話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

ここだけの話、モテすぎ眼鏡医師と一緒に暮らしています。

伽月るーこ

第一話 ここだけの話に隠された、秘密 (2)

「まぁでも結婚してようが、してまいが、奥さんになる人は大変かもね」

「どうしてですか?」

「だって実川さん、考えてもみてよ。患者にもスタッフにもモテるさわやか先生だよ? 浮気の心配とか不安がついてまわるし、さらにうちの院長と懇意にしてる桜花総合の息子さんなんでしょー? 奥さんきっと、良家のお嬢よ、お嬢……!」

 名探偵よろしくといった様子で、ひとりが言う。それを境に「いやいや、私はきっと隙のない完璧な奥さんだと」「私は」と、の先生の〝妻〟を勝手に想像して言葉にした。

「しっかし、私たちの時代とは変わってきたわねぇ。この病院も」

 若いスタッフが盛り上がりを見せる隣で、佐藤が昔を懐かしむように言う。それを聞き、興味を持ったのだろうか、真実が佐藤へ向き直った。

「……佐藤さんたちのころは、どんなだったんですか?」

「そりゃ、イケメンって言ったら、槻野辺院長と永沼先生よねー」

「そうそう。特に永沼先生は女遊び激しくってね。奥さまと出会う前なんて、そりゃもうやんちゃしちゃってすごかったのよ」

「えええ!? 意外です! 奥さまひと筋の永沼先生がですか!?

 驚きの声をあげた真実は、佐藤率いる長年この病院で勤務し続けているおばちゃんたちと楽しげに話していた。それを右から左に聞き流しながら着替えと身支度を終え、ほのかはロッカーの戸を閉める。

「じゃ、お先に失礼します」

「あああっとぉ! 待ってください、ほのかさん!」

 真実に言われるまま振り返ったほのかは、首を傾げた。

「何、真実ちゃん」

「ほのかさんにとっての結婚は!?

 目をキラキラと輝かせている真実が、ほのかの返答を待っていた。ほのかは悩む素振りで視線を逸らし、壁にある時計を見る。

「あ、真実ちゃん、今十八時近くだけど大丈夫?」

「え」

「今夜、確か予定があるとか言ってなかったっけ?」

「そうだったぁあああ!!

 言いながら開けっ放しのロッカーに向き直り、真実は自分ひとりだけ下着姿になっていたのに気づいたのだろうか、慌てて私服に手を伸ばしていた。それを横目に、他の同僚たちも身支度を終えようとしている。

「じゃ、私はこれで。お疲れさまでした」

 もう一度挨拶をして、ほのかは女子更衣室から出た。鞄からスマートフォンを取り出し、職員用の通路を歩きながら画面を見下ろした。

 そこにはメッセージが一件。

『お疲れさま。雨降ってるから、足元には気をつけるんだよ』

 優しい言葉が、脳内で愛しい人の声に変換される。

 だらしなく口元が緩みそうになったのを堪え、ほのかはこれから帰る旨を返信した。これでよし。まだ職場であることを自分に戒め、スマートフォンを鞄にしまう。その際、ふと左手の薬指に目が留まり、堪えきれない笑みがこぼれるのだから、どうしようもない。

「……早く、会いたいなぁ」

 いけないいけない。

 つい、心の声がだだ漏れてしまった。ふるふると首を横に振り、ほのかは職員出入り口から出て足を止める。いつもなら職員用の駐車場が見えるはずなのに、勢いのいい雨のせいで、よく見えない。まるでシャワーのような雨を前に、呆然とした。

 すると──コツ。靴の音を響かせ、誰かが隣に立った。

「すごい雨ですね」

 低く、やわらかな声に、ほのかは隣を見上げる。

 ひとりの男が、雨からほのかへ視線を移し、爽やかな笑みを浮かべた。

 雨で湿った風で揺れるさらりとした黒髪、眼鏡の奥にある優しげな瞳、高めの鼻梁、色気のある綺麗な唇──その整った顔に、思わず息を吞むほど見惚れてしまった。

「……どうかなさいましたか?」

「い、いえ。なんでもありません」

 まさか〝見惚れていた〟などとバカ正直に言えるはずもなく、ほのかは取り繕うように笑った。

「桜井先生は、これから帰られるんですか?」

「ええ。少し考え事をしていたら、こんな時間で……」

 苦笑する彼に、ほのかは口元をばせる。

「お疲れさまです」

「桜井さんも」

 その穏やかな微笑みに、ほのかは苦笑を浮かべた。

「……私は、桜井先生のようなお医者さまではありませんから、疲れることなんて……」

 むしろ、失敗ばっかりだ。

 今日だって頼まれたことをひとつ忘れてしまい、美好にフォローしてもらった。気を張ってがんばっても、どこかでひとつミスをする。どんなに気をつけていても、詰めの甘さを直せない自分が、どうにも歯がゆかった。周囲の優しさに甘えてはいけないと思っているのだが、どれも患者の大事なお財布事情に関わるものだと思うと、なかなかスピードを出すことができない。

 チーフの佐藤には「丁寧にやるのはいいことだけど、速度も必要だからね」と注意を受けているのに、何をするにもどんくさい自覚がある分、できないことがよけいに悔しい。

 このまま盛大なため息をついてしまいそうになるのをぐっと堪え、ほのかは気持ちを切り替えるようにして微笑んだ。

「不安を抱えていらっしゃるのは、患者さんですからね。私が疲れたなんて言ってられません」

「だから、桜井さんはいつも受付でにこにこされているんですね」

「え?」

「少なくとも、桜井さんの笑顔を受付で見るだけで、元気をもらう患者さんもいらっしゃると思いますよ、私のように。……なんて、少し偉そうなことを言ってしまいました」

「……桜井先生は、優しいですね」

「案外、嫌われるのが怖くて、そう見せかけているだけかもしれませんよ」

 思わず隣を見上げたほのかに微笑み、彼は視線を正面に向けた。

「しかし、ややこしいですねぇ。桜井さんをめているつもりなのに、なんだか自分を褒めているような気分になります」

 今度は違う理由で苦笑する桜井を見ながら、ほのかは笑った。

 彼がこの病院へ出向にくる前、すでにサクライ姓は旧字体合わせて三人いた。医師でふたり、先程挨拶に来た後輩、その後輩と入れ違うようにほのかが〝サクライ〟の仲間入りをして、現在この病院にはサクライ姓が四人いることになる。

「さてと、これ以上桜井さんの時間を無駄にするわけにはいかないので、僕はそろそろ帰ります。引き止めてしまい、申し訳ありませんでした」

「謝らないでください。あまりの雨にぼんやりしていただけで……、今、傘を出そうと」

 言いながら鞄の中に手を突っ込んでみたのだが、

「思ったんですけど……あれ?」

 折りたたみ傘らしきものは入っていない。

 ほのかの表情から余裕が消えていくのがわかったのだろうか、彼は自分が手にしていた折りたたみ傘を開き、ほのかに差し出してくれた。

「僕は車なので、ここから走れば問題ありません。どうぞ、使ってください」

「でも」

「お願いします」

 低く甘い声で懇願されてしまえば、ほのかに断る理由はなかった。逡巡してから、おずおずと差し出された傘を受け取る。

「では、足元に気をつけてお帰りくださいね」

 そう言って、彼は雨でけぶる世界へ駆け出していった。

「ここだけの話、モテすぎ眼鏡医師と一緒に暮らしています。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます