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御曹司社長は初恋の幼なじみを逃がさない

御堂志生

第一章 再会 (2)

 凛は気持ちを切り替えるため、ゆっくりと髪をかき上げた。

 そして、声をかけてきた男性コンシェルジュの目をみつめ、思わせぶりに微笑む。

「どうもありがとう。では、お言葉に甘えて……ペントハウスにお住まいの篠原様に呼ばれて来たの。そちらで確認を取ってくださる?」

 若い男性コンシェルジュはゴクリと生唾を吞んだあと、目をパチパチさせながら答えた。

「は、はい、承知いたしました。あ、あなた様の、お名前を、お聞かせ願えますか?」

「ええ、わたしはフリーバードの副社長で加賀美と言います」

 ニッコリ笑って肩書を口にすると、とたんに男性コンシェルジュの表情に安心らしきものが浮かんだ。

 彼は凛のことを、このマンションにふさわしい立場の女性、と思ったに違いない。

(噓は言ってないもの。吹けば飛ぶような零細でも、副社長は副社長よ)

 少しでも気を抜けば、ラグジュアリーホテルさながらの吹き抜けのエントランスに気後れしそうになる。

 凛は必死でそんな不安を押し隠した。

「加賀美様でございますね。少々お待ちくだ……あ」

 ふいに、何か……誰かを見つけたような、男性コンシェルジュはそんな声を上げて、凛の背後に視線を向けた。

 気になって、凛も振り返ろうとした、そのとき──。

「呼び出してすまない。でも、来てくれて嬉しいよ、凛」

 耳に流れ込んでくる声に、凛の全身が震えた。

 六年ぶりに聞いた声──いや、六年前以上に、いっそう深みを帯びた声だった。心を鷲摑みにされ、一瞬で十代の少女に引き戻されてしまうくらいに。

 凛が振り返るのを躊躇ったとき、今度はいきなり肩を抱き寄せられた。

 肩に置かれた手の感触……それはあまりにも突然過ぎて……。胸が張り裂けて、心臓が飛び出してしまいそうなほど、凛の鼓動は激しくなる。

「さっそく、ペントハウスを案内しよう。君も気に入ってくれたらいいんだが」

「ゆ……由暉、さ……ま」

 名前を呼ぶだけで、息も絶え絶えだった。

 だがこの状況は、甚だ不味い、というか……わけがわからない。

 彼にとって凛は、こんなふうに抱き寄せる相手ではなかったはずだ。

(全く何もなかった、とは言えないけど……でも、由暉様は、人前でこんなことする人じゃなかったのに)

 由暉と再会したら、まずは先代社長のお悔みを言おう。そして、いろいろお世話になったお礼も伝えなくてはならない。

 そのあとで、今回の仕事についての確認を……と考えていた諸々のすべてが消え、頭の中が真っ白だ。

「あ、あの……これは? わたしは」

 意味をなさない言葉が口からこぼれる。

(待って、ちょっと待って、落ちついて……とにかく、ちゃんと話をしなきゃ)

 凛は、今にも口から飛び出してしまいそうな心臓を必死で鎮め、勇気を出して振り返った。

 そこには、初めて会ったときから変わらない、少し寂しそうで、それでいて強い意志を感じさせる瞳が彼女を見下ろしていた。

 その瞳はまるで、妖しげな力を秘めた黒曜石のように輝いている。

 少しずつ近づいてくる彼のまなざしに心を奪われ、凛はここがマンションのエントランスであることすら忘れてしまいそうだ。

 そのとき、彼の唇がゆっくりと動いた。

「事情はあとで説明する。ひとまず、話を合わせてくれ」

 吐息が耳たぶを掠め……。

 凛がハッとして我に返る寸前、由暉は素早く彼女の頰にキスをした。

「エレベーターは向こうだ。ペントハウス専用のエレベーターだから、三十七階まで直行だよ。──ああ、そうだ。君たち、彼女が私の特別な女性……加賀美凛さんだ。しっかり覚えて、二度と呼び止めることのないようにしてくれ。いいね」

 彼の口調がいきなり変わる。後半部分は凛ではなく、こちらの様子を、固唾を吞んで見守るコンシェルジュたちに向けたものだった。

 それに応えたのは若い男性コンシェルジュではなく、少し年配の女性コンシェルジュだった。

 彼女は一歩前に出て、

「承知いたしました、篠原様」

 手を前で組み、恭しく頭を下げたのである。



 ペントハウス専用のエレベーターというだけあり、階のボタンは──地下と一階と三十七階の三つだけしかない。

 だが広さは充分に取られ、床には赤いメダリオン柄のカーペットまで敷かれている。

 そのエレベーターに乗るなり、彼はスッと凛から離れた。

「コンシェルジュと何を話した?」

 声がいきなり冷ややかなものに変わった。

 視線を向けると、由暉は金色の手すりに軽く腰かけ、腕を組んでこちらを見ている。その脚の長さに嘆息しつつ、鋭い視線に気づいて息を吞んだ。

 彼の目には、凛に対する怒りや嘲りが浮かんでいる。

 高校生の凛は、由暉のことを慕っていた。尊敬もしていたし、今も憎からず思っている。だが、理由もなく触られたり、それによって侮られたりするいわれはない。

 虚をつかれて呆けていたが、凛の中に自尊心が戻ってきた。

 大きく息を吸って胸を張り、あらためて由暉に対峙する。

「その前に──旦那様のこと、心よりお悔み申し上げます。まだ五十代とお若い年齢で、本当に残念です。旦那様には生前、大変お世話になって」

「世話になった旦那様の葬儀にも、顔を出さなかったのはなぜだ?」

 厳しい声に由暉の怒りの理由を知った。

「参列しました! でも、ご焼香は……控えさせてもらったので」

「芳名帳に名前はなかったぞ」

「それは……」

 ある人と顔を合わせたくなかった、と言えば、由暉はわかってくれるだろうか。

 昨年夏、篠原グループの社長が入院した、という噂を聞いた。しかし、非公表にされていたため、問い合わせても入院先など教えてもらえるはずがない。凛は篠原邸で働いていたときの知り合いを訪ね、やっとお見舞いに行けるよう連絡を取ってもらった。

 ところが、病院の受付で凛が自分の名前を言うなり、数名のスーツ姿の男性に囲まれた。

 必死で、『他意はない。ただ、お世話になったお礼を言わせてほしい』と告げるのだが、返ってくるのは『お引き取りください』という言葉だけ。

 そのときだ。

迂闊に、お世話になりました、なんて言わないでちょうだい。まったく、あの人ったら、なんの世話をしたことやら。あたくしが何も言わないのは、夫が未成年を愛人にしたなんて世間にばれたら、妻の不名誉になるからよ』

 由暉の母、優子が悪態をつきながら姿を見せた。

 優子のことはよく覚えている。彼女は春になると、凛が過ごした施設にやって来ていた。事情があって親と暮らせない子供たちに、新学期に必要な文具や本を寄付する、という名目だ。そのたびにマスコミをぞろぞろと引き連れ、カメラの前ではニコニコ笑って頭を撫でてもらった。

 だがマスコミが引き揚げたとたん、『さっさと離れてちょうだい!』と突き放されたのだ。

 優子には、人の笑顔と親切には裏がある、ということを学ばせてもらった。

 篠原家に雇われる際、この優子の存在に躊躇したが……。

 衣食住の保証された仕事で、しかも高校に通わせてもらえるのだから、感謝して受け入れる以外の選択肢はなかった。

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