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蜜恋ホテル 年下御曹司と愛されコンシェルジュ

蒼生根子

1 初めての新人教育 (3)

「今時コネ入社とは。珍しいわね。でもそういえば、うちって時々変な人事とかあるもんね」

「役員の親戚の、えーと、なんか知り合いだって」

 最後に森本部長から聞いた情報を思い出して伝えると、美月は肩をすくめて残念そうな顔をする。

「それだと、玉の輿としても微妙そうだね。せっかくなら櫻井家の御曹司が来てくれればいいのに」

 創業者一族の櫻井家は、財閥に近い経営方式を今も貫いている、日本有数のセレブ一族だ。国内ばかりではなく、海外でも多数の宿泊施設や、観光施設を運営している。

 知実には帝櫻ホテル神戸館の事情しか知る由もないが、歴史あるグループの弊害か、こうした不自然な人事はままあることだった。

「やり手だって噂の常務、櫻井専務の弟さんなんだって知ってる? 赤字だったシンガポールホテルを買収して、たった一年足らずで黒字にしてみせたって噂。彼が来てくれたら最高じゃない? 独身みたいだし」

「美月ちゃんは年上好きだよね」

「櫻井専務の弟なら、イケメンだろうしね」

 櫻井専務の顔は、入社式の際に見たことがある。はっきりとした二重と肉厚の唇が特徴的な紳士だった。四十になったばかりの専務は顔立ちが整っていることもあって、既婚者でありながら女子社員からも人気がある。

「夢のある話、どこかに落ちてないかな。いないといないで、寂しいのよね」

(そういえば美月ちゃん、この間彼氏と別れたんだっけ)

 美月は知実の肩をそっと叩いた。

「ま、噂話はともかく、もし耐えられなくなったら、いつでも聞くから。だから頑張って」

「ありがとう」

 そう言ってもらえると少しは気が楽になる。

 改めて気合いを入れ直すと、知実は残っていた諸事に集中した。今日は早く帰って、明日からの新人教育で必要になるだろう情報を、まとめてしまいたい。

 しかし、帰り支度がようやく整おうかという時、にわかにスタッフルームが騒がしくなった。

 不審に思ってデスクから顔をあげると、出入り口付近に何やら人が溜まっている。しかも、殆どが女子社員ばかりだ。

「何あれ?」

 首を傾げると、美月がこっそり近寄って耳打ちしてくる。

「何か、すっごいイケメン新人が挨拶に来たらしいんだけど、もしかして、さっき聞いた新人じゃない?」

「へ?」

 驚くうちに、美月は知実の手を引いて、人だかりの中へ連れていった。

 そこでは森本部長と、まだ年若い男性が楽しそうに歓談している。

「……本当に格好いい」

 男は、美月が目を輝かせるのも納得できる整った顔をしていた。年は二十代前半といったところだろうか。無造作に流されたダークブラウンの髪が、人垣の向こうから覗いている。鼻梁は高く、目は綺麗なアーモンド型。はっきりとした二重は、男性にもかかわらず妙な色香があった。

 百七十五センチはあると言っていた森本よりも頭一つ分背が高い。手足はモデルも青くなりそうなほどすらりと長く、一つ間違えれば野暮ったくなりそうな、ネイビーのダブルスーツを見事に着こなしている。

 英国から迷い込んできたかのような品の良さだった。実際、どこかに外国の血でも入っているのか、その瞳は光にあたると、深い蜂蜜色に透き通った。

 琥珀のような視線を上げて、男は集まった人達を見た。注目を集めていることを誇るわけでも、萎縮するでもない、何かを探しているような妙な目の動きだ。

(誰か知り合いでもいるのかな?)

 そんなことを思った瞬間、男と目が合ったような気がした。彼は知実を見た途端、アーモンド型の大きな目を見開いた。

「え……?」

 知り合いだっただろうかとも思ったが、こんなにも顔の整った知人はいない。ならば、と背後を振り返ってみたものの、後ろにはファイルが並んだ棚があるだけだった。

 不思議に思いつつ顔を戻すと、彼はすでにこちらを見ていなかった。恐らく誰かと見間違ったのだろう。

「びっくりした……」

 ほっと、胸を撫で下ろす。男の人は苦手なはずなのに、彼に見つめられると、なぜか胸がどきどきしてしまっていた。

「おおい、皆ちょっといいかな?」

 森本の呼びかけに、他のスタッフ達も一斉に彼へと視線を向ける。

「明日からうちの課に配属されることになった、槙多くんだ。今日は一足先に挨拶にきてくれてね」

「槙多浩也です。お時間いただいてすみません。皆さんの足を引っ張らないよう頑張らせていただきますので、宜しくお願い致します」

 頭を下げた槙多に、美月をはじめとした女性社員がわかりやすく喜色を露わにした。あちこちから、色めき立った声があがる。槙多が微笑みをふりまくと、きゃあと大げさな悲鳴まで起きた。

「多分彼だよね。知実が担当する新人」

 声を潜める美月に、知実もまた声を小さくして肯定する。

「きっとそうだと思う。部長から聞いた名前と同じだし」

「超イケメンだね。あれでも駄目?」

「え? あ、いや、格好いいなあとは思うけど……」

「そっか、難儀だね」

 胸が高鳴ってしまったことは、何となく恥ずかしくて美月には言えなかった。

 その槙多はといえば、同僚達の質問責めにあっている。

「槙多くんって、今彼女いるの?」

「どんな子が好みなの?」

 次々に投げかけられる熱っぽい眼差しを、槙多は臆することもなく、むしろ積極的に受け止めていた。それは好意を向けられることに、慣れている男の人の顔だった。

「そうですね。これと言って好みはないですけど……。強いて言うなら、笑顔が可愛くて、一生懸命仕事を頑張っている人とか。見ているこっちが、優しい気持ちになれるような人が好みですかね。ちなみに、今は彼女募集中です」

「そうなんだ、じゃあ立候補しちゃおうかな」

「あ、じゃあ私もー」

 女の子に群がられている槙多から、美月は興味を失ったように顔を背けた。

「なんだか、女に慣れてそうよね」

 あまりチャラチャラした男は、彼女の好みではないのだ。もちろん知実もそうだが、なぜか彼からは目が離せないでいた。

 デスクへ戻っていく美月を見送ってもなお、しばらくの間槙多を見つめてしまう。

 自分は一体、何をしているのだろう。まるでグラウンドの外から、憧れの先輩をそっと眺めている下級生のような気分だ。

 槙多は新人で、年下だし、自分はもう学生のような可愛い年でもないのに──。

 そんな疑問が、ぐるぐると頭の中を巡った。はっと閃いたのは、教育係として、挨拶くらいしておくべきだという答えだったが、あれでは、しばらく近づくことも叶いそうにない。

「明日にしよう……」

 明日ちゃんとすればいいと自分に言い聞かせて知実はデスクに戻り、パソコンの電源を落とすことにした。


+++


 知実の勤める帝櫻ホテル神戸館は、神戸開港をきっかけに、神戸北野──旧外国人居留地に建てられた歴史あるホテルだ。改築こそ施されているが、西洋建築を取り入れたホテルとしては、日本最古とされている。

 かつては東洋一美しい居留地と謳われたこの神戸を、知実は気に入っていた。この街で働き始めて五年。異国情緒漂う古い洋館建築が立ち並ぶ街並みも、遠くに見えるポートタワーや潮の香りも、今ではすっかり身に馴染んでいる。

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