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ドS天才パティシエさまには逆らえない!

南咲麒麟

第一章 (2)

 そんなことよりも、と愛莉は気合いを入れてショーケースに目を凝らす。閉店時間が迫る人気店だ。当然ながら、残っているケーキは数少なかったが、それでも希望は捨てていない。

 熱心に端から順に目で追っていく。

(…………リコッタチーズ……プティ……)

 ない。どこにもない。信じられなくてもう一度、同じ動作を繰り返す。やはり、ない。

(う……売り切れ?)

 どっと疲れが出てきた愛莉は、ケーキをよく見るふりをしてしゃがみ込んでしまう。辛い。人生が辛い。朝から頭を下げ続けた報いがこれなのか。情けなくて涙で視界が揺れる。

「また泣いてんの?」

 ふと目線を上げると男性店員と目が合った。例の宝箱形のショーケースの向かいからガラス越しに、彼はなぜか同じようにしゃがみ込んでくれている。しかしその表情は心配というよりも物珍しさに満ちていた。

 また? 一瞬、その言葉が引っかかる。しかしそんなことよりも。

「な、泣いてなんかいません。ていうか泣くわけないじゃないですかっ」

「そうだよな。いい歳した女子がケーキが売り切れたぐらいで泣くわけないし」

 ガラス越しに面白そうに目を細めている店員を、愛莉は軽く睨みつける。よく見れば小さく整った顔立ちをしているこの無愛想な店員が、愛莉に今日初めて見せた笑顔。それがこの感じの悪い微笑みだなんて、あんまりだ。

「当たり前です。これはちょっと、その。花粉症で……」

 目尻を押さえながら慌てて立ち上がる。

「そりゃまた、随分と流行遅れの花粉症だな」

 呆れたような声で、彼も一緒に立ち上がる。予想していたよりもずっと背の高い人だった。店員は愛莉に向かって「で?」と片眉を上げてみせる。

「?」

「何が欲しかったのか聞いてんの。材料あるなら裏でパッと作ってきて──やれるかどうか、パティシエに聞いてきてやるから」

「……いいんですか」

 この店のパティシエといえば、あの天才・如月遥斗のことに違いない。まさか自分のためにわざわざ作ってくれるというのか? だとすればなんという優しい、心の広い、人間の出来たパティシエなのだろう。さきほどまでの不幸も忘れて、愛莉はすっかり感激してしまった。

「材料があれば、だよ。だからそんな捨て犬みたいな目でこっち見んなって」

「でもでも、その、ありがとうございます! こちらのパティシエさんには以前にも助けてもらったことがあって。もう人生救われたっていうか。だから今の私があるっていうか」

「ふーん。そうなんだ」

 あまり興味なさそうに、その店員は店の奥のカフェスペースを指さした。

「まぁあんまり期待しないでそこに座って待ってな。えっと欲しいのは何だっけ?」

「……とリコッタチーズのプティガトー……です」

 店員は「あーそれなぁ。季節モノは大体、午前中でなくなるんだよな」とか「確か新作の材料の中に」などとぶつぶつ言いながら厨房に消えていった。

「……」

 あの無愛想店員の薄い反応を見る限り、愛莉が胸に秘めていた、パティシエ如月への膨大な感謝の意は、その半分も伝わりそうにない。もし叶うなら、直接、お目にかかってお礼を述べたいぐらいだが、如月という天才パティシエは極度のマスコミ嫌いらしく、容姿や年齢などすべてが不詳だった。

(でもまぁ、それがまた格好いいんだけど)

 この店の一番のお気に入りである、最奥の窓際にある小さなテーブルに落ち着きながら、愛莉は勝手に如月遥斗の姿を想像する。

 きっと彼は、いつも内気そうで淡雪のような笑みを絶やさない男性で、誰もが認める天才なのに決して傲慢でなく、愛莉のような客にまで親切な心遣いを忘れない人に違いない。心優しい彼は当然、大勢の仕事仲間に愛され、彼もまた周囲に感謝しながら、魔法のように次々と美味しいパティスリー達を生み出していくのだ。話し方はあくまでも穏やかで、温かみに満ちた低めの声。男性にしては華奢で線の細い人かもしれない。一人称は僕か、私が似合っていて。

(ああ、もしひと目でもお会い出来たら)

 と愛莉は夢見るように思っていた。是非、お礼を言いたい。

 如月さん、ありがとうございます。貴方の創り出したケーキに何度、救われたことか。そして昔、私にとても素敵なプレゼントをくれたことを覚えていますか?




 あれは今から半年ほど前のことだ。

 今の仕事にもようやく慣れ、愛莉にしては珍しく条件の良い派遣先を紹介できることになった。担当した派遣社員の女性は三十代のキャリアを十分に積んだ事務員で、身体を崩して正社員を辞めてから、今回が初めての仕事復帰だという話だった。まだ体調に不安があるから、最初は派遣社員ぐらいから始めたいのだと、きちんとした口調で説明してくれたのを覚えている。一緒に面接に行って、担当者と細かな打ち合わせをした。スキル的にも何の問題もない、ということで週明けから勤務することになっていたのだ。それなのに。

「断るってどういうことですか!?

 突然、先方からかかってきた電話に、愛莉は真っ青になっていた。

「断るんじゃなくて別の人にするっていう話だよ。おたくの会社の、ほら山内っているだろう。あの人から昨日、電話がきて『自分の紹介するスタッフの方を使ってくれ』って。ほら、彼には前にも、結構無理言ってスタッフ用意してもらってるし、まぁうちとしては、来週から同じスキルの事務員が来てくれさえしたら、誰でもいいんだから。そちらの会社としても別に報酬が減るわけじゃないでしょ」

 そういう話じゃない、と抗議する間もなく、電話は切られてしまう。山内と言えば愛莉の先輩にあたる四十代の男性コーディネーターだった。慌てて彼の部署まで行って文句を言おうとしたら逆に、

「困るよ、君」

 といきなり怒られた。

「あの派遣先とは昔からの付き合いなの。いくらキャリアとスキルがあるって言っても、登録したての派遣社員を行かせてどうすんの?」

「でも! 先方にはきちんと説明して了解をもらっています。派遣社員の方だって、こちらの会社で来週から働くってことで、別のお仕事を断ってくれているんですよ?」

「それはそっちの都合だろ? お前はうちの会社の人間なんだから余計なこと考えるな。大体、そいつがなんかミスしたら責任取れんの?」

「だから先方は、派遣の経験者じゃなくてもいいって」

「言われたからお前は、登録したてのド素人を派遣させようって思ったのか? 俺の担当には経験豊富な派遣社員達がたくさんいるんだぞ」

「……」

 黙ったのは納得したからではない。話しているうちに「横取りされただけ」と分かってしまったからだ。今回、愛莉が頑張って取ってきた仕事は、あまりにも条件が良すぎた。山内はたくさんの優秀な派遣社員を抱えており、同じように好条件の派遣先を探している。

(……ひどい……なら最初から言ってくれたら……)

 これは何も難しい話ではなくて、単に山内という先輩に愛莉が力負けしてしまったということだ。そのときも自分の無力さに打ちひしがれてしまったが、それ以上に辛かったのは、その派遣社員に今回の話がなくなった、と伝えたときだった。

 会社の会議室で説明している間彼女は始終無言で、恐ろしく無表情だった。愛莉は必死に頭を下げ続け、一緒に会社を出てビルの玄関先までついて行った。

「出来るだけ早く、次のお仕事が紹介できるように頑張りますから」

 愛莉が言うと、その日初めて「もういいよ」と小さな声で返事がきた。

「もういい。この派遣会社には二度とお世話してもらいたくない」

「……すみません」

「川科さんのことさ、いい人だなって信用してたのに。あんたはこうやって頭さえ下げてれば、それでいいでしょうね。でも私は、明日から無職だよ。どうしてくれんの?」

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