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蜜恋ホテル 年下御曹司と愛されコンシェルジュ

蒼生根子

1 初めての新人教育 (2)

 帝櫻ホテル宿泊管理部の部長であり、知実にとって、新人時代に研修を担当してくれた恩義のある先輩でもある森本は、その大きな体格を揺らして椅子にもたれ掛かった。

 ラグビー部だったという森本は、熊のように大きながっしりとした体格だ。しかしそれに反して性格は優しく、知実は心のなかで密かに森のくまさんみたいな先輩だとも思っていた。

 そのくまさんが今、知実を困ったように見つめている。

「嫌かな、新人教育」

「いえ、嫌というわけではないのですが……」

 知実は懸命に、頭の中で話をまとめた。突然のことで驚いたが、内容はシンプルだった。

 この、夏も終わろうかという時期に、なぜか新人がやってくるらしい。そして森本は、その教育係に知実を任命したいと思っていると言う。

「他にももっと素晴らしい先輩方が、うちのチームにはいらっしゃいますけど。本当に私が教育係でいいんですか?」

 VIPと接する機会の多いコンシェルジュチームには、ベテラン勢が揃っている。むろん、日々の職務はしっかりと任されているけれど、チームの中では知実はまだまだ若輩者の下っ端だ。

 もちろんこうして、新人教育を任されるのも初めてだった。

「めぼしい人はほら、春に入ってきた新人指導もしてるし……、そろそろ坂部さんに任せてもいいんじゃないかって」

「そうでしたか」

 チームのチーフから認めてもらえたことは素直に嬉しかった。実際、少し上の先輩は春からの新人教育に、ようやく一息つける頃でもある。先輩方の負担を減らせるなら頑張ってみたかったが、この新人教育には事情がありそうなことだけが、どうしても引っかかる。

「わかりました。でも一つだけ確認していいですか?」

 承諾した知実に、森本はあからさまにほっとした顔をして、頷く。

「うん、何かな?」

「この新人って……、訳ありですよね?」

「いや、訳ありという程では」

「森本先輩

「……うん、コネだよ、コネ。よくあるやつ。大学出てずっと遊び歩いてたみたいで……、親戚つながりで、うちの役員が就職頼まれたらしくて」

 やっぱり──。知実は溜め息する。こんな時期に突然やってくる新人なんて、どう考えても〝訳あり〟だ。

 初めての新人教育が訳あり。

 考えると気が重くなってしまいそうだったが、仕事なら仕方がない。なにより、恩義のある先輩の頼みを、断るわけにはいかない。

「あのね、無理はしなくていいからね」

 しかし、森本はそう言って、気遣う目を向けた。

「いえ、仕事ですから」

「でもほら、君の場合、何かあって身体を壊しても、世話をしてくれる相手がいないだろう? だから研修期間は三ヶ月だけとはいえ、無理はさせたくないんだ」

 相変わらず優しい森本の言葉に、それだけで胸がじんとしてしまう。

 知実は高校生の頃に父親を亡くしていた。それ以降は母の手一つで育てられたが、無理がたたったのだろうか、知実が社会人として働き始めた矢先に、その母も亡くなってしまった。近しい親類縁者もなく、ついでに恋人もいないため、知実が倒れても誰も面倒をみてくれる相手はいない。孤独な身だ。

 森本には、まだ右も左もわからない頃に、母の葬儀の相談に乗ってもらったこともあり、時折こうして気にかけてくれる。

「お気遣いありがとうございます。でも本当に大丈夫です。心配しないでください」

「立派になったねえ、坂部さん」

「そんな、まだまだです。先日もお客様にインターンの学生と勘違いされましたし」

「うーん、それは坂部さんのせいじゃないからね」

 森本は少し困ったように、頰を搔いた。彼の言いたいことはわかっている。知実は昔から童顔だ。身長も女性の平均よりも少し低めなせいか、アラサーになった今も、時折大学生と間違われることがある。

 規定通り髪をまとめてしまうと、頰の丸い幼い顔立ちがいっそう露わになるようだった。

 そのくせ、体つきだけはきちんと大人になってしまったことがアンバランスで、それが知実の強いコンプレックスの一つでもあった。

「森本部長に迷惑をかけないように、しっかり頑張りますので。任せてください。では、失礼します」

 新人についてわかる範囲で話を聞いた後、知実は森本への挨拶を済ませ、部長室を出た。

 扉が閉まると同時に、はあっと大きな溜め息が零れ出たのは、殆ど無意識だ。森本のことはとても慕っているけれど、やはり二人きりで話すのは、少し緊張してしまう。

 実のところ、事情があって知実は男性と接するのが得意ではない。

 過去に付き合った男性は一人だけいるけれど、結局何もできないまま別れてしまった。以来ずっと寂しい独り身を貫いている。

(ちゃんと、やっていけるかな)

 スタッフルームへと戻りながら、知実はこれから始まる研修生活について、思いを馳せたのだった。


+++


 ここ帝櫻ホテル神戸館には、客を迎えるフロントエリア(低層階)と、宿泊エリア(上層階)がある。そしてそのエリアの間(中層階)に存在するのが、一般の客は立ち入ることができない、スタッフエリアという空間だ。

 洗濯室などがある地下エリアとはまた別に、そこでは多くのホテルスタッフが、事務仕事などの雑務をこなしている。

 一見、ホテルではなく普通の会社のオフィスのようなスタッフルームには、それぞれのデスクと椅子やパソコンが並べられ、壁際には無数のファイルが収められている。意外とホテルスタッフには、接客以外の雑務も少なくない。スタッフエリア内には、簡易キッチンのある給湯室や、ランチを食べるための、ちょっとした食堂も設けられている。

美月ちゃん、まだ残ってるかな……」

 できれば友人に話を聞いてもらいたくて、知実はそっとスタッフルームを覗き込んだ。そこにはまだ多くのスタッフが残っていて、友人である篠原美月の姿もあった。

 美月とは、中学からの友人だ。といっても高校、大学は別で疎遠になっていたところ、たまたま神戸館で同僚として再会を果たし、以来改めて良い友人関係を築いている。

 ちょうど帰り支度を整えている様子の美月を見つけ、さっと近づくと、向こうもすぐに気付いて声をかけてくれる。

「あら、戻ったの知実。森本部長、なんだって?」

「それが、ちょっと困ったことになっちゃって」

「困ったこと?」

 美月は驚いたように、その大きな目を丸くする。彼女は童顔の知実とはまた対極的な、目鼻立ちのはっきりした、見ているだけでうっとりするような美人だ。

「もしかして森本部長に口説かれたとか? 知実と部長、仲良しよね」

「もう変なこと言わないで。部長が好きなのは美月ちゃんみたいなタイプだよ。私は心配かけてるだけ」

 肩を落として、森本からもらった新人用のテキストをめくる。不思議そうに資料を覗き込んできた美月に表紙を見せると、また驚いた顔をされた。

「新人?」

「うん、教育係を任されることになったんだよね」

 声を潜めて美月にことの次第を伝える。全ての話を聞いた美月は、その大きな目をぱちぱちと瞬いて、顎先に指をあてた。

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