最高のスパダリに、新婚ママと赤ちゃんは思いっきり愛されています

玉紀直

プロローグ / 第一章 兆し (1)




プロローグ




「やっぱり……陽性」

 呟いてしまったあとに、笑いが込み上げた。

 ほらみなさい。思ったとおりだ。そんな思いから出てしまったものだが、それが強がりであることを清香自体が知っている。

 強がってでもいなければ、動揺して息が止まってしまいそうだ。

 自宅マンションには清香が一人。同棲している恋人の将斗は海外赴任中。帰国は半年後だ。

 行くときは盛大な笑顔で見送り、「大活躍できなかったら帰ってくるな」と冗談まじりに言った清香だが、今は将斗に帰ってきてほしくて堪らなくなっている。

 手にした小さなスティックを凝視したまま、清香は廊下の壁に寄りかかる。もしや見間違いでは。祈るような気持ちで目をそらし再度見直しても、そこに見える陽性反応のマークが消えることはない。

 彼女が手にしているのは、スティック状の妊娠検査薬だ。

 二十八年間生きてきて、あんなにドキドキしながら買い物をしたのは初めてだった。

 普通に売られている商品なのだから堂々と買えばいいのに、なんとなくいやらしいものを買うような恥ずかしい気持ちになってしまったのである。

 これが、すでに結婚をしている身であったなら、少しは違ったのかもしれない。

 清香はまだ独身だ。恋人の将斗とは高校時代から十三年間のつきあいで同棲も六年目になる。

 いつか。そのうち。言葉に出さなくとも、お互いそう思っているはずだった。しかしプライベートや仕事の忙しさに追われて、いつの間にか、そのうち、と思い続けてきた、結婚、というものが後回しになってしまっていた。

 よりによって将斗が海外赴任をしたあとに、もしかしたら妊娠したのかもしれないと疑うような症状が出てきたのである。

 まさか……でも、間違いかもしれない……

 どっちつかずの思いを抱いたまま、自己検査をしてみようと思い立った。

 妊娠検査薬などコンビニでも手軽に買えるというのに、どうしても自分の身近で購入することができず、少々遠方のドラッグストアまで足を運んだ。

 その可能性があるというだけで動揺して、情けない。……とは思えど、この不測の事態に清香も平静を保つのがやっとだったのである。

 そして、まさか……は、間違いない、に変わった。

「……やっちゃった」

 どうしてこんな言葉が出たのか、清香本人にもよくわからない。失敗した、という焦りからくる気持ちだったのか、はたまた、こんな結果が出てしまうのはまだ早いという困惑した気持ちだったのか。

 まとまりのつかない頭の中で、高校時代に将斗とつきあっていることをタチの悪い男子にからかわれ、「べんきょーもアレも、〝ヤレば〟できるって言うしなー。気をつけろよ~」と言われたことまで思いだしてしまった。

 あのときは、そんな冗談で人をからかって馬鹿みたい、と呆れていたが、今となっては冗談ではないのだ。確かに、将斗とそういうコトをしたからこそ、この結果が出ているのだから。

「今まで、心配したことなんてなかったのに」

 長いつきあいではあるが、妊娠の心配をしたのは初めてだった。

 将斗は初めてのときから避妊には気を遣ってくれていた。身体を重ねることに慣れても、清香に無理を強いることは決してない人だ。

 そう考えると、この検査薬のほうを疑いたくなってしまう。

 清香はスティックを手にしたままリビングへ飛びこみ、ローテーブルに置いていた外箱から、最初に熟読した取扱説明書を取り出して再度目をとおす。

 そこには、九十九パーセント以上の正確性とあるが、同時に、妊娠していなくても陽性反応が出る可能性についても述べられている。

 もしかして、自分が手にしているスティックが示す陽性反応も間違いなのでは……

 清香はごくりと喉を鳴らし、スティックの判定窓を見つめる。くっきりと浮かぶ陽性反応のマーク。これを疑うことは是か非か。

 根拠があることに対して深い疑いを持つことは愚かしい。だがこのとき、清香の思考は独身女性の一般的な判断に従った。

「よしっ、病院に行ってみよう。そうよ、間違いかもしれないんだし」

 それが一番手っ取り早い。

 間違いだったら間違いで、後々、「あのときはびっくりしたよ」と、将斗との会話の中で笑い話にできるかもしれない。



 しかし……

 数日後に訪れた産婦人科医院で、清香は、はっきりと妊娠を告げられるのである。

 一ヶ月前、まだ年が明けるあのときまでは予想もしなかった事態だ。

 清香はただ茫然と、そのころのことを思い返した。




第一章 兆し




『じゃあ、年末に帰ってきて年内に戻っちゃうっていうことなの? 慌ただしいわねぇ』

 笑いつつも少々残念そうな母の声が受話口から聞こえてくる。刹那の罪悪感にさいなまれるものの、その情けを振り捨て鈴木清香は明るい声を出した。

「大掃除でも手伝うよ。年内は帰ってるんだし」

晦日に戻るんでしょう?』

「まあ、そうだけど」

 スマホを持ち替えながら、十二月の外気から守ってくれていたコートを脱ぎ始める。部屋の暖かさにホッとすると同時に、炊き上がりをセットしてあったご飯の匂いが鼻をめ、急におがすいてきた。

『毎年元日までは家にいたのに』

「旅行の予定が入ってるんだもん。しょうがないでしょ」

『将斗君と?』

「……ううん、会社の女の子同士で。将斗は、お正月はずっと自分の実家だと思うし」

 電話の向こうから大きな溜息が聞こえる。母が言いたいことはわかる。痛いほどわかるのだが、わかったからといってすぐになんとかできることでもない。

『あなたがた……そろそろねぇ……』

「結婚考えなさいよ~、でしょ? わかってるって。頭には入ってるから」

 先制攻撃だ。このテのことは先に言って終わらせてしまうに限る。そうでもしないと、いつまでも同じような愚痴が続くだけだ。

「私も将斗も仕事が忙しくてついつい後回しになってるけどさ、ちゃんと仲良くやってるんだから心配しないで」

 清香は極めて明るい調子で話を進める。少しでもムキになったり「でもね」と言い返したりしては、相手の感情をるだけだ。

 母も立ち上がりかけた戦意を折られた気分なのだろう。「帰れる日が決まったら、また連絡するよ」という清香の言葉に、「わかった」と答えた。

『……このあいだ、清香が高校のときに仲が良かったちゃんのお母さんに会ってね……。恵ちゃん、結婚するって聞いたの……』

 置き土産に聞かされた世間話が胸に痛い。母が心にかかえているモヤモヤとした複雑な気持ちが、この話題に見え隠れしているような気がするからだ。

 通話が切れたスマホ片手に、清香は申し訳ない気持ちになる。

 母の気持ちだって、わからないことはないのだ。

 恋人と同棲して六年もたつ娘が、結婚の〝け〟の字も出さずに仕事ばかりしていたら、どうなっているのかと聞きたいだろうし、どうするつもりなのかと言いたくもなるだろう。

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