最高のスパダリに、新婚ママと赤ちゃんは思いっきり愛されています

玉紀直

第一章 兆し (3)

 ムードもなにもあったものじゃない……

 清香は諦め気味に息を抜くと、肩にのった将斗の頭をポンポンした。

「はいはい。生姜焼き、生姜焼き。待ってて、すぐできるから。お味噌汁、ワカメとお揚げでいい?」

 豚肉の生姜焼きは将斗が好きなメニューのひとつだ。喜んでくれるだろうと思いきや、顔を上げた彼は微妙な表情をしている。

「もう十二月なんだし、清香も忙しい時期に入ってるだろう? 疲れてるんじゃないのか? そういうときは簡単なものでいいんだぞ。ほら、レトルトの丼の素とかあるだろ」

「大丈夫よ。生姜をってタレ作って、お肉焼けばいいだけだもん。そんなに面倒なメニューじゃないわ」

「生姜焼きのタレ、とか売っているだろう。ああいうのを使ったら、もっと楽なんじゃないのか?」

「なぁに? 私のお手製がいやだとでもいうの?」

「そんなわけないだろう。ただ……」

 ちょっとねた口調で言い返すと、真剣な視線が清香に向けられる。その意味を悟って、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。

「わかってる。ありがとう……。でも、まだ大丈夫よ。本当に忙しくて手が回らなくなったら、毎回レトルトとデリバリーと外食のローテーションになっちゃうと思うけど」

「そうなりそうだったら、俺が作る」

「なに言ってんの。私が忙しくなるっていうことは、将斗はもっと忙しくなるってことじゃない。さぁ、ご飯の支度、支度」

 今度こそ本当に着替えてこようとすると、腕にバサッと将斗のコートと鞄を預けられた。

「じゃぁ、俺、風呂洗って用意するから。それ寝室に持ってっといて。夕べ、バスタブのお湯を抜いていなかったんだ。先に抜いてくるから」

 そう言ってバスルームへ歩いていく将斗に「排水口もね」と追い打ちをかける。「カビ取りもするかぁ」と張り切る彼の後ろ姿を見送り、清香は寝室へ足を向けた。

 今年の春、清香の仕事が異常に忙しくなった時期がある。そのとき清香はあっちもこっちもと無理をしすぎたせいで、疲労で倒れてしまったのだ。将斗は、それを心配しているのだろう。

 同棲を始めたころから掃除や買い物などいろいろと協力的な人ではあったが、そのことがあってからさらに気を遣ってくれるようになった気がする。

 お互い仕事をしているんだから。そう考えれば、疲れているときは手を抜いてもいいと言ってくれる気持ちはとても嬉しい。

 ただ清香は、食事などにあまり手を抜きたくないのだ。

 自分が仕事で忙しくなる時期は、将斗だって数倍忙しくなっていることを知っている。彼のほうが仕事の幅が大きく責任があるぶん、ずっとずっと頑張っている。

 それでも清香との生活を大切にしてくれて、気を回してくれるのだ。

 将斗がかけてくれる気持ち以上に、清香だって彼のためにいろいろとしてあげたい。

「よいっしょ……っと……」

 寝室に入り、将斗のコートや鞄を置く。クローゼットからハンガーを取り二人分のコートをかけながら、清香はベッドを眺めた。

 大きなダブルベッドがひとつ。同棲を始めたころから、二人で寝ている。

 ──最近、ここで愛し合ったのは……いつだっただろう……

 ゴールデンウィーク辺りだったろうか。……もっとあとだったような……。定かではない。忘れてしまうほど、月日がたってしまっている。

 特に仲が悪いわけでもないのにこれだけ身体の関係がないというのも、おかしなものではないか。

 それを気にしていても、お互いこだわることなく生活している。まるで相手がそこにいることが普通で、そこにいることで満足してしまっているかのよう。

(ほんと、熟年夫婦みたい)

 こんなふうに心穏やかに暮らせるのはいいことだ。……夫婦ならば。

 しかし、将斗と清香は、どんなに仲がよくても夫婦ではない。

 ……ときどき、考えてしまうことがある。

 このまま、一緒にいることが楽だという気持ちのまま暮らしていたら。……なんの進展もなく、ずるずると年をとっていくだけではないだろうか。

 娘の結婚を心配する母親の姿が頭をよぎる。年末の帰省は毎年のことだが、いつもは元日まで実家にいて兄夫婦にも会ってくる。今回、お正月に旅行に行くからと言ったのは噓だ。そんな予定はないが、元日まで実家にいると近所の知り合いや親戚から、毎年のように結婚の話題が出されて重荷なのである。

 親を安心させてあげたい気持ちはあるが、こればかりは清香一人で決められない。

 今の生活に満足しているなら、将斗は今のままでいいと思って結婚までは考えていないのかもしれない。

 半年以上も身体の関係がないというのは、相手に性的な興味がなくなっていることでもあるのではないだろうか。

 そんな考えかたをするなら……

 本当に、潮時なのかもしれない。

 なんともしんみりしてしまっている自分に気づく。コートをハンガーにかける手も止まってしまっていた。

 二人分のコートを片づけ、ふうっと息を吐く。気持ちが浮き立ったり妙に沈んだり。なんとなく精神状態が不安定だ。

(あ……、もうすぐアノ日か)

 心の揺らぎに気づいてから、月経が近いことに気づく。毎月そうだ。

 PMS。いわゆる月経前症候群の症状のひとつだが、清香は他に疲れやすくなったり乳房が張って痛くなったり、などが目立つ症状だ。

 月に一度の憂鬱な時期だ。それでも、友だちや知人のなかにはPMSになると人が変わったように怒りっぽくなったり倦怠感でベッドから起き上がれなくなったりするほど重い症状が出る女性もいるので、清香は軽いほうなのかもしれない。弱音を吐くのが申し訳ない……

「清香ー、おまえ、正月どうすんのー?」

 そう言いながら将斗が寝室に顔を出す。妙に張り切った声を出しているのでどうしたのかと顔を向け、清香は思わずぷっと噴き出してしまった。

 着替えに来たのかと思ったが、彼はスーツの上着を脱ぎ、緩めたネクタイを肩にかけて腕まくり状態だ。手にはカビ取り洗剤と専用ブラシが握られている。どうやら戦闘意欲を刺激する対象を発見したらしい。

 せめて着替えてからにすればいいのに。清香はクスクス笑いながら将斗に近づいた。

「大晦日には帰ってくるよ。実家の大掃除を手伝いに帰るようなものかな」

 話しながら将斗のネクタイを解く。以前、同じように着替える前にカビ取りを始めて、ネクタイにカビ取り洗剤をつけてしまったことがあるのだ。

「じゃあ、元日は帰ってきてるのか。俺も夕方までには帰ってくるから、一緒に初詣にでも行くか」

「え? 早々に帰ってくるの? いつもは二日か三日なのに」

「長々いても、爺さんの昔話の餌食になるか親戚の『まだ独身なのか』って説教に巻きこまれるか、どっちかだからな。かわいい甥っ子姪っ子にお年玉渡して、早々に撤退してくるさ。正直、正月に帰るのは甥っ子と姪っ子の顔見たいだけだし」

「いい伯父ちゃんですねー」

 笑いながらネクタイを取り、将斗の胸をポンッと叩く。

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