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紳士の獣性 外国人ダーリンの情熱求愛

御堂志生

第一章 安全第一の女 (2)

 だが、法律事務所に勤めながら法律のことは何もわからず、所長秘書といっても秘書経験すらない。結果的に、雑用以外のどんな仕事もできないので、とにかく毎日こつこつと働く以外になかった。

『のんびり覚えていけばいいじゃないの。まだ二十四でしょ? ここで働きながら、資格を取ることもできるし、自分に合うことを見つければいいのよ。ああ、いい男を見つけて玉の輿って手もアリよね』

 そう言って励ましてくれるのは一般事務員の中島多恵

 彼女は藤堂が事務所を開業した十八年前から勤めていると聞く。藤堂と歳も変わらず、この事務所で一番の古株だった。

 事務所には多恵の他に一般事務員がふたり、法律事務員がふたりいる。弁護士は藤堂を含めて四人が在籍していた。四人とも米国のロースクールを卒業しており、企業法が専門でクライアントの九割が法人、その半分が外国籍の企業だ。

『クライアントは一流企業が多いし、付き合いのある弁護士も将来を嘱望されてる先生ばかりだし……よりどりみどりじゃない!』

 多恵の言うとおり、藤堂の秘書として行動をともにしていると、一流企業に勤めるビジネスマンや大手法律事務所の若手弁護士と会う機会は自然と多くなる。

 だが……。

(一流企業なんて、もうウンザリ。二度と関わりたくない)

 亜子が大学を卒業して一年間勤めていた会社が〝五菱商事〟──いわゆる一流企業だった。会社の名前を思い出すだけで、どうしても暗い気持ちになってしまう。

(朝っぱらから考えるのはやめよう。せっかくのいい一日が無駄になるわ)

 大きく息を吐いて気持ちを切り替え、亜子は花瓶の水を入れ替えて入り口の正面にあるカウンターに置いた。

 直後、ドアが勢いよく開いたのだった。

「おはよう、亜子ちゃん。いっつも早いわねぇ」

 たった今、思い浮かべていた多恵だ。

 彼女は亜子の母と同じ年代とは思えないくらい、シャキシャキした動きでオフィスに入ってくる。ショートヘアを明るいブラウンに染め、今日はカーキ色のパンツスーツ姿だった。

「あ、おはようございます。早くて当然ですよ。だって、藤堂先生のご厚意で、一番近くに住ませていただいてるんですもの。法律のことが何もわからない分、朝の準備くらいは頑張らないと」

「そんなに気負わなくてもいいのよって、いつも言ってるじゃない。藤堂先生も普通に結婚してたら、ちょうど亜子ちゃんくらいの娘がいる歳だもの。きっと、娘と暮らしてる気分なんじゃないの?」

 多恵は快活に笑う。

 彼女をはじめとして、事務所のみんながこんなふうに言ってくれるのはありがたい。もし前の会社だったら、たちまち〝所長の愛人〟と呼ばれただろう。

 だがこの事務所の人たちは、

『同級生のお嬢さんを預かることになった。ちょうど求職中だと言うんでね、私の秘書をしてもらうことにしたよ』

 そんな藤堂の言葉ひとつで、亜子を受け入れてくれたのだ。

 彼の弁護士としてだけでなく、人として、男性としての厚い信頼ゆえだろう。

「でも、藤堂先生はどうして結婚されなかったんでしょうね? あんなに素敵なのに……」

 三十歳以上離れているとはいえ、もし本気で口説かれていたら……。

 恋愛に不慣れな亜子の場合、簡単に落ちていたと思う。

 だがこの一年、マンションではふたりきりにもかかわらず、そういったムードが漂ったことは一度もない。藤堂が意識的に父親の役割を果たしてくれているせいで、それくらいのことは亜子にもわかった。

(まあ、対象外ってことには違いないんだろうけど。そもそも、そうでなきゃ『ウチにおいで』なんて、気楽に言うわけないだろうし)

 亜子も『素敵!』とは思うものの、一方的に恋するほどの勢いはない。

「うーん、若いころ一度失敗したって話だけど……子供がいるかどうかは、わからないわねぇ」

 バツイチという話は亜子も聞いた。

 そのときに、いつ結婚してどうして離婚したのか、再婚はしないのか、一般論として話題にしたつもりだったが、軽くかわされてしまった。

 一度ごまかされた話題を、さらに尋ねる勇気はない。

 十八年も勤める多恵ですら知らないことなら、他の誰に聞いても無駄だろう。亜子がそんなことを考えていたとき、逆に質問された。

「それこそ、自宅に写真とか飾ってないの?」

 少し考えてから首を左右に振る。

「家族写真みたいなものは……全く見ないですね」

「隠すの上手いからねぇ。ここを始めたときはまだ三十代だったから、そのころから女っ気ナシのはずはないんだけどなぁ。今はもう枯れちゃったかもしれないけど」

「やだ、中島さんたら」

 多恵が冗談めかして言うので、亜子もクスクスと笑ってしまう。

 そのとき、ふいにドアが開き──。

「酷いな、多恵さん。羽田から事務所に直行するくらい精力的なのに、枯れ木のように言われたら、帰ってふて寝したくなるよ」

「と、藤堂先生!?

 スチールグレーのスーツに身を包んだ藤堂が、苦笑いを浮かべて立っていた。

 五日間の予定でニューヨークへ出張し、十時間以上のフライトを終えて帰国したばかりのはずだ。しかし、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港からなら、帰国の便はほとんど午後に到着する。

「お帰りなさいませ、お疲れさまでした。でも、どうしてこんなに早く? 成田までお迎えに行くつもりで……あれ、羽田っておっしゃいましたよね? 帰国の際は成田への便をお取りしたつもりだったんですが、わたし、何か間違ってましたでしょうか?」

 自分のミスで藤堂に迷惑をかけたのかもしれない。そう思うだけで、申し訳なさに居たれなくなる。

 彼はそんな亜子の心情を察したのか、慌てて釈明を始めた。

「ああ、いや君のせいじゃない。所用でね、西海岸のほうに移動したんだ。ロスの空港から戻ったから、時間が早くなった。それだけだよ」

 ホッとすると同時に、藤堂の言動にいつもと違う何かを感じる。

(いつもより、明るいっていうか……はしゃいでる感じ? ロスで何かいいことでもあったのかしら?)

 亜子がそのことを尋ねようとしたとき、横から多恵が口を挟んだ。

「お疲れさま、藤堂先生。でも、長時間のフライトで疲れてるってわりには、えらくご機嫌じゃないの?」

「え? ああ、そうかな。まだまだ枯れてないつもりだからね。──はい、亜子くん、お土産のチョコレート。おやつのときにみんなで食べてくれ」

 多恵の質問を軽く流しつつ、藤堂は亜子に向かってチョコレートの箱を差し出した。

 それは西海岸で有名なチョコレートのメーカーだ。つい最近日本にも出店し、うちの事務所で法律顧問を引き受けている。お土産に買ってきてくれたのは、日本では売られていない品だった。

「ふーん、ロスに移動したのは女絡みってことか。だって、美人のCAさんから名刺もらって、喜ぶような歳じゃないもんねぇ」

「いやいや、美女から名刺をもらえたら、私だって枯れ木に花ぐらい咲かせてみせるさ」

「言ってくれるじゃないの」

 藤堂は多恵と軽口で言葉をかわしつつ、所長室に入っていく。

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