愛を込めて料理を作ったら、素敵な社長にプロポーズされました

南咲麒麟

プロローグ / 第一章 運命の料理コンテスト (1)




プロローグ




 少し強引に手を引かれ、三葉は彼のあとをついていく。

 胸の奥がトクトクと騒いでいた。それはずっと忘れていた、ときめくような感覚。

(そっか。私にもまだ、こんな気持ちがあったんだ)

 あの頃よりも背が伸びてしくなった彼の後ろ姿を見つめながら、三葉は思い出していた。

 ずっと昔に手放したはずの、懐かしく温かな気持ちを。

 好きだった。

 でも『好き』って気持ちに一度も気付かないふりをしてきたのは、ちゃんと知っていたから。

 この人はどれだけ望んでも願っても祈っても、絶対に届かない人だと。

 だから一番でなくてもいい。せめて近くにいて、視線の端で彼の姿を見つめていたかった。

 でもそれすら叶わなくて、三葉の人生もいろいろと忙しくなって──。

 いつの間にか何もかも忘れ、『恋愛なんて興味ない』という顔をして生きていた。でも。

「話が、あるんだ」

 振り向いた彼が真剣な眼差しで、三葉を見下ろしている。

 その端正な顔立ちも、朴訥とした口調も、昔と何も変わっていなかった。

 その事実に胸の奥がきゅっと狭くなる。

「俺の側にいて欲しい」

「……?」

 三葉は大きく目を見開いた。あまりに突然のことで、言葉が上手く頭に入ってこない。

 私は今、何を言われたの?

 昔から無表情で口数の少ない彼は、周囲から「何を考えているのか分からない」と言われていた。その性格は、立派な(いささか立派過ぎる)社会人となった今も変わっていないらしい。

 その先の言葉を言い出しかねているように、彼は口をつぐみ大きく息を吐いた。

 混乱した自分の思考を整理するみたいに、二、三度小さく首を振る。そして、自嘲気味にふっと微笑むと、改めて三葉へと視線を向けた。

「おかしな頼みだってことぐらい、自分でも分かってる。でも君を諦めきれない」

 彼の大きくて温かな手が、三葉の両肩に置かれる。そのままぎゅっと強く力を込められた。

 頭ひとつ分上から、三葉を見下ろす眼差しは真剣そのものだ。

「こんな奇跡、もう二度と巡ってこない気がするんだ。だから」

 頼む、と懇願されてしまった。三葉は驚きのあまり、返事はもちろん動くことすら出来ない。今、自分の人生に一体何が起こっているのだろう。

 彼の形のいい唇をただじっと見上げながら、三葉は次の言葉を待っていた。

「だから……俺の……俺だけの……」




第一章 運命の料理コンテスト




 始まりはささやかな日常だった。

 三か月前に会社をクビになってからずっと、白瀬三葉は祖母の店を手伝っている。下町の商店街に昔からある、地元の人に馴染みの気取らない食堂だ。

「だからお願いだ。みっちゃん、明日の料理コンテストに出てくれよ」

 三葉がれた食後のお茶を飲みながら、恰幅のよいおじさんが熱心に頼み込んでいた。

「そんな急に言われても。私……人前に出るのとか、苦手だし」

「そこをなんとか。な? みっちゃんは料理を作るのも上手いし、みっちゃんみたいな若い娘が参加すれば、商店街のイベントも盛り上がるってぇわけよ」

 三葉のことを『みっちゃん』と呼ぶのは、商店街で小さい頃からお世話になった人たちだ。三葉の両親は共働きで、だから学生時代のほとんどを、祖母と一緒にこの食堂で過ごしてきた。

「理事長さん、困ってるようだからねぇ。出てあげれば? みっちゃん?」

 隣で祖母も心配そうに話を聞いている。

 今、目の前で頭を下げている人は『朝木のおじさん』といって、この商店街の理事長さんだ。

 三葉と同じ年の息子がいるせいか、昔から「みっちゃん、みっちゃん」と何かと可愛がってくれている。

「でも……おばあちゃん、私……」

 言いむ三葉に対して、祖母は優しく微笑んでくれた。

「みっちゃんの作る料理なら大丈夫さね。ばあちゃん直伝だもの、どこに出しても恥ずかしくないよ?」

「そうそう、大丈夫、大丈夫。それに料理コンテストに出たってなりゃ、ばあちゃんの食堂も有名になるし、みっちゃんだって次の就職先を見つけやすくなる。さらに優勝者にはなんと! 商店街で使える商品券、三万円分もついてくるってんだ。三万円だぞ? さらにさらに! 参加するだけで三千円。優勝すれば三万三千円だ。どうだ、太っ腹だろう?」

 理事長が誇らし気に指を三本立ててみせる。

 こう言ってはなんだが優勝賞品としてはなんともシケている気がする。

 が、それもそのはず、ここ『ひまわり商店街』は──昔こそ下町の大きな商店街としてわっていたものの──今ではすっかり寂れ、廃れ、傾きかかったシャッター街と化していた。

 当然、祖母の食堂もずいぶんと客が減ってしまい、今日だって昼を食べに来た客はこの理事長と道に迷ったらしい強面のサラリーマンの二人だけである。

(商店街を盛り上げるためなら、私だってなんとかしてあげたいけど)

 だからといって、料理コンテストなんて荷が重すぎる。

 確かに料理を作るのは好きだけど、それはあくまでも、祖母の食堂の裏方でのんびりと心を込めて作るからだった。

(でも……商店街で三万円も使える商品券なら、今月のおばあちゃんの仕入れも随分と楽になるだろうなぁ)

 三か月前に、三葉は会社をクビになっていた。

 ブラックで有名な通販系の会社で、料理と全く関係のない営業事務をしていたのだが、あまりの不器用さに担当営業がキレてしまい、三葉は会社を辞めさせられてしまったのだ。

 学生時代の友達からは「人手の足りないブラック会社でクビになるなんて、すごく珍しいことだと思う!」と妙に感心された。なんの自慢にもならないけれど。

 それ以来、商店街の祖母の食堂を手伝う日々が続いている。

 一度だけ、都内のレストランのアルバイトをやってみたが、店長からは「手が遅過ぎる」とか「愛想がない」とかで毎日怒られ続けた。

 結局、研修が終わる前にもう来なくていいよと言われ、それ以降、就職活動らしきことは何もしていない。

(でも……このままでいいわけ、ないよね)

 優しい祖母は「みっちゃんが食堂を手伝ってくれたら私も助かるし、いつまででもいてくれていいんだよ」と慰めてくれる。が、祖母の少ない収入から給与をもらうのはさすがに忍びなく、あくまでもお手伝いという形で無給で働かせてもらっていた。

 祖母の食堂は元来、地元の人からも美味しいと評判の良店である。

 が、それでも長く続く不況のせいで客足は減り続けていたし、現状の売り上げは、コンテストの賞品である商品券三万円に心が揺れるほどに苦しい。

 つまりどう考えても、ここに三葉の居場所はなかった。

 これが花嫁修業ならまだ格好もつくが、残念ながら、三葉には結婚する予定も相手も、気配すらない。

(ホント私って、何やってもダメだぁぁぁ)

 思わず頭を抱えて座り込みたくなる。

 そのとき、理事長が何かを思い出したように「そうだ」と手を打った。

「明日の料理コンテストの特別審査員にはな、うちの愚息、葉一朗も参加するんだぞ。ほら、急にコンテストに出たくなってきただろう?」

 どこか得意そうな顔で、理事長が三葉の方へ視線を向けている。

「……?」

「あれ? 葉一朗の名前さえ出せば、このあたりの女子はみんなイチコロだって、クリーニング屋のおばちゃんが教えてくれたのになぁ。みっちゃんには効いてねぇなぁ」

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