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ラブみ100%蜜甘新婚生活 エリート弁護士はうぶな新妻に夢中

立花実咲

第1話 憧れの人 (2)

 先輩パラリーガルである木嶋多英がトレイにコーヒーを並べていた。

「ありがとうございます」

 結架は礼を言って、さっそくボスの執務室に向かった。

 ドアガラス一枚をてた中から、かに声が聞こえてくる。そして結架は次の言葉に耳を疑った。

「それで? 独立の意思は変わらないんだね」

(──独立。今、ボスはそう言ったの?)

 結架は気になって、耳をそばだてる。

「はい」

 久我はきっぱりと返事をした。

(うそ。久我弁護士が独立……?)

「もう少し手となり足となり働いて貰う予定だったからなぁ。とても残念だよ。ヘッドハンティングをもう二、三年早くしておけば良かったかな」

「いえ。あの頃の僕はまだ青かった。成長できたのはボスのおかげですよ」

 神妙な雰囲気から一転して、和やかな雰囲気に変わった。しかし、結架の胸には不穏な灰色の雲が広がってゆく。

「それならいい。それともう一つ君に話が──」

 ボスの声が止まる。結架の存在に気づいたらしい。結架はハッとして「失礼します」と声をかけて執務室の中に入った。

「コーヒーをお持ちしました」

 震える声を抑えるので精一杯だった。

「ありがとう」

 久我に微笑みかけられ、結架も笑顔を返す。そしてボスの執務室を早々に退出してから、さっきの会話を頭の中でリピートしてため息をついた。

「どうしたの?」

 と、木嶋が不思議そうな顔をする。

「あ、あの……」

 なんでもないです、とそうとしたのだが、木嶋の方がピンときたらしい。

「ついに、か」

「え?」

「独立の話でしょ?」

 木嶋が声を潜めて結架に尋ねた。ドンピシャの話題に結架は目を丸くする。

「どうしてわかったんですか? 前から話が出てたとか?」

「ちょっとね。小耳に挟んだの。でも考えてみれば、久我弁護士ほどの優秀な人材なら当然よね」

「そう……ですよね」

 たしかにそうだ。そうだけれど……。

「寂しい?」

 いたずらっぽく問いかけられ、結架は思わず慌てて否定しようとしたのだが、入所する前からこれまでのことが脳裏をよぎり、肯定せざるを得なくなってしまった。

「憧れの人ですから……目標にがんばろうと思っていましたし……」

 結架の表情はどんどん暗くなる。月曜日の願掛けは破れてしまった。飼い主とのお散歩をお預けされた犬のように、しょぼんとしてしまう。

「菅野さん自身は今後も事務職員やりながら司法試験チャレンジするんでしょ?」

「まだ司法試験予備試験の段階ですよ。司法試験を受ける権利すらまだもらえていないんです」

 自分で言っていて悲しくなってくる。

「大丈夫よ。まだ若いもの。それに、私は過去の司法試験で三回ともダメだったけど、今なら規制も緩和されて五回チャンスあるんだし」

 たしかに木嶋の言うとおり、四年前まで司法試験を受けられるのは予備試験合格後五年間と決められており、かつ三回しか受験ができなかった。しかしその後、司法試験法が改正され、五回までに緩和されたのだ。

 だからこれから先、結架が司法試験予備試験に合格すれば、そこから少なくとも五回はチャンスがある。

 結架の場合は、法科大学院や予備校に通うだけの財力がなかったため独学でチャレンジをしている。しかし思った以上に厳しく、難しい国家試験はそう簡単に結架に門を開いてくれなかった。

「先のことを考えると気が遠くなります……」

 ふっと頭の中が白くなりかけて、結架は頭を振った。木嶋はそんな結架を見て笑う。

「まあ、そう言わないで。今は結婚して四十代になってから弁護士に転職する女性だっているくらいよ」

「木嶋さんはもうチャレンジしないんですか?」

「私はねえ、今は結婚試験の方を重要視してるから」

 ふふんと意味ありげに木嶋が言う。

「結婚試験……ですか?」

「うん。そう。立派な弁護士の夫を捕まえてゴールインすること」

 そう言って、木嶋はチャーミングに笑ってから言い直した。

「この仕事がけっこう好きなのよ。気に入ってるの。先生方のお役に立つことがね」

 たしかにパラリーガルの仕事はとても勉強になるし魅力的だ。結架もまたそう感じている。けれど、弁護士になるという夢を諦めきれていない。

 今年の一月に出願した司法試験予備試験の日程は短答式試験、論文式試験、口述試験と三回に分けられており、その最初の試験が五月の中旬に行われる予定だ。それまでに仕事の合間に勉強をきっちりしていかなくてはならない。

(あと一ヶ月とちょっとかぁ……)

 まったく受かる気がしないということは、実になっていない証拠だろう。

 事務所の壁にかけられたカレンダーを眺めて、結架はがんばらなくちゃと身を引き締める。まずは目の前の仕事からだ。

 結架は自分の席に戻ってパソコンを開き、メールをチェックする。それから先生方のために準備する書類の作成画面を開いた。

 朝礼の時刻を迎えると、ボスの執務室から神崎と久我が揃って戻ってきた。

「では、ブリーフィングしようか」

 ボスの一声で皆が集まる。久我の側に並んだ結架は独立のことをまた思い出す。

 久我にとっては喜ばしい日なのだ。月曜日の願掛けが破られたなんて思ったけれど、そう思ってしまった自分が恥ずかしい。ただ接点がなくなってしまうことが結架にとって寂しいのは事実である。

 久我に憧れたのは高校生の頃。先が見えない真っ暗な道に光を灯してくれた。そんな彼に感謝をするだけでなく、彼の仕事ぶりを見ているうちに彼の生き様にも憧れるようになった。

 実際に同じ職場で働きはじめてからは憧れという気持ちで留まることなく、恋という形に変わっていった。一緒に仕事をしはじめて二年の間に芽生えたこの恋心はどう昇華したらいいだろうか。

 仕事に集中しなくては。試験だって待っているのだから。冷静になろうとする自分と、傷心している恋する乙女な自分。その二つの感情の間でぐらぐらと揺れる。

 恋か仕事か。どちらも大切だから天秤にはかけられない。できるのなら、どちらも必要なのだと弁護をしていたい。

 久我さんがいなくなってしまう。それはいつなんだろう?──頭の中を占領しはじめる霧を払うように、六法全書の法律用語をひたすら脳内で唱えながら資料に目を通した。

「以上。引き続き、各々の案件にとりかかってほしい」

 ボスの一声にハッとして顔を上げる。

「菅野さん、何か気になることあった?」

 と、深山が尋ねてくる。一斉に視線が集中し、結架は慌てて取り繕った。

「いえ。今日も一日よろしくお願いします」

 笑顔で言うと、久我が一番に「よろしく」と返事をしてくれた。ただそれだけで嬉しい気持ちになる。この感情がとても愛おしくて尊い。

(先生は……好きな人がいますか? お付き合いしている人はいませんか? 結婚の約束をしているような女性が……?)

 ちりちりと胸に焼けるような痛みを覚えながらも、結架は心の中で自分の頰を両手でぴしゃりと叩く。

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