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紳士の獣性 外国人ダーリンの情熱求愛

御堂志生

第一章 安全第一の女 (3)

 亜子はそんなふたりのやり取りに微笑みを浮かべながら、チョコレートの箱を抱えて給湯室に向かって歩き出した。



☆ ☆ ☆



 十五時を回ったころ、今朝帰国したばかりの藤堂から簡単なお使いを頼まれた。

『この書類を届けたら、今日はもう上がっていいよ。クライアントの会社は横浜の中華街の近くだから、週末だし、たまには遊んで羽を伸ばしてくるといい』

 行き先が横浜なら、往復するだけで十七時を回ってしまうのは間違いない。しかし、出先から直帰と言われても、戻ってくるのは事務所の隣にあるマンションなのだ。

(羽を伸ばせって言われても……)

 遊びひとつとっても、亜子が予定を決めずに行き当たりばったりで動くことはまずない。

 誰と、いつ、どこへ行くか。少なくとも前日には決めておく。仮に『ひとりで中華街をブラブラして、夕食を食べて帰宅する』というだけのことでも、どこで何を食べるか、何時の電車に乗って帰ってくるのか、事前にリサーチ、計画してから行動するタイプだった。

 その結果──亜子は残業するであろう人数分の肉まんを抱え、十八時前には事務所のあるビルの前に立っていた。

 ちょっと遅くなったのは、肉まんを買ったのが人気の店で、並んでいた時間が三十分以上あったからだ。

(いいわよね、別に。中華街を歩いただけでも、気分転換になったわけだし……。これだって羽を伸ばしたことになるわよ、ねぇ?)

 心の中で言い訳をしてみるのだが、なんとなく、足が重くてエレベーターホールに向かう気にならない。

 そして、それには理由があり……。

『今回の出張、上手くいかなかったのかな? 美波さん、何か聞いてない?』

 亜子がお使いに出たとき、そっと抜け出して彼女を追いかけてきたのは、事務所で一番若い弁護士、叶慶介だった。

 叶の身長は約一七〇センチ……本人曰く『一七〇に数ミリ足りない』という話だが、亜子たちの目には数センチ足りないように見える。一五六センチの亜子が五センチ程度のヒールのあるパンプスを履くだけで肩が並んで見えるのだから、言わずもがなだ。

 彼は小柄な上に若く見える容貌をしており、それは弁護士として甚だ不利な見た目と言える。だが、中身は国立大学をストレートで卒業、司法試験も一発合格。米国でもふたつの州の弁護士ライセンスを持つという将来有望な若手弁護士のひとりだった。

 三十一歳で独身。まだ結婚を焦る年齢ではないと思うが、彼自身が大家族の中で育ったため、なるべく早く結婚して子供を持つのが夢だという。

 そのせいか、公私問わず、知り合った独身の若い女性には片っ端から交際を申し込んでいると聞く。

 だが、亜子は食事にすら誘われたことがなかった。

 別に誘われたいわけではないが、そこは複雑な女心だ。そんな叶に人目を避けるようにして声をかけられたら、何ごとかと思ってびっくりする。

『それって、何かあったんですか?』

『いや、そういうわけじゃないんだけど。ただ、今回はあまりにオープンじゃないから。藤堂先生が個人的に引き受けてる感じで……情報が全然回ってこなくてさ』

 いつもの藤堂なら、海外出張から戻ったときは自宅で一日のんびりしている。時差に弱いため、一日かけて体調を整えるのだと聞いたことがあった。

 それが、今回に限っては自宅にも戻らず、所長室に籠もってクライアントとのやり取りに集中している様子だ。

 誰が見てもいつもの彼とは違うので、全員が気にしているのは明らかだった。

 しかし藤堂が何も言わない以上、横から口を出すのはられる。そうなると、秘書として最も近くにいて、尚且つ、同居している亜子に聞いてくるのは必然だろう。

『それが……ご存じだと思いますが、今回の出張はチケットの用意をしてホテルを取っただけなんです。おまけに、ニューヨークに滞在と聞いていたのが、途中で西海岸に移られたと言うし……』

 飛行機だけでなくホテルもキャンセルしたはずだ。カードの請求がくれば実際に泊まったホテルもわかるが、もし、経費ではなく個人的なカードで決済していれば、亜子には知りようがなかった。

『中島さんは、仕事をさっさと終わらせて西海岸に住む金髪の美女に会いに行ったんだ、とか言うんだけどさ。藤堂先生に限って、それはないと思うんだけどなぁ』

 女絡みというのはどうも想像できない。だが、他の所員に話せないような、秘密裡に処理しなくてはならない案件を藤堂が引き受けるはずはない、と叶は言う。

 それには亜子も同意見だった。

 藤堂が亜子の母と同級生だと知ったのは一年と少し前のこと。藤堂は五菱商事の法律顧問に名前を連ねており、亜子を見かけた藤堂のほうから、母の名前を出して声をかけてくれた。

 亜子が会社を辞め、それが原因で祖父と揉めたとき──母と連絡を取り合いながら、感情的になっていた亜子をめて、住む場所と仕事を与えてくれた人だった。

 しかし、大学を卒業したばかりとはいえ、亜子は二十三歳の立派な社会人だ。二十代でひとり暮らしをしている女性は大勢いるし、アルバイトをしながら就職活動をする女性も珍しくはない。

 普通なら、そこまで亜子の身を案じることはないだろう。だが、彼女の家はある意味、特殊で……藤堂はそのことを知っていたのである。

 美波家は代々警察官僚を輩出しており、亜子の祖父、晃三郎も最終階級は警視監、役職は官房長だった。入庁年次の関係でそれ以上出世する前に定年を迎えてしまい、それが酷く心残りだったようだ。

 目指す地位まで到達できなかったことが祖父を歪ませたのか、とにかく独裁的な人物だった。他人でも身内でも、彼に従わない人間には容赦がない。少しでも反論すると、すぐに恫喝して相手を萎縮させようとする。その上、元警察官僚という人脈を使って、社会的に圧力をかけるのだから始末に負えない。

 それは同居する家族に対して最も顕著だった。

 とくに、十年前に亡くなった祖母に対して、祖父は傍若無人の限りを尽くしていた。

 ──娘しか産めなかった役立たず。嫁にする女を間違えた。もっと早く死んでくれたら再婚もできたのに。

 祖母の葬儀の席で散々悪態をつきながら、自分は誠実で辛抱強い夫だったと自賛する。醜悪なまでの祖父の姿は今でもはっきりと覚えている。

 亜子の父、慎平も、祖父が独断で決めた婿養子だという。祖父の忠実な部下で警察官僚だったが、局長止まりで二年前に定年退職。祖父にとってはとんだ眼鏡違いだったらしい。

 家の中で父の存在感はほとんどない。だが母との夫婦仲は悪くないようで、そのことは救いと言えた。

 今、祖父が最も期待をかけているのは、亜子の長兄、亮太だった。

 三十歳で階級は警視、警視庁の管理官の役職にある。祖父の願いどおり、出世街道をひた走っているらしい……今のところは。

 そんな暴君に反旗を翻したのは、次兄の将臣ただひとり。

 彼はごく普通の警察官を志し、高校卒業直前、誰にも相談せず警視庁の採用試験を受けて合格した。

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