この小さな公園に居ついて、どのくらいになるだろう。

 いつの間にか、ここから出るのがおっくうになってしまった。

 だって、毎日決まった時間に、色んな人間たちがごはんをくれるから。

 好きな時に寝れるし、雨を避ける遊具もある。

 ここでいいと猫は思った。

 たくさん歩いてきたけど、ここよりいい所は他になかった。


 時々、他の猫が入ってくる。

 たまに人間がくれるごはんを一緒に食べる。

 でも、それだけ。

 ごはんが終わったら、みんなかへ帰って行く。

 人間と一緒。

 きっと僕がここにいる様に、みんなにも何処かがあるんだろうと猫は思った。

 みんなのいる場所に興味はなかった。

 ここよりいい場所なんて無いと思っていたから。

 ただ……

 あの雷の日に芽生えたココロは、くすぶっていた。

 それは、みんなと一緒のキモチを持つこと。

 分かり合える喜び。

 でも猫はまだはっきり意識していない。

 そんな感情らしきものを、なんとなくひきずったまま、

 今日も茂みのベッドで丸くなった。



 その人間は、他の人間とは違っていた。

 毎日ごはんをくれるし、食べている猫をじっと見ているのも一緒。

 少し変わった匂いがして、縮れた毛がずいぶんと長いけど。

 だが、その人はごはんが無くなっても帰らなかった。

 それどころか、夜になると、公園の茂みで猫と一緒に寝るのだ。

 そして、とうとうその人は、公園に居ついてしまった。

 猫は自分の居場所に人間が入ってきたことが嫌だった。

 生まれて初めて威嚇らしきものをしてみた。

 でもその人は、ここから出ないと決めたかのように、猫を抱きしめた。


 生まれて初めて、猫は人に抱きしめられた。

 温かく、体がフワっと軽く、心が騒いだ。

 色んなものを支えていた足が、宙に浮いた。

 幸せ。

 ココロに芽生えていた芽の、その意味を猫は理解した。

 これを幸福という。

 誰かに頼れる幸せ。

 誰かに頼られる幸せ。

 その晩、その人は猫を抱いて寝た。



 その人は、朝早く起きると公園を出て、何処かへ行く。

 しばらくすると、ごはんを持って帰ってくる。

 それからまた一緒に寝て、少し涼しくなるとまた起きて公園を出て行く。

 でも心配しなくても必ず夜になると帰ってくる。

 朝よりも豪華なごはんをくれる。

 二人で食事をして、そしてまた眠る。


 猫は幸せだった。

 この人と、僕は、なんとなく一緒のキモチだと思った。

 雨が降れば、遊具の下で二人で止むのを待った。

 雷だって恐くなかった。

 風の強い日はホコリが舞うので、その人が寝ている紙のベッドで風を避けてくれる。

 これまで当然だと思っていた嫌なことが、どんどん無くなっていった。

 このままずっと、このまま。

 猫は、そう信じて疑わなかった。



 最近朝になると、吐く息が白い。

 その人は寒さをしのぐために、どこからか毛布を調達した。

 これにくるまるととても温かくて、猫はすぐ眠ってしまう。

 その人のぬくもりも、猫は大好きだった。


 ある日、目覚めた。

 寒くて、目覚めた。

 毛布にちゃんとくるまっていたのに、寒かった。

 隣に寝ているその人から、温もりがなくなっていた。

 猫は直感する。

 何かよくないことが起きた。

 猫はその人を起そうと思った。

 触ってみた。

 その人は、冷たくなっていた。

 伸びきった髪を前足でき分けて、顔をめた。

 その人は、動かなかった。

 もう二度と動かないと思った。

 それでも舐めた。

 舐めて暖めて、キモチを伝えれば、その人が動くかもしれない。

 猫は、ただ一生懸命舐め続けた。



 その人が、他の人間たちによって運ばれていって、猫はまた一人になった。

 もともと一人でここに居たんだから、どうということもない。

 また前に戻ればいい。

 猫はじっとその公園に居続けた。

 でも、前の様に、猫にごはんをくれる人間は現れなかった。

 どれだけ待っても、その公園に人間は入ってこなくなった。

 猫は、途方に暮れた。

 そして、あの人と過ごした日々を思い出した。


 猫は、生まれて初めて、孤独を感じた。



 ここから出て行こうと思った。

 猫は、住み慣れた公園から外の世界へ出て行く決意をした。

 公園の入口で歩を止める。

 恐いと思った。

 でも行かなくちゃ。

 自分を奮い立たせた。


 そして、

 その猫は、

 はじめの一歩を踏み出した。

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