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やさしいオトコ。 ハイスペック・ダーリンの極上愛

三津留ゆう

File.1 (2)

「助けてやる。話、合わせてろ」

 のある声が耳たぶに触れ、心臓が跳ねる。ろくに返事もできずにいる私にはおかまいなしに、彼はおじさんに向き直った。

「なんだ、きみは!」

 おじさんは、夜闇にもはっきりとわかるくらいに顔を紅潮させていた。邪魔されて、かっとなっているのだろう。

 スーツの彼は、私に「知り合いか?」と尋ねてきた。「違います」と答えると、彼は「あっそ」と軽く応じて、今度はおじさんをめつける。獲物に飛びかかる寸前の、狼のような鋭い目つきだ。

「そのわりには、えらく親しげだったじゃねえか。あんたこそなんだよ、おっさん」

 おじさんは、ぐっと言葉を呑んだ。それもそうだ、ホテル街でこんなことをして、堂々と身もとを明かせる人なんていない。

 言いよどんだおじさんを、彼は馬鹿にするように鼻で笑った。

「おおっぴらに言えねえようなことしてんなよ。どこで誰が見てるかわかんねえからな」

 わなわなと震えるおじさんを後目に、彼は私の肩を抱いた。

「行くぞ」

「え? は、はい……」

 おじさんは相当頭にきたらしく、顔をゆでだこみたいに真っ赤にしていた。なにか言おうとしているみたいだったけど、言い返す言葉もないのだろう。もごもごと言葉にならない悪態をつき、私たちとは逆の方向へと逃げるように去っていく。

 肩を抱かれて歩きながら、私はあらためて彼を見上げた。

「あの……ありがとうございました。私──」

「黙ってついてこい」

 有無を言わせない彼の調子に気圧されて、私はひとまず口をつぐむ。

 彼はむっつりと黙ったまま、それきり言葉を発しなかった。

 見たところ、三十代前半だろうか。スーツを着ているのでサラリーマンかと思ったけれど、それなら無精ひげを生やしてはいないだろう。さっきのしい目つきからすると、まったくの堅気であるようにも思えなかった。

 これは、もしや──。

 背筋がすうっと冷えていく。

 あのおじさんから逃がそうとしてくれたので、つい素直に頼ってしまった。けれど、この人も関わっちゃいけないタイプの人だったのかもしれない。

 このままついていっても大丈夫だろうか。おじさんから助けた謝礼として、いきなり法外な額のお金とか、要求されちゃったりしない……?

 不安になって青ざめたところで、私たちは赤いコンパクトカーの前にたどり着いた。助手席に放り込まれ、彼は運転席側に回る。

「……あの」

 バタンとドアを閉めた彼は、運転席のシートに背を預けた。呼びかけているのに、こちらの声なんて聞こえてもいないようだ。

 声が小さかったかな、ともう一度口を開こうとすると、彼がすっと息を吸った。

「馬鹿野郎!」

「……っ!」

 開口一番怒鳴られて、私はびくりと身をすくめる。

「あんなとこでぼーっと突っ立ってたら、勘違いされるのも当たり前だろうが!」

 彼は苛ついた手つきで、胸ポケットからくしゃくしゃになった煙草のパッケージを引っ張り出した。一本取り出してえると、マッチをって火を点ける。

「……ったく、最近のえのは……」

 いらいらと煙を吐き出したところで、彼は言葉を継げない私をったようだった。ちらりとこちらに目をやると、ぎょっとしたように目を見開く。

「ちょ……おい」

 私の頰には、知らないうちに、ぼろぼろと涙の粒がこぼれていた。彼はあわてた手つきで、火を点けたばかりの煙草を携帯灰皿に押しつける。

「どうした、さっきどっか怪我したか?」

「いえ……違……」

 ふるふると首を横に振ると、涙のが膝に散る。

「痛いわけじゃないのか。じゃあなんだ?」

 一度気がゆるんでしまうと、おじさんに肩をつかまれたときの恐怖が、今ごろになってぶり返してきた。

 泣きんでお礼を言わなきゃと思うのに、涙は止まってくれなかった。それどころか、ひく、と喉の奥が引きつって、うまく息ができなくなる。せっかく助けてもらったのに、これでは迷惑以外のなにものでもない。

 彼はしばらく困ったように、泣いている私を見ていたようだった。ほどなくして、はあっと大きなため息が聞こえる。

 突然泣き出したりして、呆れられただろうか──必死になって目を上げると、彼は意外にも、眉尻を下げた情けない顔をしていた。

「そうだな、俺が悪かった。……怖かったよな、あんな目にあったばっかりなのに怒鳴るなんて」

 彼は、どうしていいかわからないとでもいうように、ぐしゃぐしゃと頭をかいた。

「い、いえ……あんなところでぼうっとしてた私が悪いんです。あんなことする人がいるなんて、知らなかったから……」

 私はぐすんとすすり上げると、彼に向かって頭を下げた。

「でも、もう気をつけます。助けてくださって、ありがとうございました」

「──そっか。わかってんならなおさら、怒鳴ることなかったな」

 お辞儀をした私のつむじに、ふ、と笑う吐息が聞こえた。私の頭を、大きな手のひらがぽんぽんと叩く。

「なんだってあんなとこにひとりでいたのか、知らねえけどな。自分のこと、もうちょっと大事にしろよ」

 頭を上げると、彼は人の好い笑みを浮かべていた。堅気の人じゃないかもなんて疑ってしまったことが、なんだか申しわけなくなってくる。あのおじさんにはひどいことをされかけたけど、こんなふうに、やさしくしてくれる人もいるのだ。

「ありがとうございます」

 もう一度頭を下げると、不思議と涙は止まっていた。

 気を取り直して、私は手の甲で涙をう。こうしていつまでも車内にいると、彼がどこにも行けないということに気づいたからだ。

「本当に、ご迷惑をおかけしました。それじゃ、私──」

「もう遅いから、送ってくよ」

「そんな、悪いです」

「俺も仕事終わったとこだから、遠慮すんなって。どこまで行けばいい?」

 エンジンをかけようとする彼に、私は口ごもってしまった。紘くんの家を出てきた今、私には帰るところがない。

「その……」

「なんだ、やっぱりわけありか」

 図星を指されて顔をらすと、スーツの彼はまた嘆息した。面倒なやつを乗せてしまったと思われているのではないかと、急いで申し出を辞退する。

「本当に、送っていただかなくて大丈夫です。すみません、すぐ降り──」

「おまえなあ、今連れ込まれかけたばっかりだろうが」

 そう言うと、彼は私のほうに、ずいと手を伸ばしてくる。

「……!」

 体は、さっきおじさんに触れられたときの恐怖をまだ覚えているらしかった。反射的に、全身がびくりとこわばる。

「ほらな? たったこれだけで、こんなにびびって……そんなんでどうするつもりだよ、おとなしく送られろって。それとも、帰れない理由でもあんのか?」

「帰れない、っていうか……」

 なにを、どう話せばいいんだろう。

 幼馴染が自分の彼氏になってくれたと思い込み、家に転がり込んでいたなんて、とんでもなく恥ずかしい話だ。今さらながら、自分の幼い勘違いに頰がかあっと熱くなる。

 言いかたに迷っていたものの、私のそんな逡巡は、彼のひと言にかき消された。

「ま、黙ってても、家の近くくらいまでは送ってやれると思うけどな」

「えっ?」

 私は思わず声を上げた。

「ど、どうして? 私の住んでるところ、知って……」

「おまえさ、あれだろ。駅前商店街の喫茶店で、ウエイトレスやってるよな?」

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