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身代わりハネムーン エリートパイロットと初心な看護師は運命の愛に溺れる

御堂志生

第一章 おひとり様ハネムーン (1)




第一章 おひとり様ハネムーン




 ──自分以外の人間が操縦する飛行機に乗るのは、業務中の移動以外で何回目だろう。

 二日前、ここ羽田空港に着いたときと同じことを、桜木大輔は考えていた。

 休暇を取って……いや、無理やり取らされて、日本に来る羽目になった。

 せめて休暇の半分、一週間は時間を潰すつもりでいたのに、たった二日でこの国を去るべく羽田空港に戻ってきてしまったのだから……。

 大輔にとって、世界中で日本ほど居心地の悪い場所はない。

 とはいえ、彼が日本人ということは動かしようのない事実だ。日本で生まれ育ち、国籍も日本にある。ただ、高校を卒業すると同時に出国して以降、一週間と続けて日本に滞在したことはなかった。

 理由は簡単──彼には日本に帰る家もなければ、家族もいない。会いたい人も、懐かしさを感じるような思い出も……何もない。

 それどころか、この国にあるのは忘れたい過去ばかりだ。

(居心地が悪くて当然だな。結局、墓参りをしただけだし……クソッ! わざわざ、日本なんかに来るんじゃなかった)

 大輔は搭乗ゲート近くの椅子に腰を下ろし、ため息をつきながら、数日前のことを思い返していた。



 イギリスのマンチェスター大学を卒業し、中東の小国、トルワッド国国営のハリージュ航空に入社して、パイロットになって十二年。

 その間、世界トップクラスの航空会社、アジアパシフィック航空にスカウトされ、香港に移住してからは六年が経つ。

 三十五歳という年齢で飛行時間は軽く一万時間を突破。

 日本国内の航空会社なら、機長になれるかどうかという年齢で、彼はすでにベテランパイロットの域まで達していた。

 大輔にとって仕事はすべてだ。とくに、パイロットとして飛行機を飛ばすことに人生を懸けている。会社が独自に定めた、年間飛行制限時間のギリギリまで飛んでいるのもその証だろう。プライベートの飛行はその制限時間適応外なので、さらに数百時間は余分に飛んでいた。

 もちろん、そのための健康管理は怠らない。

 タバコはパイロットとして採用されたことをきっかけに禁煙。酒もむ程度。マンションに設備された室内プールやスポーツジムで、空いた時間は過ごしている。

 ひたすら仕事に打ち込んでいた大輔だったが、それが今回、裏目に出る結果となった。

「検査はすべてパスしたんだ! それが、新しいカウンセラーの直感? そんな不確かなものでストップがかかったなんて……冗談じゃない!」

 アジアパシフィック航空では年に一回、航空身体検査がある。

 航空身体検査とは、人間ドックに眼科や耳鼻科の検査をプラスし、さらに精神科の問診まで加えたような検査だ。厳しい合格ラインが設定され、一ヵ所でもそのラインを下回れば、即刻、パイロット業務にストップがかかる。

 以前はこの検査が半年に一回だったが、大輔はこれまで一度も引っかかったことはない。

 ところが今回から、精神科の検査が医者による問診だけでなく、心理カウンセラーのカウンセリングによる所見が加わり……彼はそれに引っかかった。

「おまえの言いたいことはわかる。だが、心の病は本人の申告なしでは判明しづらいものだ。問診だけでは自殺願望を見抜けず、大惨事を招いた例もある」

 そう答えたのは、内部安全監査室のジャック・スティーヴン・ディンブルビー室長だ。

 ジャックは四十代半ばのイギリス人で、大輔と同じマンチェスター大学の卒業生だった。銀髪で見るからに英国紳士という風貌をしていた。年齢こそ十歳も離れているが、大輔のよき理解者であり、数少ない友人ともいえる。

 六年前、大輔の飛行技術の高さに目をつけ、スカウト対象として上層部に推薦してくれたのも彼だった。

「この俺に自殺願望がある、と?」

「いや、そうじゃない。だがカウンセラーが、キャプテン・サクラギのプライベートには遊びの部分が足りない、と言うんだ」

 その点は大輔も説明を受けた。

 三十代半ばで結婚もせず、バカンスと呼ばれるような長期休暇を一度も取ったことがなく、飛行機を飛ばす以外の趣味もない。ひたすら仕事に打ち込んでいる、と言えば聞こえはいいが、仕事中に受けるストレスを解消する場がない人間は、気づかないうちに追い詰められているケースもあるのだ、と。

 もっと家族や恋人との時間を持つべきだ。そして仕事以外の楽しみを作り、豊かな人生を送ることが、仕事の充実に繫がる、といったご高説を拝聴した。

(大きなお世話だ。クソカウンセラーめ!)

 口にすれば、さらに評価を下げそうな言葉を胸の内で毒づきながら、

「よーくわかった。次のカウンセリングでは、仕事の合間に可愛い恋人とクラシックのコンサートに行くのが趣味です、と答えたらいいんだろう?」

「ダイスケ……噓はいけない」

「じゃあ、ステイ先ではCAと、香港に戻ってきたときはグランドスタッフと、足りない部分を補うため、楽しいセックスでストレス発散していますので、どうぞご安心を──これでいいか?」

 腹立ち紛れに答えると、ジャックは両手を上げて大きく息を吐いた。

「今ならカウンセラーの意見は参考程度だ。彼女の助言に従って、二週間の休暇を取るだけで戻ってこられる。だが、これをもとに上から正式な命令が出たときは……おまえは一ヵ月もシフトから外された挙げ句、再検査を受けて合格しなくてはならない。さあ、どっちがいい?」

 大輔に選択権はないも同然だった。



(そもそも、家族だなんだと言われることが、俺にとってはストレスなんだ。それすらもわからないのか? カウンセラーのくせに)

 考えれば考えるほど憤懣やる方なく、ため息は増える一方だ。

 大輔は苛立ちを抑えきれず、頭をきむしった。

 そのとき──。

「大丈夫ですか? ご気分が悪いようなら、空港スタッフを呼んできますよ。それとも、お連れの方がいらっしゃいますか?」

 慈愛に満ちた声が頭上から降り注がれた。

 彼はハッとして顔を上げる。

 目の前に聖女が──いや、若い女性が立っていた。彼女は前屈みになり、こちらの様子を窺っている。

 おそらく二十代。髪は額出しのロングヘア、サイドにレイヤーが入り、毛先を緩く内巻きにしている。色は真っ黒ではなく、ダークブラウンだ。彼の目の前にサラサラと落ちてきた髪は柔らかな絹糸のようで……思わず触れそうになった。

(こらこら、何を考えてる)

 咳払いして、視線を彼女の顔から下に向ける。

 ごくシンプルな紺色のスーツを着ていた。胸の形やボリュームはよくわからないが、膝上のタイトスカートからすらりと伸びた脚は、飛びつきたいほど魅力的だった。

(やさぐれた俺に、癒やしの女神か? 頑張ったご褒美とか?)

 頭の中がファンタジーになりかけたとき、ローヒールの黒いパンプスが目に留まった。

 上から下まで地味な……シックな服装で統一している。彼女にとってこのフライトはバカンスではなく、ビジネスではないか、と思った。

 そのとき、彼女はさらに顔を近づけてきて、

「わたしの声、聞こえますか? 何か話せますか? あ……ひょっとして、日本の方じゃないのかしら?」

 何も答えない大輔が、外国人なのではないか、と思ったらしい。

 彼女の顔に浮かんでいるのは、普段見慣れている女性のびるような笑顔ではなく、ただただ、心配そうな表情だった。

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