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溺愛攻防戦! 強引で一途なエリート社長に結婚を迫られています!?

緒莉

第一章 いけすかない御曹司に立ち退きを迫られています (2)

「だって、少しでも綺麗にして、一刻も早くここから連れ出してもらわないと、華奢でか弱いこの私が……このままじゃ……うう……」

 笑美は泣き崩れようとした知世のトレーナーの袖をまくり、二の腕をむき出しにした。

「おー、いい筋肉」見事に盛り上がった知世の力こぶを、もみもみと揉む。「大丈夫だよ、知世。これなら男に頼らなくても、自力で暗黒の世界を破壊できるって」

「二十キロ超えの幼児両脇に抱えて走り回るような生活二年もしてたら、こうなっちゃうに決まってるじゃないですかっ!」

「そうだね。知世はほんと頑張ってるよ。えらいえらい。ほら、仕事仕事」

 知世せんせー、ブロックの続きやろーっ、と四歳の翔太が保育室から手を振っている。

「はいはいはいはい、今行くって!」

「何作ってたの?」

「未来の新居。夢の間取りを詳細かつ完璧に作り上げてやりますよ」

 ぶつくさ言いながら保育室に戻っていく知世。文句は多いが、なんだかんだ言って仕事にはけっこう真面目だし、顔は派手でも子供たちを傷つけないよう爪は短い。いい意味で子供を子供扱いしないせいか、園児たちにもよく好かれていた。

 仕事仲間に恵まれた、とつくづく思う。三児の母である洋子をはじめとして、保育士たちは仕事熱心で気のいい人ばかりだし、皆仲がいい。調理補助や掃除のパートさんたちも、卒園児の母親が多いこともあり、にこにこ園を大事に思ってくれている人ばかりだ。

 笑美は生まれて三ヶ月の頃から、このにこにこ園に預けられて育った。ここは笑美にとって職場であり、大事な家でもある。それを外からポンッとやってきたわけのわからない人間に潰されるなんて、冗談じゃない。負けるもんか、ととことん地上げに抗う覚悟を新たにして、保育に戻った。




 十九時ジャスト。五歳の女児が母親に手を引かれて帰っていき、にこにこ園に残る子供はいなくなった。洗濯や掃除は保育時間中に終わらせてしまっているから、締めの作業は少ない。保育室の中をざっと点検し、保育日誌を記入すれば終わりだ。特に異常がないことを確認して、笑美は園内の照明を消した。

 十九時十五分には、玄関の鍵を掛けてにこにこ園を出た。早くも遅くもない、ほぼいつも通りの時間だった。一応二十時まで保育時間は延長できることになっているのだが、頼まれることはめったにない。

 笑美が一人で住んでいるアパートは、にこにこ園から歩いて十五分ほどのところにある。これからスーパーに寄って、買い物をして帰って料理して、とできない時間でもないのだが、さっきからグーグーお腹が鳴っている。

 パパッとその辺で食べて帰っちゃえ、と笑美は駅前にある牛丼屋のチェーン店に入った。

「らっしゃいませーっ」

 仕事帰りの一人客で、店内は満席に近いが、みんな食べ終わればさっさと出るので回転は速い。笑美は券売機で食券を買って、ちょうど空いたカウンター席に座った。

「お願いしまーす」

「はーい、少々お待ちくださいませー」

 店員に食券を渡して、カウンターに置いてある水差しからコップに水を注ごうとしたときだった。

「……げっ」

 思わず声が出た。今一番会いたくない男が、隣に座っていることに気付いたからだ。

「『げっ』は俺だっつーの」

 言葉通りげんなりした顔で、榊行貞は割り箸を割った。彼の方は、ちょうど牛丼が出てきたところのようだった。胸の前で一度手を合わせてから食べ始める。

「女一人で牛丼屋とか、正直引くわ」

「ご立派な会社の社長さんが一人で牛丼屋ってのもどうかと思うんだけど。綺麗なお姉さん両脇に座らせて毎晩銀座で寿司とか食べるもんなんじゃないの?」

「ねえよ、バブルの頃じゃあるまいし」

 本人がどう思っているかは知らないが、下町の牛丼屋で、行貞は明らかに浮いていた。さっきから客や店員の「何者だろう?」という視線を感じ、居心地が悪いったらない。 笑美は水を飲みながら店内を見回した。席を移れないこともなさそうだったが、食券を出しておいて移動するのは、忙しく立ち働いている店の人に悪い気がした。

「忙しいときはこういう方がババッと食えていいんだよ」

「私だって」

 などと話しているうちに、もう牛丼が出てきた。さすが早さが売りの牛丼屋だ。さっさと食べて出てしまいたい。笑美はさっそくカウンターに置かれた紅生姜を牛丼の上にドサッと盛った。

「ってお前、牛丼大盛りかよ。さらにドン引きだわ」

「体力仕事なんだから、このくらい食べてないと動けないんだって」

 短大を出てから六年。笑美は一時も目を離せない乳幼児たちを相手に、朝から晩まで動きっぱなしの生活をしている。体力はある方だし、じっとしているのは性に合わないから、仕事はつらくなかった。カロリーを消費しまくるおかげで、いくら食べても太らないのもありがたい。

 もりもり食べる笑美の横で、行貞は真面目な顔をして箸を口に運んでいる。

 食べ方が綺麗だな、と笑美はふと思った。背筋のスッと伸びた座り方も。牛丼屋のカウンターにいても、他のサラリーマンたちとは雰囲気が全然違うというか、育ちのよさをひしひしと感じる。

「なんだよ。じろじろ見んな」

「お箸の持ち方が上手だなと思っただけです」

「は? 普通だろ」

「いやいや、すごく上手いよ。うちの園児たちといい勝負だわ」

「ガキと一緒にすんな!」

「褒めてるんだって。うちは食育にも力を入れてて、みんなすごくお箸使うの上手なんだからね」

 とそのとき、カウンターに置いてあった行貞のスマホがブルブルと震え出した。

 画面に表示された名前を見て、行貞は一瞬露骨に顔をしかめた。それからスマホを摑んで席を立とうとしたが、入り口辺りが客で詰まっているのを見て、笑美とは反対側のお隣に「すみません」と謝り、口元に手を当てて小声で電話に出た。

「……榊です」

 えっ、と声が出そうになり、笑美は慌てて口を押さえた。電話に出る前と後の行貞が、まるで別人のようだったからだ。

「今日は急に、すみませんでした。ええ……僕も残念でなりません。あなたに会えるのを本当に楽しみにしていたものですから」

 周囲に気を遣った音量ではあったが、すぐ隣にいるものだから、話の内容までよく聞こえた。電話の相手は女性のようだった。今日会う約束だったのを、行貞の方から急にキャンセルしたらしい。彼の声には、本当に残念だという気持ちがにじみ出ていたが、液晶画面に表示された名前を見たときの反応から考えると、本当は面倒だと思っているはずだった。

「ええ、この埋め合わせは必ず……いつもあなたの優しさに甘えてしまって、本当に申し訳ありません。え? ハハッ、そんな買いかぶりすぎです。仕事しか頭にない、つまらない男ですよ」

 なんだろう、この声は。誠実さに少しの甘えを足した、絶妙なバランス。こんな声で謝られては、たとえドタキャンされたとしても、たいていの女は許してしまうだろう。

「はい、はい……それでは、また改めて」

 電話を切った瞬間、行貞の表情がガラリと変わった。心底つまらなそうな顔で小さくため息をつき、隣の客に会釈をしてから、また牛丼を食べ始める。

 すごい。外面がいいとか、猫を被るとか、そんな次元の話ではなかった。まるっきりの別人だ。ついまじまじと顔を見てしまう。

「……なに見てんだよ」

「べつに。社長さんともなると、さぞかしおモテになるんだろうなと思っただけです」

「当たり前だろ」と本当に当たり前のように答えるのが可愛くない。ただ彼は、全然嬉しそうではなかった。

「あんな猫なで声出せるんだね」

「必要があればな」

「初めて聞いたし、正直びっくりした」

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