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快感・ハネムーン!! 天国のような島でめちゃくちゃ溺愛されました。

麻生ミカリ

第一章 政略結婚は突然に (1)




第一章 政略結婚は突然に




 ──絶対に断る。何がなんでも断る。

 東京メトロ日比谷駅を出て、徒歩一分。

 神原瑛花はヒールのを小気味良く鳴らし、有楽町にある国内屈指の高級ホテルの前に立って、その細長い建物を見上げる。

 交通の便が良い立地でありながら、先ほどから歩いてホテルへやってくる客は見当たらない。

 ホテルの前には黒い車体のロールスロイスと、同じく黒のベントレーが並んでいる。

 近距離であろうとリムジンを使う件については、かつて瑛花も慣れ親しんだ生活水準だから否定するつもりはない。

 だが、この高級ホテルのデラックススイートルームで、彼女を待っている男に関しては説教のひとつもしてやりたい気分だ。

 どれほどの金持ちだろうと、結婚相手を金で買うことはできない。まして、当人の知らないところで勝手に借金のかたに結婚を迫るなど──

「そんなの絶対ありえない!」

 強く正しく美しく、彼女はとした声で自分に言い聞かせようと声に出し、ホテルの回転ドアに向かって歩き出した。

 白い折り襟のノースリーブワンピに、アンクルストラップの白いサンダル、肩口に揺れる黒髪を軽く巻いて、小さめのバッグを肩にかけ直す。

 母ゆずりの色の白さと、目尻のきゅっと上がったアーモンド形の大きな目。黒目がちなためか、あまりきつすぎる印象にはならないものの、少々勝ち気な雰囲気をす整った顔立ちの瑛花は、化粧はごく薄く申し訳程度にしかしていない。

 今年の春に二十三歳になった彼女が、ひとりで都心の高級ホテルにやってきているのには理由がある。

 バッグからスマホを取り出し、相手の名前をもう一度、間違えないように目視で確認した。渡された名刺を持ってくればよかったのかもしれないが、それすら手に取りたくなかったために、わざわざ名刺を撮影してきたのだ。

 逢崎佑、と読むのだろう。年齢は二十五歳と聞いている。日本の不動産業界における屈指の企業と名高い逢崎ホールディングス会長の孫、つまりは御曹司だ。

 まったく面識のない相手だが、その逢崎佑に会うために彼女は土曜の午後、こんなところまで出向いてきた。

 スマホをしまい、ロビーを迷うことなくまっすぐにフロントへ向かうと、折り目正しい従業員が瑛花を迎える。「いらっしゃいませ」の声が聞こえ終わるタイミングで、瑛花は待ちきれないとばかりに口を開いた。

「逢崎さまとお約束しているのですが、お部屋はどちらですか?」

 するとフロントに立つ白い制服の男性が、穏やかな笑みを浮かべる。

「失礼ですがお客さまのお名前をお伺いできますか?」

「神原と申します」

 激しい苛立ちは胃の下あたりに押し込んで、瑛花もこのホテルの格式に合わせた態度で返事をした。

 落ちぶれたとはいえ、神原瑛花は生粋のお嬢さま育ちである。どんな場所でも毅然とし、上品な立ち居振る舞いができるよう、亡き母の教育方針にしたがって生きてきた。それこそが、彼女の座右の銘である『強く正しく美しく』だ。

「失礼いたしました、神原さま。逢崎さまは二十階のデラックススイートにご到着でいらっしゃいます。ご案内いたしますので今しばらくお待ちくださいませ」

 二分と待たず、ほかの従業員とは異なるスーツ姿の女性が姿を現す。いかにも仕事がデキるという雰囲気ではなく、どちらかというと穏やかで母性を感じさせる三十代後半の女性である。

 制服が違うだけですぐにわかる。彼女こそがこのホテルのコンシェルジュなのだろう。昨今では、堅苦しさよりも親しみやすさを感じさせる女性のコンシェルジュが増えていると聞く。

「お待たせいたしまして申し訳ありません、神原さま。本日は当ホテルをご利用いただきありがとうございます。逢崎さまがお待ちのお部屋までご案内をさせていただきます」

「……よろしくお願いします」

 さすがは一流ホテルのコンシェルジュ。自分のような小娘相手でも、完璧なサービスを提供してくれる。

 ──当然といえば当然よね。待ち合わせの逢崎さまは、昼間からちょっとした用事のためにデラックススイートを使うようなひとなんだし。

 そのちょっとした用事こそが、瑛花にとっては不愉快きわまりないものなのだが、コンシェルジュ相手に八つ当たりできようはずもない。

 フロントの左奥にあるエレベーターで二十階まで上昇する間、彼女は地蔵のように黙してバッグをきつくつかんでいた。

 南側の突き当たり、ひときわ豪奢な造りのドアの前で立ち止まったコンシェルジュは、インターフォンを鳴らして客人の来訪を告げる。

『はい』

「逢崎さま、お客さまをお連れいたしました」

『ありがとう』

 その声に、瑛花の眉がぴくりと上がった。

 どこかで聞いたことのある声。いや、どこかなんてものではなく、明確に誰の声なのかを思い出せる。しかし、瑛花の知るは逢崎という苗字ではない。

 ──まさか、まさかね。そんなわけはないわ。声の似ている人なんて世の中にいくらでもいるもの。

 世界は偶然の連続で成り立っているように見えて、すべては必然でしかない。彼女が今、ここにいるのも同じことだ。

 ──ああ、そうだわ、名前の漢字が同じだからついのことを思い出しただけよ。ずっと忘れていられたのに、こんなふうに思い出すなんて今日はほんとうにイヤな日だわ。

 カチャリと小さな音がして、デラックススイートの扉が室内から開けられた。

 その音は、世界の歯車が回り出す音に似て。

 けれど、すべての罠は瑛花がここに到着するより前から仕掛けられていて。

 怒り心頭に発して有楽町までやってきた彼女は、自分を待っていた金でなんでも買えると思い込んでいる御曹司を睨みつけてやろうとしたけれど──

「久しぶりです、瑛花」

 ドアノブを握る指は、男性にしては細く長い。

 少し長めの前髪を、もう一方の手でゆるくかき上げると、は一種独特な色気のある黒い瞳を細めた。

 すべらかな額、手入れなどろくにせずとも整った眉、少々三白眼のきらいがある目、上唇が薄いことがいっそう彼を艶っぽく見せる。

 長身の彼は瑛花を見下ろし、夢見るような微笑を浮かべた。

「た……、……!?

「覚えていてくれたんですね。嬉しいです。きみが来るのをずっと待っていました、オレの花嫁──」

 忘れるわけがない。忘れられるはずがない。

 そんな思いでわななく唇に、かつてのキスが蘇る。

 なんの因果か、そこに姿を見せたのは、四年前に別れた元カレ──斉藤佑だった。



 神原瑛花は、かつてお嬢さまだった。

 過去形で語ることに不満はない。瑛花にとって、裕福だった過去の暮らしは決して良い思い出ばかりではないからだ。

 チェーン展開する大手飲食店グループを一代で築き上げた父は、成り上がりの男性にありがちな行動原理により、名のある家の娘を妻に欲した。結果として、明治から続く資産家の娘──つまり瑛花の母を嫁に迎えたわけだ。

 神原凛子、旧姓梅尾凛子という名に恥じぬ、凛とした美しい女性だった母は、瑛花が小学校四年生のときに交通事故で帰らぬ人となり、それから二年後に父が再婚すると、瑛花は母方の祖父母の住む世田谷の家に入り浸るようになった。

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