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ネコナデ[小説版]

亀井享

第一章 孤独じゃない男 (3)

 私はいつものようなきっぱりとしたものの言い方ができず、小声で「うちでは飼えない」とつぶやいた。その言葉が彼らに届いたかどうか定かではないが、カップルはそのまま行ってしまった。

 私は一人、公園に残された。段ボール箱の中にはまだ子猫が三匹入っている。

 切なく〝みゃあ、みゃあ〟とか細い声を上げる子猫たちがこちらをじっと見ている。

 愛くるしいその子猫たち。私も猫たちを見つめ返す。

 まだ生まれて間もないだろうその姿は、幼き頃の娘や息子のようにか弱くはかなげだ。

 私は思う。責任が持てないから、ちょっかいをかけないのだ。では、彼らには責任感があるのか? いや違う。ただあいがん的な対象がそこにあったことと、うっとうしい中年の説教から逃れるため、浅はかな考えで飼う判断をしただけだ。

 本来ならこの憤りは、この猫を捨てた無責任な人間に向けねばならない。だが、そこに出くわしてしまった私に責任が転嫁される存在がこの段ボール箱の中にある。

 この経済大国日本の構造とよく似て、有り余ったものを切り捨てるという方法でしか消化できない。責任の所在はどこにあるか分からず、切り捨てることによって急場をしのぐ。私の仕事と似ているのかもしれない。無尽蔵に膨れ上がった会社の人員をいらないからといって切り捨てる。もしかすると、この猫たちを捨てた人間と同じことを自分もやっているのか? いや違う。私は動物を飼うという責任を与えられたならば、責任を全うするだろう。しかし……。

 子猫たちに見つめられて、動けない。

 言い訳じみた考えではあるが、この段ボール箱は社会だ。そして会社だ。この猫たちはリストラされた。どうしようもない無責任な会社にリストラされた社員だ。しかし、こいつらは、自分がかわいそうだからといって鳴いているわけではない。

 静まり返った夜の公園で誰が見ているわけでもないのに、私は子猫たちの入った段ボール箱に深く一礼すると、その場を立ち去った。


 公園を後にし、しばし歩くと我が「城」である鬼塚家が見えてくる。公園で飲んだ胃痛を抑える「おまじない」は、段ボール箱に入った子猫たちを思い返すとその効果を失った。


 デジタルドラグーンのある新宿から電車で約一時間。埼玉の静かな住宅街に私の「城」は存在する。社員たちからみ嫌われてでも「守るべきもの」はここにある。

 妻と二人の子供。

 妻の澄子とは大学生の時に知り合い、そこから結婚にいたっている。澄子は私のさを全て理解している人間であろう。過去、私はデートの待ち合わせの時間の十五分前、前後三分間の誤差でやってきた。その正確さを理解していた澄子は、二十分前に待ち合わせ場所に着くようにしていた。その二人の行動は現在も変わらない。

 こぎれいに片付けられたキッチンに立つ澄子に、八歳になる息子のいちろうが携帯電話で撮った写真を見せている。

 小学六年生になる娘のなえはリビングで携帯電話のメールに夢中である。

「ほらほら、猫でしょ?」としつこく携帯電話を向けてくる汰一朗に、澄子は柔らかい口調で答える。

「どこ? これ? 人じゃない」

「ほら、よく見て」

 そこには今にも獲物に飛びかかろうとする猫のような青年が写っている。

「お母さん、分からない」

 澄子は夕食の支度を続ける。母親にむげにされた汰一朗は、今度は早苗に写真を見せようとする。早苗はうっとうしそうに弟を手で払うと、澄子に言った。

「お母さん! まだ? おなかいた」

 鬼塚家では一家の大黒柱である父親が帰宅し、食卓につき家族そろって「いただきます」のあいさつがすんでから食事が始まる。

 この「決め事」は朝と晩、必ず守られる。

 私は、ほかの人間に対してより自分への決め事が多い。それは自身の甘えは他者への甘えに変化し、人間としての堕落を容認することにつながると考えるからである。

 社会人としてのぜんたる態度、厳格な父親としてのり方。私はこの揺るぎない信念を自分の誇りとし、いや、いわば必然と考えている。

 しかし、そんな私の胃袋はその信念ほど強くはなかった。


 きれいに夕食が並べられた食卓に家族が揃っている。いつもの我が家である。

 私は会社でリストラ勧告を行った日や今日みたいな日には自分の気を荒立てないように努めている。自分の精神的負担は妻や子供には関係がない。妻は平静を装っている私に「どうしたの?」と聞くことはない。私が外で仕事に精を出せるのも家族のおかげである。

 上着を脱ぎ食卓につくと、汰一朗が昼間に携帯で撮ったという写真を見せてくる。

「お父さん、ネコ!」

 汰一朗の「ネコ」という言葉に思わず敏感に反応してしまったが、何とか冷静を装う。

 その写真をよく見ると、奇妙な顔をした男性が写っていた。

「ん? 人じゃないか、誰なんだ?」

「猫人間だよ」

「猫人間?」

「そ、猫の兄ちゃん、ゆう君が見つけた」

「……ネコ」

 私はその「ネコ」という言葉を素直に発することができなかった。

 あとから澄子に聞いたところ、汰一朗は夕方から携帯画面ばかり眺め、「猫人間」だと繰り返しているという。そんな汰一朗を澄子がなだめるように席につかせ、温め直した汁をよそうと、鬼塚家の「決め事」である家族揃って「いただきます」の儀式が始まる。

 私はこの儀式をするために生きているのかもしれないと思う時がある。これといった趣味もなく、何かにけているわけでもない。私が会社でしているのは、通常業務と人が嫌う「リストラ」を勧告する任務の純粋なる遂行に過ぎない。会社では威厳を保ち、一方では他者からの自分の評価を気にしながら胃痛に悩んでいる。そういう立場の人はごまんといるはずだし、自分だけが弱音を吐くわけにはいかない。だからこそ、この儀式は私にとって必要不可欠なのだ。むしろ感謝されていると思いたい気持ちが強いのかもしれない。これは今日リストラした鈴木や、猫を捨てたいい加減な人と一緒で、自己中心的な考え方なのかもしれないが、私の精神はそんなに強くない。

 汰一朗はブリの照焼きをはしでつつきながら歌い出す。


猫人間猫人間


 私は会社では発することのない穏やかな声で「食べながら歌うのはよしなさい」とたしなめた。

 汰一朗は素直に返事をし、澄子は私の好きなブリの照焼きを食べたいと思った時に食卓に並べてくれ、早苗は今日学校であったことを楽しそうに話している。


 私はつかの間、会社であったことや子猫のことを忘れた。

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