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実は肉食!? 紳士な先生のドSな本能

立花実咲

第1話 憧れのカレッジリングと片想い (2)

 二年前のゴールデンウィーク明けのある日も、学生会館を出て研究棟を通りかかったとき、白衣を着た奏の姿を見かけたのだが、彼の腕の中に子猫が抱かれていた。

 どうして一ノ瀬先生が猫を? ……と、すぐに興味がそそられた。

 どうやら迷子になった猫を奏が匿っていたらしい。事務員から「野良猫がなついちゃうから構わないでください」と注意されたにもかかわらず、彼は「最近ずっと雨だし、梅雨の間だけでも雨宿りさせてあげようと思って」と言い、猫をやさしく抱き上げ、世話をしていたのだ。

 びしょ濡れになって震えていた子猫は、奏の大きな手に頭を撫でられて安心しているようだった。その様子を見ていた花音までホッとした。

 気配を感じたのだろう。不意に奏の視線がこちらに向けられて花音はドキッとした。盗み見ていたことがきまり悪くて右往左往していたら、眼鏡の奥から覗いた瞳がやさしく細められ「ナイショだよ」と形のよい唇に、人差し指をあてがった。

 花音は頷き、約束どおり誰にも言わずに黙っていた。気になって翌日こっそり様子を見に行ったら、彼はまた同じように子猫の相手をしていた。花音は秘密の共有に密かにドキドキしながら、それからも毎日奏と子猫を気にかけては研究室の傍を通り、彼がいないときは代わりにこっそりお弁当の残りをあげた。

 一週間後、ようやく雨があがった晴天の日、迷い猫の飼い主が訪れたらしく、

「もう迷うんじゃないぞ」

 と、奏が子猫に声をかけ、研究棟前で飼い主に手渡していたところに花音はちょうど出くわした。

 そのときの、葉についた雨粒の光のようなきらきらした奏のやわらかな笑顔が、やさしい仕草が、目に焼き付いて離れないのだ。

 きっと彼は普段からやさしい人なんだろうな、と、胸の中にあたたかいものが込み上げたのを今でも覚えている。男の人の包容力を感じた瞬間でもあった。

 一ノ瀬先生と一緒にいたら楽しいんだろうな。傍にいたら大切にしてくれそうだなぁ。恋人にもあんなふうにするのかな。私もあの子猫ちゃんみたいにやさしくされたい。そんなふうに勝手に妄想して、胸をときめかせてしまっていた。

 きっかけは本当に些細なこと。最初は憧れや好奇心からはじまった。けれどそれ以来、自然と彼を目で追うようになり、会えない日には彼への想いを募らせ、いつのまにか恋という形に変わっていた。

 まさかこんなふうに恋がはじまるなんて、自分でも驚きだった。相手が学生ならどうにかがんばれたかもしれないけれど、彼はキャンパス一人気の准教授……先が見えない。

 周りの学生と一緒に奏のところに集まってみたり、レポートのお礼を言いに行ってみたり、彼の研究室を通りかかるフリをしてうろついたり、それとなく『先生に会いたいオーラ』を出して、好意をアピールしてみたり。ただ、それだけ。友だちには中学生レベルの恋愛だと呆れられているけれど、それしかできないのだから仕方ない。

『また一ノ瀬先生、告られてた!』

 という話題を何度も耳にした。そのたびに焦るものの、同時に断り続けているという話も聞こえてきた。学生と恋愛なんてご法度と考えているのだろうと思うと、安易に行動できなかった。それ以前に、彼ほど素敵な人なら学生よりも年相応の落ち着いた女性が似合うだろう、と思うと花音には自信がなかった。

 けれど、少しも気持ちは醒めることがない。片想いをしてかれこれ二年が経過している。

 好きという気持ちはどんどん膨らむばかり。告白してしまいたいという衝動がどれほどあったか、そしてこの気持ちを何度諦めようと思ったか──。

 花音は、さっきまで見つめていた恋しい人の顔を再びぼんやりと思い浮かべる。

 シンプルな銀フレームの眼鏡の奥に覗いている涼しげな目元はいつも素敵で、レンズに当たりそうなほど長い睫毛と、左の目尻にあるほくろがとてもセクシーだ。

 凛々しく整った顔立ちに眼鏡が似合っていて、すっと通った鼻梁にのせられたブリッジをさりげなく押し上げる仕草も様になっていて格好よい。

 クールな目元と対照的な甘い口元が綻べば、たちまち品のよいやわらかい笑顔ができあがり、理知的な普段の表情とのギャップにも魅了されてしまう。

 ああ、眼鏡もいいけれど眼鏡を外した顔も見てみたい! 白衣の袖から伸びた骨張った手や、長い指先にやさしく触れられたい! という衝動にどれだけ駆られただろう。

 加えて、安定感のある低い声は、瞬殺されそうなほど甘く……彼が講義で喋っている間、ずっと耳を澄ませておきたいと思うぐらい好きで。

(一ノ瀬先生……好き……)

 心の中で叫ぶことしかできないのが悲しい。

 励ましてくれる百合には悪いが、講義が終わっても動く気になれなくて、はぁ……と恋わずらいのため息をもう一つ。

「今告白したら、気まずくなっちゃって、講義出られなくなるし……するなら来年でいいよ」

「来年でいいって……言えないまま卒業しちゃうパターンだね、それは」

 消極的な花音に百合が呆れ顔を浮かべる。

 たとえば今勇気が出なくても就職したら告白できるかな、などと遠い未来に期待を抱いている時点でもうだめだろう。花音自身が一番よくわかってる。

「じゃあ、諏訪部くんは? 二人仲良くていい感じだったじゃん」

 それを聞いた途端、ドキッとした。

 諏訪部くん──諏訪部陽斗はスポーツ栄養学科の爽やかな青年で、二年のときから百合を含めた共通の友人を挟んで仲良くなり、よく花音に話しかけてきてくれたのだが、このところ彼の姿が見えない。

 その理由に花音は思い当たる節がある。おそらく花音が諏訪部の告白を断ったからだ。

「実は、去年のクリスマス前に告白されて……」

 もごもごと花音が説明しかけると、

「えっ……ほんとに?」

 百合がずいっと食いついてきた。きらきら瞳を輝かせている。

「残念ながら……断ったんだよね」

 花音が諏訪部に申し訳ない気持ちでぽつりと答えると、百合は彼の代弁といわんばかりにブーイングした。

「なんでーもったいないー! それってさ、一緒にクリスマス過ごしたかったっていうやつでしょ。勇気出して言ったんじゃん。健気な男子の気持ちを切り捨てるなんてひどい悪女だよ」

「悪女って……そんなこと言われたって……」

 百合の言い方も十分突き刺さると思う。花音は唇を尖らせたくなった。

「諏訪部くん学部一のイケメンじゃん。見た目かっこいいだけじゃなくってさ、ちょっと寡黙だけどやさしいし頼りになるし、告ってる子何度も見てるよ。もったいないよ。なんで?」

「なんでって言われても……他に理由なんてないよ。諏訪部くんのことは友だちだって思ってるし……彼だって好きじゃない子の告白を断ってるでしょ? 同じことだよ」

「だからそれは花音のことが好きだからでしょ」

「私だって……一ノ瀬先生が好きだからだもん。気持ちがないのに付き合うなんて、よっぽど相手に失礼じゃない」

 花音が好きな人として思い浮かべるのは、二年前からずっと奏だけだった。かっこいいからという理由だけで好きなわけじゃないし、外見や性格にしたって比べるところが違うと思う。

 好みだとかきっかけだとか、そういうのは単なる前触れでしかなく、好きだと思ったらもう、その人のことしか考えられなくなるし、どんなところでもよく見えてきて、どこが好きとか説明しきれなくなる。好きになるのに理由なんてない、というのは、こういった恋する現象のことを言うのだろう。

「……だからって告白もしないし見ているだけでいいなんて、花の女子大生これで終わっちゃうなんて絶対もったいなさすぎだって。私だったら十歳以上も離れてる人よりも、同じ年の諏訪部くんみたいな人の方が気楽でいい」

 思いがけず声が響いていたらしい。

 周りの視線が一斉に寄せられて、花音はぎょっとする。

「ちょっと百合ってば。しーっ」

(諏訪部くんが近くにいたらどうするつもりなの……!?

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