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溺愛攻防戦! 強引で一途なエリート社長に結婚を迫られています!?

緒莉

第一章 いけすかない御曹司に立ち退きを迫られています (1)




第一章 いけすかない御曹司に立ち退きを迫られています




 つい数日前まで小学生たちで毎日賑やかだった教室の中が、今はガランとしている。机も椅子も、たった今、すべて運び出されていってしまった。

「寂しくなります」

 笑美が呟くと、学習塾の塾長は気まずそうに目を伏せた。まだ四十を越えていないはずだが、心労のためか実年齢よりずっと老けて見える。

「なんだか裏切ったみたいで、すみません」

「そんなこと……」

「でも生徒の親御さんたちが不安になってきていて。これ以上ここで粘るわけには……」

 ずいぶん悩んだのだろう。塾長の目の下には、濃いクマができていた。来週からは、ここから歩いて五分ほどのところにあるマンションの一室でやり直すのだという。地元に密着した個人経営の塾だ。いつ出ていかされるかわからない不安定な状況にいつまでもいられないのは理解できる。それでもやっぱり、笑美は寂しかった。この塾には、にこにこ園を卒園した子たちもたくさん通っていた。お隣だから、塾が始まる前後に彼らが園に顔を見せに来てくれることも多かったのだが、そんなこともなくなるだろう。

「にこにこ園さんは、まだここで……?」

「そうですねえ。あ、そうだ! この空いたところも借りて、園児増やしちゃおっかなー、なんて」

 笑美はカラカラと笑った。きついときほど笑うことにしている。カラ元気だって、立派な元気だ。

「──おや、にこにこ園さんじゃないですか」

 芝居がかった声が後ろから聞こえてきた。笑美はグッと奥歯を嚙み締めて、ゆっくりと振り返った。

 榊行貞。学習塾をここから追い出した張本人が、手下を従えて階段を上ってきたところだった。

 完璧すぎる営業スマイルが、うさんくさいったらない。笑美は冷めた目で行貞を眺めた。世間的には、きっとかっこいい顔なのだろう。切れ長の目と、意志の強そうな太めの眉が印象的だ。顔だけでなく、スタイルもいい。塾長の着ているものとは値段がゼロ一つ多そうなスーツが、嫌みなほどよく似合う。いかにも仕事のできる男という感じだ。

 違う形で出会っていたら、見とれていたかもしれない。しかし今、笑美はこの男が世界で一番気に入らなかった。

「ああ、すっかり片付いたようですね。お疲れさまでした」

 行貞は空っぽになった教室の中を見回し、満足そうな笑みを浮かべた。

 何がお疲れさまでした、だ。

 あまり上品ではない感じの言葉で何か言ってやりたくなったが、笑美はえた。もっとそうしたいはずの塾長が、力なく笑っていたからだ。

「にこにこ園さんもお寂しいでしょう。どうですか、おたくもこちらと一緒に移転されては」

「ねえ、地上げ屋さん」

「誰が地上げ屋だ」

 うさんくさい営業スマイルを、行貞はあっさり引っ込めた。声のトーンまで変わっている。何度も顔を合わせるうちに、彼は笑美に対してあまり態度を取り繕わなくなってきていた。たぶん無駄だと判断したのだろうし、実際無駄だった。

「ヤクザ屋さんだったっけ。まあ何でもいいわ。悪いんだけど、ちょっと向かいのドラッグストアでおむつ買ってきてくれない? Sサイズ二パックね」

「……なんで俺が」

「よっぽどお暇みたいだから。こんなちんけな駅にいつまでもネチネチ執着なさるくらいだもの」

 にこにこ園がある桜坂下駅は、都内とはいえ乗降客の数はそれほどでもなく、のんびりした駅だった。それが半年ほど前、駅前に大規模な再開発の話が持ち上がったことで、大きく状況が変わろうとしている。

 笑美の祖母が園長を務めている「にこにこ園」は、桜坂下駅に直結している、はたして駅ビルと呼んでいいのか迷うような古い二階建ての建物内にある。

 築四十年近いこの建物には、一階に不動産屋、中華料理屋、喫茶店、パン屋、花屋。そして二階には「にこにこ園」と学習塾がテナントとして入居していたのだが、この半年の間に一軒、また一軒と立ち退き交渉に応じて出ていってしまい、学習塾が退去したせいで、残るは「にこにこ園」と一階の中華料理屋だけになってしまった。

 榊行貞は、再開発計画で地権者や賃貸人との交渉の陣頭指揮を執っている榊不動産の社長だ。どう見ても二十代だから、名刺をもらったとき笑美はいったい何の冗談かと思ったのだが、どうやら本当に社長らしい。

「どっかの保育園が無駄に粘らずおとなしく立ち退いてくれたら、もう少し暇になれるんだがな」

「暇じゃないなら、さっさと会社に戻ってお仕事されればいいんじゃないですか。人相の悪い人にこの辺をウロウロされると、子供たちが怯えてしまって迷惑なんですよね」

「おまっ……本っっっ当に可愛くないなっ!」

 行貞は眉間に皺を寄せて思い切り睨んできたが、目障りなのはお互い様だ。

「あなたにニコニコ愛想よくしてれば家賃据え置きでいつまでもここにいてよくなるっていうなら、いくらでも売ってさしあげますわ」

 ニーッとわざとらしく笑ってやると、心底嫌そうな顔をされた。

「もういい」行貞は笑美にシッシと手で追い払うような仕草をした。「お前こそさっさと戻って仕事しろ。俺は塾長と話があるんだよ」

「ああそうですか、さようなら」

 笑美はにこにこ園に戻ろうと、向きを変えたが。

「あ、ちょっと待て」

 行貞に呼び止められた。猫でも追い払うようなまねをしたくせに、待て? なんて勝手な男だと文句の一つも言ってやろうとしたが、行貞の顔を見て、おやと思った。

「ちょっと、聞きたいんだが……」

 気まずそうに話を切り出し、行貞が口ごもった。こんな自信のなさそうな表情の彼は初めて見た。知り合ってから約半年、いつだって行貞は、ふてぶてしかったのに。

「なに?」と笑美は先を促した。

「いや、この辺で、その……男の子を見なかったか」

「男の子?」

「五歳くらいの」

「うちの五歳児は今、女の子が二人いるだけだけど」

「あー、と、そういうことじゃなくてだな……もういい、聞かなかったことにしてくれ」

 またシッシとやられたが、腹が立つよりも驚きの方が大きかった。憎たらしいくらい物事をハッキリ言うはずの男が、こんな歯切れの悪い言い方をするなんて。明日雪でも降るんじゃないだろうか。

「……わけわかんない」

 笑美は首を傾げながら、学習塾のすぐ隣にあるにこにこ園のドアを開けた。子供たちの元気な声、そして知世の本体が、笑美に向かって押し寄せてくる。

「こら知世、どこ行く気?」

 脇をすり抜けようとした知世をガシッと捕まえると、釣りたてのカツオのようにピチピチと暴れられた。

「今、今、そこに榊様のお姿が見えたんです!」

 知世の叫びが表に漏れないよう、笑美は急いでドアを閉めて施錠した。

「笑美先生の鬼ー! 悪魔ーっ! 榊様助けてーっ!!

「勤務時間中に堂々と職場から脱走しようとして人を鬼呼ばわりするとは、いい度胸ねえ。それに、なにあんなやつに『様』づけしてんの」

「だってあの若さで社長ですよっ? そのうえ超イケメン。さらに大企業の御曹司」

 行貞が社長を務めている榊不動産は、スーパーゼネコンの一つである榊建設の、百パーセント子会社だ。榊建設の今の社長は行貞の父親で、ゆくゆくは行貞が親会社のトップに立つのだろうと噂されていることを、笑美は名刺を渡されてしばらくしてから知った。

「ああん、早く榊様みたいな完璧な人に見初められて、この暗黒の世界から救い出されたいー!」

「『暗黒の世界』の名前が『にこにこ園』っておもしろすぎるし、知世は今日まつ毛盛りすぎ。暗黒の森かと思ったわ」

 メイクに気合いが入りすぎていて、知世の顔はどう見ても夜のお姉さんだ。とても保育士には見えなかった。

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