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初恋彼氏は溺愛ストーカー!?

春日部こみと

1 私の恋は、誰にも言わない。 (2)

 父子家庭となれば家族間での役割分担は当然で、外で働く父に負担のないように、母が亡くなってからは私が家事を担当していた。主婦歴十年の私に比べ、父の家事能力は一人暮らしの大学生男子程度だ。

「ピザとかハイカロリーなものばっかり食べてちゃだめよ? ちゃんと野菜もとって! 言っておくけど、ポテトは野菜に入らないからね。あれは穀物。あと自分の部屋の掃除は週末に必ずしてよ。それと──」

 畳みかけるように列挙すれば、父は慌てたように手を画面の前で振った。

『わかったわかった! ちゃんとやるから』

「もう! そんなこと言って、私がいないからって、ちゃんとした夕食を食べずに、ビールばっかり飲んでるんじゃないでしょうね?」

『そ、そんなことないよ……』

 笑ってはいるが語尾が弱まる言い方に噓を嗅ぎ取り、私は目を眇める。

「どうだか。サンドラに連絡して、ちゃんと見張っておいてもらわないと!」

『おいおい、勘弁してくれよ』

 サンドラは父のパートナーだ。サバサバとしていて面倒見の良い彼女は、彼氏の娘である私にもとても親身になってくれて、優しい。年の離れたお姉さんって感じだ。もう付き合って五年になるので、そろそろ籍を入れたら? と言っているのだけど、父はどうにも踏ん切りが悪い。

(多分、私が原因なんだろうなぁ)

 父は決して口にはしないけれど、うすうす感じている。

 何しろ超がつくほど過保護な人だ。親ばかを自ら公言して憚らない少々イタイ父親でもある。

 私が一人前になるまでは……! とか思っているんだろうなぁ。

 一人前、と言われてしまえば、申し訳ないと頭を下げるしかない。

 なにしろ、大学を出たのにまだ進学したいと、二十五歳にもなるというのに、まだ学生をやらせてもらっているのだから。

 とっくに社会に出て働いていてもおかしくないのに、未だ父のスネカジリをしている身分では、「一人前」とは口が裂けても言えない。

(早く、一人前にならないと)

 父とサンドラのためにも、臨床心理士の資格を取って、自分で生きていけるようにならなくちゃ。

「じゃあね、パパ。私はそろそろお風呂に入って寝るから。明日から講義だし。そっちもそろそろ出勤時間でしょ?」

 夏時間の今、ニューヨークと東京の時差は約十三時間。こちらの時計で二十一時近くなら、向こうでは朝の八時だ。父は経営者であるとはいえ、あまりに遅い出勤は周囲に示しがつかない。

 やんわりと急かせば、父は腕時計を確認して「お、そんな時間か」と慌てた顔をした。

『じゃあ、また。何かあったらすぐに連絡しなさい。明日から大学院だな。頑張りなさい』

「うん。パパも、お仕事頑張って」

 互いにタブレットに向かって手を振るのを確認して、私はアプリを閉じる。

 ベッドの枕元にタブレットを置いて、そのままパタリとベッドに仰向けになった。

 真っ白いけれど、低い天井。ベッドに寝っ転がるだけで、四隅を一望できてしまう、七畳の1K。

 ニューヨークで父と暮らしていた4LDKのコンドミニアムとはずいぶんと違う。

 それでも、通う大学のキャンパス付近、最寄り駅から徒歩十分圏内で、オートロックのマンションなんて、学生にはもったいないくらいの物件だ。私はこんないい所じゃなくていいと言ったけど、初めて一人暮らしをする娘を案じて、父が譲らなかったのだ。

(ここが、私のお城だ)

 ふふ、と笑い声を上げる。悪くない。

 初めての一人暮らし。ようやく日本に帰ってくる気になれたのは、親元を離れて自立したいという意志からだ。もちろん、時間があの時の傷を癒してくれたのもある。

 あれから、もう七年も経ったのか。

 誰にも告げず、当時の自分ができる限り足跡を消して、日本での過去の全てを捨てたあの時、私はまだ高校生だった。

 私には、消してしまいたい過去の恋があった。

 彼と、自分で、ぐちゃぐちゃの、醜いものに変えてしまった恋だった。

「まさに、黒歴史ね」

 自嘲と共に吐き出して、目を閉じる。

 そのまま抱いていけば、自分の自尊心すら失ってしまいそうだったから、その恋を捨てることにした。

 ちょうどその頃、父が転職のためニューヨークへ行くことが決まった。

 大学受験を控えていた私は、日本に残る予定だったのだけど、それは日本の大学を希望していたからで、父はもともと一人娘と離れるのを渋っていた。

 だから受験間際になってやはりニューヨークに付いていくと決めた時、父は諸手を上げて賛成してくれた。

 私は周囲に告げず、教師にも固く口止めをして、高校卒業と同時に日本を離れた。

 それ以降の行方を知る人は、郷里には誰もいない。

 たとえ行方知れずになっていることに気づいた人がいたとして、高校生から大学生への過渡期。環境が大きく変化し、新しいものに触れていく中で、たった一人のクラスメイトの行方など、きっとすぐに忘れてしまっただろう。

(きっと、彼も──)

 あの時恋をした彼の姿が閉じた眼裏に浮かんで、私はパッと瞼を開いた。

(いけない。要らない残像だわ)

 壊れた恋。捨てた恋だ。

「もう、忘れたんだから」

 ガバリと起き上がって、両手でパン、と頰を叩く。

 ベッド脇の出窓のカーテンを開き、夜の東京の景色を眺める。

 ここは郷里から遠く離れた東京で、あれから七年も経っている。

「私のことを知っている人なんて、誰もいないわ」

 言い聞かせるように言って、深呼吸をする。

 この時の私は、自分がなぜこんなにも過去に怯えているのか、わかっていなかった。

 それどころか、自分が過去に怯えている自覚すらなかったのだ。


   ***


 講義終了のブザーが鳴って、教授の「今日はここまで」というお決まりの台詞を待って、学生達がガヤガヤと動き出す。

 私もノートとペンケースをトートバッグの中に片づけながら、次の講義の教室はどこだったかなと考えていた時、後ろから声をかけられた。

和泉さん! 次、心理学基礎論だよね? 一緒に行かない?」

 振り返ると、同じ臨床心理学コースの院生である橋本恵さんが、こちらに笑顔を向けていた。

 化粧っけのないそばかすの浮いたベビーフェイスに、ふわふわした茶色のショートボブ。仔犬のように人懐っこい彼女は、こんなあどけない顔で私より年上だったはずだ。

 院生は大学卒業後、社会人を経てから入学する人も稀ではなく、様々な年齢の人がいる。

「橋本さん。はい、是非」

 年上の彼女に失礼にならないよう、丁寧な言葉で応じると、橋本さんはクシャッと破顔した。

「やだなぁ。敬語とか使わないでよ~。同級生なんだからさ~。ま、確かにあたしは今年三十路になりますが! 心はずっと十七歳なんだからネッ!」

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