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おじさま教授の甘く執拗な蜜愛

橘志摩

2.奇妙な取引 (1)




2.奇妙な取引




 高科瑞保というその人は、結花が在学していた当時から、人気があるのかないのかよくわからない人だった。

 元々文学部にいた結花は、瑞保の授業を受けたことはない。初めて会話をしたのはこのバルコニーで、だ。

 そのバルコニーは大学校舎内の奥まった場所にあって、常に人気はない。存在は知っていても、そこまで足を伸ばすのが億劫だからだ。

 結花があの日、このバルコニーに来たのは、ただの気まぐれだとしか言いようがない。この場所が瑞保にとって、近場でできる星空観察の最適な場所だったのも、ただの偶然だとしか、言いようがない。

 そんな初対面を経た二人が、きちんと教師と生徒として初めて会話したのは、サークル合宿に行った時である。サークルの先輩に紹介された時、瑞保はさしてやる気なさそうに反応して、結花にはただ「よろしく」と言っただけだった。

 お互い見知っているのに初対面の振りをしたのはきっと、あのバルコニーで初めて出会った時に過ごしたあの時間を、他の生徒に知られたくなかったからだろう。

「……今なら戻れる。意味はわかるね?」

「……ここまで連れてきて、今更聞くんですか?」

「後悔して欲しくないからね」

 そう言った瑞保は、ソファに腰を下ろした。言葉少なに部屋を見渡している結花をよそに、彼は、ジャケットからタバコを取り出して口に咥えている。

 彼の車に乗せて連れてこられたのは、それなりに有名なビジネスホテルだ。人気もあり名前も知れている。飛び込みで部屋が取れたのは奇跡に近いだろう。

 結花の心臓は緊張で今にも壊れそうなほど脈を打っているというのに、彼のその余裕な態度が少しだけイラついた。

「……先生は、後悔しないんですか。元生徒と寝ても」

 その仕草を崩したくて、強気な言葉を口にしながら彼の傍に歩み寄ると、笑みを浮かべたままの瑞保が、結花の手を握った。

「しないね。君は自分を抱きたいかと聞いただろ」

「……そうですけど……」

「抱きたいと思ってなかったら、今ここに、君とはいない」

 ぎゅっと握り締められ、そのことに心臓が音を立てる。腕をぐっと引かれて、足が少しだけふらついた。

「問題は、君が僕に抱かれたいって、本気で思ってるかどうかなんだけど」

「……誘ったのは私ですよ?」

「……僕は本気にするよ」

「え?」

「結花を抱きたい。心から」

「……先生? わっ」

 急に強く腕を引かれて、今度こそ身体が傾いた。

 だが結花の身体が床に倒れることはなく、そのまま瑞保の腕の中だ。身体を強く抱きしめられて、身動きが取れなくなってしまう。

 腰に回った腕が結花の体勢を整えて、気がついた時には、彼の膝の上に座ってしまっている。その格好が恥ずかしくて、照れくさくて、とっさに逃げようとしたが、思いがけず力強い腕のせいで逃げることもできない。

 頰を摑まれ、額を重ねられ、今まで近づいたことのない距離で視線が絡み合う。

 耳の裏側にまで響く自分の心臓の音に、心が壊れそうだと思った。

「もう逃げられないよ。覚悟してね」

「……っせ、せんせ……っん、ぅ……!」

 重なった唇は、その人柄から想像できないほど荒々しい。それなのにどこか甘くて、優しい口づけだった。

「……結花……」

「……ん、ふ……っぁ、っ……」

 頰に当てられていた掌が耳の裏に回って、指先が肌を撫でただけで、一気に粟立った。

 まだキスだけなのに、身体に火をつけられたかのように熱かった。

 舌を絡められ、強く吸われ、歯列をなぞられると背筋を甘い寒気が駆け抜けていく。

 彼の膝の上に座らされたままだった上体は身体の力が抜け落ちたことで、瑞保の胸にもたれ掛かってしまっていた。

 唇が離れて、自分の呼吸が酷く乱れているのに気がついてはいたが、すぐに整えられなかった。

 瑞保の掌が結花の頭を優しく撫でてくれている。耳を当てている胸から、彼の心臓の少し速い鼓動が聞こえてきて、それが何故か、やたらと落ち着いた。

 指先で髪の毛をかれる感覚が心地いい。腰に回っていた彼の腕がかに動き、結花の背中をポンポンと撫でた。

 そんなふうに甘やかされたのは初めてで、緊張していた心が少しずつ解けていくような気がする。

 だが、それ以上彼が何かをしてくるような気配はなくて、結花は少しだけ不思議に思い、恐る恐る顔を上げた。

「……あの……せ、先生?」

「……うん?」

 至近距離で見つめた彼の眼差しは、とても優しい。

 結花が息を呑んでその表情をただ呆然と見つめていると、瑞保は頭を撫でて、額にキスを落とし、彼女の頭を再び自分の胸に押し付けた。

「……あの……続き、しないんですか……?」

「うん。まだ、ね。……結花が、少し落ち着いたら、するよ」

「え?」

「……こんなふうに、やけくそになってる君を見たのは初めてだ。……今度は、何をされたの?」

 優しく聞いてくる声に、一瞬瑞保が何を尋ねているのか、理解できなかった。

 だが、彼の言葉がさす意味はすぐに思い当たり、自分が振られた事実を思い出してしまった。




 どうせなら忘れていたかったのに、忘れたまま瑞保に慰められたかったのに、そんな言葉が胸に浮かんで、消えた。

 代わりに眦にこみ上げてきたのは涙だ。こんなことをしている自分がやたら惨めに思えた。

「……ど、どうして……っそんなこと聞くんですか……っ!」

「言ったでしょう。僕は本気にするよって。心から結花を抱きたいとも言った。僕は大事にしたい。君の心には、どんな傷をつけられたの?」

「……っそ、そんなの……っ先生に言う必要ない……っ」

「僕に縋ろうとしてるのに?」

 責めるような言葉を口にしているのに、彼はその優しい笑みを崩さないままだ。結花の頭を撫でる掌もそのまま。

 優しく撫でられ続け、頰に唇を押し当てられて、涙腺が決壊した。

 ボロボロと涙をこぼしているのに、嗚咽を漏らさないように唇を嚙み締めた結花に、瑞保は触れるだけのキスをした。

「……言ってごらん。僕になら、いくらでも縋っていい」

「……っ……つ……つまんない、って……っ! や、ヤッてても面白くないって……っ!」

「……うん」

「……み、魅力ない、って、だから、他の女の子と、結婚するんだって、そ、そう、言われて……っ、今時、夢持ってる女なんておかしいって……、わ、笑われて……っ!」

 それを言われたのは、つい数時間前だ。仕事終わり、約束していた待ち合わせ場所の喫茶店で、五年も付き合っていた男に、そう言われた。

 顔を見られたくなくて、瑞保の胸に顔を押し付けると、彼はそのまま、結花の頭を優しく撫で続けてくれた。

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