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身代わりハネムーン エリートパイロットと初心な看護師は運命の愛に溺れる

御堂志生

第一章 おひとり様ハネムーン (2)

 大輔はさりげなく彼女の左手薬指に指輪のないことを確認し、居住まいを正した。

「いや、大丈夫……意識ははっきりしてるし、気分も悪くない。それに、日本語もわかるから、安心してくれ」

 可能な限り礼儀正しい日本語で、笑みを浮かべて答える。

 次の瞬間、彼女はぱあっと花が開くように笑った。

 その笑顔を見たとき、まるで生まれて初めて女性の笑顔を見たような……そんな不思議な気分に囚われた。

 大輔がボーッとみつめていると、

「ああ、よかった。せっかくの海外旅行ですものね。ずーっと難しい顔をして、ため息ばかりついておられるので、男の方だから我慢していらっしゃるのかと……すみません、お邪魔してしまって」

 彼女は軽く会釈して立ち去ろうとする。

「ちょっと待ってくれ! あ、いや……実を言えば……さっきから、気になっていることがあるんだ」

 衝動的に彼女を引き止めてしまう。

 だが決して思いつきではない。実際に、この椅子に座ったときから、否応なしに目に入ってしまい……困っていることがひとつあった。

 それは正面の席に座るカップルだ。

 ふたりとも大輔より若い。同じ便でヨーロッパへのハネムーンに出発しようとしている新婚カップルだろう。ふたりは普通に並んだベンチをカップルシートのように思っているらしく、先ほどからずっと、身体を寄せ合ってイチャイチャしていた。

 時折キスするくらいなら、まだ許せたが──。

「あのふたり、彼女の膝にショールをかけて隠しているつもりらしいが……男の手がその下で動いていることがバレバレだろう?」

 この数分間で──カップルの女性は見る見るうちに顔を赤くしていった。手で口元を覆っているのは、荒々しい息遣いや声を隠しているつもりなのだろう。しかし、視線を向ければ何をしているのか丸わかりで──。

 といった具合に、公衆の面前にもかかわらず、行為はエスカレートする一方だった。

「同じ便にハネムーンツアーが組まれているんだろうな。あのふたりほどじゃないが、あっちもこっちも似たような新婚カップルばかりだ。独り者には目の毒で、ため息のひとつもつきたくなるさ」

「……ハネムーン」

 彼女はそういたまま、呆然と立ち尽くしている。

(女神様には刺激が強かったかな? でも、休暇の予定はまだ一週間以上残ってるんだ。この際、久しぶりに気に入った女の子を口説いてみるのも悪くない)

 何もかもが鬱陶しいと思っていた心に、優しくて暖かな光が射し込んできた。どん底まで沈んでいた気分が、その光を目指して一気に浮上してくる。

「新婚なんて、今が一番燃え上がっている時期だから、仕方ないんだろうけど」

 どの新婚カップルも、わずか数センチすら離れていたくないとばかり、身体のどこかをぴったりとくっつけている。

 ほんの数分前までは、サカリのついた猫じゃあるまいし、と大輔には不快感しかなかった。

 ところが、目の前に女神が降り立ったとたん、羨ましく思えてくるのだから……人の心は不思議だ。

「こうして目の当たりにすると、なんだかあてられてね。ところで──君もフランクフルトで乗り継ぎだろう? 出発まで時間があるようなら、ドイツビールの一杯でもらせてくれないか? 親切にしてもらったお礼だ。ああ、別に怪しい者じゃない。私は──」

 誘惑モード全開で、大輔は紳士的な言葉遣いを続ける。

 そして、普段なら隠す職業も、正直に名乗ろうとしたが……。

「そう、ですよね……結婚式前後なんて、愛し合うことに夢中になって、燃え上がるものですよね」

「え? ああ、でも、自分自身の経験じゃないから、絶対とは言えないが」

「いいえ、あれが普通なんですよ。人の目なんて、気にならないくらいでないと……結婚する資格はないのかも」

 あまりにも深刻そうに言うので、大輔は面食らってしまう。

(これは……失恋したばかり、といった風情だな)

 落ち込む女性を目の前にして申し訳ないが、彼にとっては幸運といえる。

「ひょっとして、男にそう言われたのか? だったら、そんな男と結婚しなくてラッキーだ」

「……ラッキー?」

 その声はまるで、やっと大輔の存在に気づいた、といった感じだった。ハッとしたように彼に視線を向け、潤んだ瞳でジッとみつめる。

 それだけのことに、大輔は信じられないくらい息苦しくなっていく。

「ああ、いや、だから……あんなふうに、ノリノリで楽しむならともかく、嫌々付き合うことじゃない。断られたくらいで結婚しないと言い出す男なら、別れて正解だ」

 わざとゆっくり脚を組みながら答えると、とたんに彼女は頰をピンク色に染めた。

「あ、あの……わたし……」

「ひとり旅かな? よかったら──」

「いえ、実は……わたし、あの人たちと同じツアーなんです」

「は?」

 ずいぶん間の抜けた顔をしていたことだろう。

 大輔が彼女に問いかけようとしたとき、搭乗口から少し離れた場所で声が上がった。

東都ツーリスト、英国ハネムーンツアーの皆さん、こちらにお集まりくださーい!」

 添乗員らしき女性が声を張り上げる。

「あ……すみません。わたし、もう行かなくちゃ。あの人たちには、人目のあるところでは気をつけてもらえるよう頼んでおきますので……それじゃ」

 頰を初々しい色に染めたまま、彼女は会釈して、小走りに駆けていく。

 なんの特徴もない紺色のスーツは、すぐに大勢の人波に飲まれ……彼女の姿が見えなくなり、大輔はおもむろに目を閉じた。

 今どきの新婚は、指輪などつけないものなのかもしれない。そんなことにすら気が回らず、ハネムーン中の人妻を口説いてしまうとは──。

「ったく、俺もヤキが回ったもんだ」

 こんなこと、認めたくはない。だが、呟かずにはいられないくらいショックを受けている自分に驚いていた。

 だが、そもそも慈愛に満ちた聖女など、この世には存在するはずがない。

 これまでの人生から考えて、誰が自分にご褒美をくれると思ったのだろう?

 予定外の退屈で怠惰な日々が見せた白昼夢。そんなふうに気持ちを切り替え、大輔はふたたび、心の奥底へと意識を沈めた。



☆ ☆ ☆



「あ……」

「えっ?」

 ボーイング七四七──乗員乗客合わせて四百人弱、フランクフルトまではドイツと日本の航空会社のコードシェア便を利用するとツアーのパンフレットに書いてあった。

 同時に、ペアシートは確約されたものではありません、とあったため、わざわざ追加料金を払って二列席を確保してもらったのだ。

 杏子は窓側の席に座り、キャンセルされてポッカリ空いた隣の席をみつめた。

 ひとりでハネムーンツアーに参加したことを、少しだけ後悔し始めたとき、空いた席の横にひとりの乗客が立ち止まった。

 とっさに顔を上げると、そこには杏子が搭乗口近くで声をかけた男性が立っていた。

 彼に声をかけようと思ったのは、深いため息をつきながら、髪を搔きむしる仕草が気にかかったせいだ。

 服装は黒のテーラードジャケットに黒のパンツ、横に置いた四輪のキャリーケースを見たときはビジネスマンだと思ったが……。

 彼に近づいたとき、ジャケットの下がワイシャツとネクタイではなく……サーモンピンクのTシャツというラフなスタイルにびっくりした。

 それを見る限り、休暇を取って気ままなひとり旅、といった風情なのに、表情からは真逆に思えてならず……。

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