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腐女子のわたしが鬼畜彼氏に極愛されました。

水戸泉

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(残金、二千五百二十一円……)

 ハンバーガーショップのトイレで、財布の中身を数えながら、仲井絵理菜は肩を落とし、溜め息をついた。ここにも長くはいられないから、そろそろ漫画喫茶に移動しなければならない。

 ショルダーバッグが二つ、リュックが一つ。

 そこに詰められているのが絵理菜の、全財産だ。

 絵理菜は携帯電話で日付と時刻を確かめたあと、電源を切った。かかってくるあてはないから、必要な時以外は電源を落としておく。

 店内に鳴り響く陽気なクリスマスソングは、トイレにまで聞こえてきていた。

(来月は成人式かあ……。まさか、自分が大人になった時、全財産がカバン三つに収まっているなんて、思わなかったな)

 閉じた便座の上から立ち上がり、絵理菜は荷物を抱えて個室から出た。時刻は午前四時五十分。そろそろ始発電車が走り始める。

 今月は無理だが、もう少し残金に余裕がある時なら、環状線に乗れた。暖房の効いた電車の中で、座って眠れる。

 もっとも、全財産に該当する大荷物を抱えている今となっては、それも叶わなくなった。網棚に荷物を載せて、熟睡はできない。置き引きの被害に遭うからだ。実際に絵理菜は一度、荷物を盗まれていた。

 貴重品は服の中に隠したポーチにしまい、ノートパソコンや携帯端末の入ったカバンは膝に抱えていたから無事だったが、着替えを一度にすべてなくした痛手は大きい。

 都心のファーストフード店は今や、無宿の者たちで溢れかえっている。特に深夜は、えたにおいが立ちこめるほどだ。

 店側も心得ていて、最近では定期的に店内を巡回し、睡眠は取らせないよう、声をかけて起こす。トイレもチェックされるから、トイレでの居眠りも三十分が限界だ。そもそもトイレで睡眠を取ること自体が非常識で、他人の迷惑になることくらいは絵理菜も重々承知していたが、三ヵ月という長い放浪生活で、横になって眠れた日は片手の指の数にも届かない。

 今、絵理菜は座っただけで昏倒してしまいそうになるのを、懸命に堪えていた。

(六畳くらいのスペースで、紙を拡げて絵を描きたいな。あと、お布団で足を伸ばして寝たい……)

 放浪の日々でも、絵理菜の頭にある欲求は、絵を描くことばかりだった。それに最近、睡眠が加えられた。

 我慢強いほうだし、空腹はある程度耐えられたが、絵を描くことと睡眠の二つを奪われることだけは絵理菜にも耐えられない。

 絵理菜が棲む家をなくしたのは、今から三ヵ月前、九月のことだった。残暑が通り過ぎ、暦の上では秋でも、真夏日が続いていた。

 発端は五年前、父親が失踪したことだ。

 小さな広告会社をリストラされた絵理菜の父に再就職は難しく、彼は個人で広告の仕事を引き受け始めた。営業はおもにインターネットで行われたが、過去に絵理菜の父がデザインに関わった企業の半数は倒産しており、残る半数も広告にまともな費用を投じられる経営状態ではなかった。

 仕事はすぐに行き詰まり、絵理菜の父はうつ病を発症し、ある朝散歩に行くと言って出かけてそれきり行方は知れない。

 絵理菜の母は警察に捜索願を出したが、『よくあること』だからと、まともに捜索される気配はなかった。

 幼児ならともかく、成人している男の失踪などいちいち取り合うほど警察は暇ではないのだという。

 当時中学生だった絵理菜は、足が棒になるまで父を捜したが、おそらく父は徒歩圏内にはいないだろうと母は言った。中学生の絵理菜には、車や公共の交通機関を用いて父を捜すことはできなかった。

 考えた末に絵理菜は、スマートフォンからSNSに登録し、父の目撃情報と帰還を願う文章を載せた。しかしそれは父の発見にはつながらず、さらなる厄災を呼び寄せた。

 子供だった絵理菜は、プロフィール欄に自分の年齢を書いた。その結果、絵理菜の年齢と地名、父の名前と写真から、同級生が絵理菜だと割り出した。絵理菜は学校で写真を隠し撮りされ、SNSで拡散された。

 絵理菜自身が自覚しようがしまいが、絵理菜の存在には話題性がある。失踪した父を捜す少女という絵理菜のプロフィールは、ある種の男の欲望を刺激した。

 失踪した父を捜す絵理菜に、探偵だと名乗る男がメッセージを送ってきた。探偵は、無償で父親を捜してやってもいいと告げ、絵理菜をホテルに呼び出した。

 今となっては愚の極みだと絵理菜自身も思うが、にもりたい思いで絵理菜は呼び出しに応じた。

 当然の如く男が探偵だというのは嘘で、絵理菜は古びたビジネスホテルの、臭いベッドに押し倒されそうになった。咄嗟に絵理菜は母の教えを思い出し、椅子で窓ガラスを叩き割った。

 防音とプライバシーが優先された個室内で、悲鳴をあげるのは無意味だと絵理菜は母に教えられて知っていた。

 結果、男は逃げた。犯されるという難は逃れたが、別の難題が絵理菜に降りかかった。絵理菜はホテルの従業員によって警察に突き出され、売春をした容疑で補導され、絵理菜の母はホテルからガラス代を請求された。絵理菜を騙した男は捕まらなかった。

 父の失踪から連なる、それらすべての事象に対して絵理菜の母は、「地獄だね」と力無く笑った。

 その母に、自称探偵の男と会うことを事前に相談しなかったことだけを、絵理菜は悔やんだ。

 言えば反対されるに決まっていたし、その反対意見は圧倒的に正しかったはずだ。

 絵理菜は焦りすぎたのだ。早く見つけないと、父とはもう一生会えない気がして。

 母は絵理菜を責めなかった。彼女は確かに絵理菜の理解者で、だから絵理菜は取り返しのつかない罪を犯した気がした。

 その母も半年前、肺炎をこじらせて死んだ。だが、絵理菜の放浪が始まったのは、母が亡くなったこととは無関係であった。

 東北の地方都市から上京し、都内随一の美術大学に進学した絵理菜は、奨学金とアルバイトですべての学費と生活費をっていた。

 最初に住んだのは家賃三万円のトイレ共同風呂無しのアパートで、震度3の地震でも倒壊しそうなほどんだ。

 居酒屋のアルバイトに、夜だけ週五日出勤して、月収は十万円と少し。土日に単発のバイトにありつければ、それに一万円か二万円くらい追加される。

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