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暴君彼氏は初恋を逃がさない

石田累

プロローグ (2)

 その瞬間、別の意味で血の気がさーっと引いていた。どれだけ反発していようが、曲りなりにも警察官の娘が犯罪にかかわってはいけないことくらいは知っている。

「ちょっ、あの……それ、返してください……」

 情けないほど弱々しい声が出た。たちまち男たちが勝ち誇ったようなムードになる。

「そーだよねー。警察に突き出されちゃったら、陽乃ちゃんが大変なことになるよねー」

「ぶっちゃけ、警察よりヒサキにバレた時の方が怖いと思うけどな」

 巻き起こる爆笑に不安が募った。確かにそうだ、警察も怖いけど、こんな変態じみた映像を本人に見られてしまったら大変なことになる。

「俺が、なんだって?」

 いきなり音声が途切れたような沈黙が降りた。

 顔を上げた陽乃は、目を見開いていた。黒い学ランの輪の向こうに、白い瓜実顔が見えている。優しく細められた切れ長の目。微かな笑みを浮かべた唇。息をのむほどその姿は美しかった。まるで、彼の周囲だけほのかな光を放っているように。

「げぇっ、ヒサキ……?」

「ヒッ、ヒヒ、ヒサキ……さん?」

 しかしその直後、何故だかクロ学生たちが慌てふためいて後ずさった。彼らは潮が引くように陽乃の背後に回ると、「やばい」「ヒサキだ」などと死にそうな声で囁き始める。

 あまりに異様な怯えっぷりをさすがに不審に思った時、陽乃のスマートフォンを握り締めていた男が、何かを思いついたように前に出た。

「ヒサキさん、実はこの女、電車の中でヒサキさんを盗撮してたみたいなんですよ!」

 陽乃がぎょっとした時には、他の者も、そうだとばかりに声を上げている。

「俺ら、それでこの女を捕まえたんです!」

「どうします? このまま鉄道警察に突き出しましょうか!」

 その必死さにむしろ陽乃は面食らった。これはどういう流れだろう。見るからに華奢で優等生を絵に描いたような王子が──まさか、この屑みたいな連中のリーダー……?

「盗撮……?」

「こ、これ、証拠です。おいこらてめぇ、暗証番号言ってみろ!」

 取り上げられた直後は画面が開いていたものが、今はスリープ状態になっているらしい。

 ──馬鹿じゃない? この状況で死んだって言うもんですか。

 陽乃がぐっと唇を嚙み締めると、初めて王子の目に、おかしそうな笑みが浮かんだ。

「盗撮ね……。俺の全裸でも撮ったんならともかく、車内の隠し撮り程度じゃなんの犯罪にもならないと思うよ」

 言葉遣いは柔らかで、どちらかといえばゆっくりとした喋り口だった。

 それは少し意外な気がした。いかにも理系っぽい彼の雰囲気からして、もっと早口でぴしぴし決めつけるような喋り方をイメージしていたからだ。

「──で? 他にも彼女に用があるのかな」

「へ? あ、……いや」

 ないです、ごめんなさい、勘弁してください、そんな言葉を口々に吐くと、生徒手帳とスマートフォンを陽乃に押しつけ、連中はバタバタと駆け去って行った。

 ──どういう、こと……?

 呆然と立ち尽くす陽乃の傍に、王子が静かに歩み寄ってくる。落ちていた鞄を拾い上げ、軽く叩いて埃を払う。

「大丈夫?」

「えっ、はは、はいっ」

「災難だったね。スマートフォンは壊れてないかな」

 柔らかくて優しい笑顔に、胸が一気にきゅんとなった。これまで天の高みにいて目さえ合ったことのない憧れの人が、今目の前で微笑んでいる。こんな奇跡ってあるのだろうか。

「盗撮って本当に俺を?」

 今度は、一気に頰が熱くなった。嘘をついたところでその変化だけでバレバレだろう。切れ上がった目尻を下げると、王子は笑いを堪えるように苦笑した。

「物好きだね。構わないけど、そんな真似をされたのは初めてだよ」

 やばい……、もう……、もう、そんな優しい目で見つめられたら!

「……あ、あの、ヒ、サキさん。よかったら、名前を、教えていただけませんか」

「名前……?」

 不思議そうに瞬きをする王子に、陽乃は手にした生徒手帳を差し出した。

「こっ、これに漢字で。──あ、できたらここにお願いします!」

 革表紙を捲った最初の一頁の、写真と名前の間にある空白を指差す。つまり陽乃の名前の真上である。

「……こんなところに書いて構わないの?」

「全然構わないです!」

 一瞬躊躇うような表情をみせたものの、すぐに彼はペンを取り出し、美しい筆跡で自らの名前を書き込んだ。──氷崎理鷹。

「ひさき……りたか?」

「まさたか。なんだ、てっきり覚えてくれてたと思ったのにな」

 ──え……?

「あ……、さすがに名前は調べられなくて……、クロ学に知り合いもいないですし」

 氷崎は答えずに微笑すると、「入江陽乃」と、柔らかな口調で生徒手帳に記された陽乃の名前を読んだ。

「名前に太陽の陽の字が入っている。俺とは対照的で、温かい名前だね」

 あれ? と、陽乃は眉を寄せて瞬きをした。今と似たような会話をどこかで──遠い昔、どこかで誰かと同じように交わした気がする……。

「じゃあ」

「あっ、あの、氷崎さん」

 氷崎が背を向けようとしたので、陽乃は反射的に呼び止めていた。

「なに?」

 用事はない。いや──ある。言っちゃえ、言っちゃえ私。これはもう神様が用意してくれた運命だ。この機会を逃したら、もうチャンスなんて永遠にこない。

「っ……、私と、……っ、つっ、つきあってくださいっ!」

 沈黙──もう、自分の心臓が暴走する音しか聞こえない。いくらなんでも乱暴すぎたとか、もう少し段階を踏めばよかったとか、後悔だけが頭の中を駆け巡る。

 断られる。絶対に断られる。せめて友達からとか、そんな猶予をもらえたら──

「いいよ」

 ──……え?

「いいよ。俺も前から、入江さんのことが気になってたんだ」

 陽乃はぽかんと口を開ける。

「俺とつきあっても、面倒なことばかりだと思うけどね。乗り換えのホームまで送るよ」

 さらに陽乃は、口を大きく開けていた。

「えっ、なんで……乗り換えるって知ってるんですか」

「さっき、前から気になってたって言わなかったっけ」

 少し笑った氷崎が、陽乃を促すようにして歩き出したので、陽乃は慌てて後を追った。

「気、気になってたって……、なんで、ですか」

「なんでかな。いつも前の席に座って、俺をスマホ越しに見ていたからかな」

 からかうような口調だったが、陽乃は狼狽えて動けなくなった。バレてた……、そりゃ毎日対面に座ってスマートフォンで撮影していたから、不審に思いもしただろう。

「……け、消します、動画……、気持ち悪いことして、ごめんなさい」

「別に消さなくていいし、これからは堂々と撮ればいいよ」

「堂々、と……?」

「つきあってるんでしょ、俺たち」

 ぱぁっと顔が熱くなり、ついで耳までそれが広がった。つきあっている──ということは、もう交際がスタートしたってこと? え? まだなんか全然実感が……ええーっ?

「行こうか。次の電車まで時間があまりないよ」

 微笑んだ氷崎が歩き出したので、陽乃はロボットみたいにギクシャクと後を追った。

「ひ……氷崎さんは、今、三年ですか?」

「うん。ただ病気で一年休学してるから、実際の年は入江さんより三つ上だけどね」

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