略奪の愛楔 檻の中の花嫁

麻生ミカリ

第一章 冷たい部屋に薔ば薇らは散る (2)

 赤妻と白雪の家同士の約束を守ることは、先祖へ義理を果たすこと。会社をたたんだのちの祖父の行方から調べ、彼らは美緒の父にたどりついた。しかし、その父はすでに亡く、白雪の血を引くのは美緒のみ。

「うちには女の子はいないものだから、美緒さんが女の子でちょうどよかったわ。ねえ、あなた」

「ああ、晴翔なら美緒さんとお似合いの年頃だ」

 晴翔と呼ばれる彼は、美緒よりも六歳上の高校二年生らしい。都内の名門私立高校に通っている。

「お父さまとお母さまが亡くなって、さぞ心細いことでしょうね」

「……」

 肯定も否定もできなかった。

 両親を亡くしたことは、今でも悲しくて仕方がない。けれど、悲しんでばかりいてはいけないと、美緒は知っている。

 どこか抜けたところのある、眼鏡をかけた優しい父と、らかでしっかり者の母。世界でいちばん大切なふたりを失って、美緒には自分の帰る場所がなくなってしまったのだ。

 そんな思いを知ってか知らずか、辰子はテーブル越しに美緒の小さな手をつかんでくる。母とは違う、マニキュアを塗った爪。指には、大きな宝石の光る指輪がはめられていた。

「美緒さん、もう心配はいらないのよ。あなたは十八歳になって高校を卒業したら、うちの晴翔と結婚して赤妻の家族になるの」

「でも、あの、そんな未来のことわからないです」

 小さな声ではあったけれど、美緒は約束はできないと伝えようとした。結婚相手を勝手に決められるなんて困る。それに、初対面の赤妻晴翔は、さっきからひと言も話さない。

「あら、だってそうしなきゃ、あなたここを出たあとどうするの? 今の世の中、高校を卒業したばかりの女の子がひとりで暮らしていけるだけ稼げるお仕事なんて、そうそうないものよ」

「そう……なんですか?」

 美緒がユーカリ園に暮らすようになってすぐ、高校を卒業したお兄さん、お姉さんたちが園を出ていった。彼らはみな、就職をして自立して生きていくと聞いている。

 ──でも、ここを出たらおとうさんとおかあさんがいたおうちに帰れるって、弁護士のおじさんが言っていたのに。

 美緒の父は、小さいながらも家を建て、一家は仲睦まじく暮らしていた。両親が亡くなったのち、美緒に残された財産は母方の縁者が一時的に管理してくれている。特別代理人というそうだ。

 いずれ、美緒がユーカリ園を出たときには、白雪の家に戻る。そして、二十歳になって法定行為が認められたら、父の遺した家を相続するのだ。弁護士からは、そう説明されたはずだが──

「美緒さん、いいえ、美緒ちゃん。ほんとうなら、あなたを引き取って今すぐに家族として暮らしていきたいの。だけどね、そうすると晴翔と兄妹のようになってしまうでしょう? 小学五年生ならもう知っているわね。兄妹では、結婚できないの」

「はい」

「だから、あなたがこの園を出るまで、わたくしたちはあなたをずっと待っているわ。晴翔と結婚するということはね、離れていても美緒ちゃんはわたくしたちの家族だということなのよ」

 家族。

 その三音が、美緒の心臓をぎゅうっと締めつけた。

 あの事故以来、美緒にはひとりとして家族と呼べる存在はいない。ユーカリ園では、ここにいるみんなが家族だと教えられる。けれど、ほんとうはそうではないことを誰もが知っていた。

 ここは、仮初の居場所。

 自分たちは子どもの間だけ、ここで保護され庇護され、生活を保障される。

 しかし、いずれ必ずユーカリ園を出ていくのだ。そうなったら、美緒はまたひとりぼっちになってしまう。

 辰子の言葉に心揺らいだことを、見抜かれたのだろうか。

「わかるわね、わたくしはあなたの家族になりたいの」

 彼女は、ここぞとばかりに目を細め、猫なで声で美緒にささやく。

「家族に……なってくれるんですか……?」

「ええ! もちろんよ」

 大きな目に、涙がにじんだ。

 ──ここを出ても、家族が待っていてくれる。

 美緒は、今にもこぼれそうな涙をこらえ、小さくうなずいた。将来を決めることが怖くないと言えば噓になる。だが、それよりもひとりぼっちで広い世界へ出ていくことのほうが、今の美緒にはずっと恐ろしいことに思えた。

「よかったわ。これで赤妻の家も安泰よ。ねえ、あなた」

 ソファに座り直した辰子が、夫に微笑みかける。

「そうだな。美緒さん、私たちは家族になる。きみは今日から、晴翔の許嫁だ」

 夫妻がかすかに目配せするのを前に、幼い美緒はその理由もわからず、小さく「はい」とはにかんだ。


 ──家族ができる。

 赤妻一家との面会を終え、美緒は応接室を出て部屋へ戻ろうとしていた。園職員と話がある、と辰子に言われて席をはずしたものの、まだ心臓が高鳴っている。

 最初は緊張したし、戸惑いも感じたけれど、結婚をするということは自分の父と母のように幸せになれることなのだと、美緒はぼんやり考えていた。

 実際、美緒の両親はとても仲が良く、家の中はいつも笑顔に満ちていて、思い出すだけで胸の内側がほんのりあたたかくなる。

 ──これできっと、おとうさんもおかあさんも安心してくれるはず。

 廊下を歩いていると、窓の外に見かけない少年が立っていた。つい先ほど会った、赤妻晴翔と面差しが似ている。

「……? でも、制服が違う」

 ベージュのブレザーにチェックのパンツだった晴翔が、濃紺のブレザーに着替える理由は思いつかない。それに、髪型も違っている。

 もしかしたら──

 彼は、晴翔の兄弟かもしれない。何度も増改築をしたせいで、入り組んだ構造の園内で迷ってしまったのではないだろうか。

 ──もしそうだったら、きっと困ってる。

 美緒はを返すと、濃紺の制服を着た少年のいる中庭へ向かった。

「あのぉ……」

 中庭は、四方を壁に囲まれているせいで、空が四角く区切られている。いつの間にか、残暑の湿った空気が雨に変わっていた。うっすらとけぶるように降る霧雨の中、彼はちらりとこちらを見る。

 違う、と美緒は反射的に思った。

 窓ガラス越しに見たときは、晴翔と似た印象を受けたけれど、彼は晴翔よりも線が細い。それに、細やかな雨粒をまとった黒髪は、触れたらさらさらと音を立てそうなほどの直毛だ。

「赤妻さん……ですか?」

 そろそろ草むしりをしないといけないね、と先週末に先生たちが言っていたのを思い出す。見慣れた中庭が、少年を隠すジャングルのようだ。

「なんで?」

 イエスかノーで答えられる問いかけに、彼はさらなる疑問で応じた。ふっと細めた目が、ひどく艶めかしい。

「なんで、僕の名前が赤妻だと思ったの?」

 ユーカリ園の男子中学生より、細く高い声。けれど、女性的には感じない。子どもと大人の中間に立つ、妙に危うい響きを含んだ声だった。それでいて、彼の声はどこか笑っているようにも聞こえる。

「えっと、さっき応接室で赤妻さん一家に会って、普段は園に知らないひと、あまり来ないから、それで……」

 晴翔に似ているから、とは言えなかった。

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