新婚(仮)! 初心者奥様、愛に溺れる

ひより

第一章 求婚に至る経緯 (2)

 というわけで、会社の倒産とアパートの立ち退きを命じられてから、仁菜は有給休暇をフル活用してあちこちの会社の面接を受けた。それと同時に新しい部屋探しにも精を出す。

 ──が。

 若菜の保育園を変えたくない、ということを第一条件としていた仁菜は、いざ不動産会社をめぐってみて啞然とした。ここ数年で色々あったためか、大きな地価変動がおきており、今と同じ家賃で保育園近くの家を見つけることは困難だったのだ。それでも家賃の上限を上げることはお財布事情からしてとても難しく、不動産会社に頼んで条件に合う部屋に家賃の値下げ交渉を依頼し、その間は職探しに専念することにした。

 ──が。

 派遣会社、ハローワーク、求人情報誌、店頭の張り紙……。あちこちの会社や店で面接を受けてみたものの、結果は面白いくらいに惨敗続きだった。

 正社員の面接も、派遣社員の面接も、アルバイトの面接もどれもこれも片っ端からすべて受けた。しかし結果はなにもかも、清々しいほどによく落ちた。仁菜は生来のアガリ性で、要領が悪い。前の会社だって仁菜の境遇に同情した社長がお情けで雇ってくれていたようなものなのだ。ましてこの不況のご時世に、残業なし、休日出勤なしの仕事などあるはずがなく。

(でも残業なしと休日出勤なしだけは、譲れない……。だって、家に若菜をひとりにさせるわけにはいかないもん)

 そうこうしているうちにとうとう無職となり家を追い出される日が来てしまった。あれこれ悩んだ末、仁菜と若菜が流れ着いたのは、──場末のカプセルホテルだった。

 両親が健在だったころから切り詰めた生活を送っていた仁菜に、貯金はないに等しい。漫画喫茶で寝泊まりすることも考えたのだが、幼子を連れては危険すぎる。頼れる親戚はいない。幼児を連れて押しかけても許される友人もいない。そうして消去法を繰り返していくうちに、最終的に連泊可のカプセルホテルにたどり着いたというわけだ。

 若菜は驚くほど聞き分けのよい子どもで、カプセルホテルのあの筒状の個室でも、とても礼儀正しく過ごしてくれた。はしゃいで大声をあげることもなければ、あれがいやだこれがいやだとぐずることもない。きっと五歳児なりに仁菜があくせくしていることを気遣ってくれているのだろう。我が妹ながらなんて聡明なのだと感動する。

(とにかく若菜のためにも、なんとかして家と仕事を見つけないと。いつまでもこんなところで暮らしていくわけにはいかない……!)

 わかっているのに、それなのにどうしても面接になると舌が回らなくなってしまい、結果はどれも目も当てられない有様だった。

(なんで若菜とはきちんと話せるのに、面接になるとアガっちゃうんだろう。どうしてこんなに、不採用ばっかりなのかな……。わたしってそんなに景気の悪い顔してるかな……)

 カプセルホテル暮らしも三週間目に突入していた。そろそろ色々なことに限界が近づいてきている。幸いなことに面接の結果連絡はメールか電話がほとんどだったが、しかし今月はそれを受け取る携帯電話の使用料金すら、払えるかどうかあやしいところだった。

 金銭面の問題も、もちろん仁菜を悩ませたが──なによりも帰る家を持たないということは、ただそれだけで気持ちが不安定になるものである。

(いい加減に、今日の面接で仕事を決めないと。……ああ、でも今日のところ、正社員募集の面接だったからなあ……。きっとハードル、高いんだろうなあ……)

 アルバイトの面接でさえ落ちる仁菜である。数々の不採用歴がたたってか派遣会社からも敬遠されがちになっているご身分で、正社員など夢のまた夢……。本当にわたし、これからいったいどうしたら──……。


「お姉ちゃん?」

 若菜の声に、はっと我に返った。

 不安が顔に出ていたのか、心配そうな顔で若菜がこちらを見上げている。チンしたはずの塩鮭からは、既に湯気は失われていた。

「お姉ちゃん、あのね。若菜、今日、紙ねんど大会なんだよ」

「紙ねんど大会?」

「紙ねんどでね、みんなで壁に模様を作るの。夏に潮干狩りで拾ったかいがらとか貼って、保育園の壁をニギヤカにするんだって」

「そう、楽しそうだね」

「でも若菜……、紙ねんどきらいなの。手がかぴかぴになるから……」

「ああ……。そうだね、たしかにかぴかぴになるね……」

「でも絶対、さくら組の壁を一番ニギヤカにできるように、がんばるからね!」

 若菜がぐっと身を乗り出した。くりくりした瞳には闘魂っている。もしかしてこれは、若菜なりの仁菜に対するエールなのではないだろうか。

 仁菜は勝手に感極まった。本当にもうなんてかわいいの!

「うん! わたしも今日の面接、がんばるね! だから若菜も紙ねんど大会が終わったら、きちんと石鹼で手を洗わないとダメだよ!」

「わかった! 若菜、絶対に石鹼で洗うね! お姉ちゃんも面接、がんばってね!」

 そうして姉妹で笑みを交わしながら、コンビニの朝ごはんへと手を伸ばす。

(わたしには若菜がいるんだもん。ひとりじゃないんだから、がんばらないと!)


 ──などと余計に気負ったためか、案の定面接は、ダメだった。

(どうしてわたしってダメなのかなあ……。あんなに事前にマニュアル読みこんだのに、それすらも答えられないなんて……。いや、マニュアル通りがよくないってことはわかってるけど……せめてマニュアルくらいは答えられないとって感じだし……うう……)

 一時間のはずの面接が三十分で終わり、仁菜は打ちひしがれていた。最終的に天気の話になってしまい、面接官に「雨が降りそうだから、もう帰ったほうがいいですよ」と笑顔で促され、すごすごと引き返してきたこの顚末

 しかし帰れと言われても、仁菜に帰る家などない。連泊プランで滞在しているカプセルホテルに戻ってもよかったのだが、せっかくだからこのまま若菜のお迎え時間まで外の空気にあたっていようと、駅前のベンチでぼうっとしていたところへ──株式会社クールファインの総務部第一課部長補佐、桐谷優一が声をかけてきたのである。


   **


 ──突然で申し訳ないのだが、君に恋人がいないのなら、どうか俺と結婚してくれないか。

 その言葉にぽかんと口を開けたまま、仁菜は桐谷優一を見上げていた。

「うちの会社ではそろそろ人事異動の季節でね」

 名を問われたというのにいつまでたっても仁菜がなにも言わなかったため、優一は返答を諦めたのか、彼女の隣に腰掛ける。

「直属の上司が昇進をするのでエスカレーター式に俺も上に上がることになっているんだ」

(部長補佐が昇進するって……、それって部長になるってこと?)

 仁菜は驚愕した。

(今日わたしに雨が降るから帰ったほうがいいって言った面接官の人も、たしか部長だったはずだよ。あの人は五十代くらいに見えたけど……)

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