身代わりシンデレラ 京のプリンスに愛されすぎて!

南咲麒麟

第一章 御曹司に拉致されちゃって!?――北山通 (3)

 昭和マンガでいうところの『とほほ』な気分だ。宇治に行こうと地下鉄に乗ったは良いが、逆方向であることに気がついたのは最北の駅の手前まできたときだった。

 慌てて降りて地上に出てみたが、どこがどうなっているのかさっぱり分からない。

 仕方なく、観光用の地図を持ってウロウロしていると、乱暴な運転の車とぶつかりそうになった。車から降りてきた人に謝られるとばかり思い込んでいて「いいえ、私もぼんやりしていましたから」などと笑顔で返そうと思っていた矢先、「危ないだろーが」と怒られてしまった。

 ……よく考えれば確かにその通りだ。

 いくら乱暴な運転だったとはいえ、車道に出ていたのは自分の方であり、それなのに謝ってもらおうなどと考えていたことが恥ずかしい。

 即座に深く反省しながら顔を上げると、そこにはびっくりするほどの美青年が立っていた。ああ、ユリに見せてあげたいと思う。自他共に認めるイケメンコレクターのユリならば、きっと泣いて喜ぶ逸品に違いなかった。それだけではない。真希だってクールな素振りはしているが、密かに二次元にまで領域を広げるぐらい、容姿端麗の男が大好物なのである。

(そういうところはあの二人、仲が良いと思うんだけどなぁ)

 流れる車窓の景色をぼんやりと見ながら、葛葉は考える。肝心の葛葉は、それほど男の外見に興味はないのだが、それでもまぁ美青年が好きか嫌いかと問われれば、決して嫌いではない。

 だからだろうか。降りてきた男と二言、三言交わし、気がつけば助手席に乗せられていた。年頃の女性として警戒心がないわけではなかったが、不思議と抵抗できなかったのだ。

 その理由が「送ってやるよ。俺、車だし」と笑った彼のキラースマイルだったとすれば、なんのことはない。自分だって相当、イケメンに弱いということだ。無自覚だった分、ユリや真希よりもタチが悪い。葛葉はこの件についても、即座に深く反省した。

(それにしても……)

 送ってやる、と言ったこの人が、自分に行き先を聞かないのは何故なんだろう?

 誘拐。不吉な文字が脳裏に浮かんで消える。いやいや、誘拐だなんて大袈裟な。大体、誘拐というのはもっとお金持ちのお嬢様とかに似合う言葉であって、自分のような平凡な家庭の平凡な事務職女には関係のないことで。とすれば。

(ひょっとしてこれは拉致というやつなのでは?)

 何かひとつぐらい事実を確認しておきたくて、葛葉は口を開こうとする。しかしその前に、運転中の男がこちらをちらりと見た。

「あんた暇? 暇だよな」

「……えと。きっと暇じゃ、ないです。観光中ですから」

「暇だろ、つか暇だからわざわざ旅行なんかしてんだろーが」

「あ、そういえばそうですよね。はい。暇です、私」

 逆らえない。というか一瞬にして自分の方が間違っているような気持ちにさせられてしまう。まるで天気の話でもするような気軽さなのに、言っている内容だけがメチャクチャ一方的だった。

 そのくせ傲慢さを一切感じさせない辺り、本当によくできた王子様である。

「三泊四日って言ってたよな」

「はい」

「パーフェクト、まさに文句のつけようがない」

「?」

 褒められているのだろうか。でも一体、どの辺を?

 信号機の前で車が静かに停まる。結構なスピードで走っていたのに、水が流れるようにスムーズな停止だった。猛獣を思わせる赤い車体が、この男には大人しく従っている。

「お前さ」

 やたらデカいハンドルに軽く顎を乗せながら、男はこちらを見上げていた。驚いたことに、その仕草だけで強烈な色香を漂わせている。

「名前は?」

「……菜ヶ瀬です」

「じゃなくて、下の名前も。フルネーム知ってなきゃ使えないじゃん」

「葛葉、です。菜ヶ瀬葛葉」

 突然、名前を聞いてくるとか使えないだとか、本当に意味が分からない。

 この王子様はもしかして、葛葉を拉致監禁したあとにどこかの国へ売り飛ばそうとしているか、もしくは偽造パスポートの提供者でも探しているのだろうか。

「……」

 やっぱりこれは拉致で、彼は犯罪者だったりするのだろうか。

「葛葉、ね。葛の葉っぱって書くのか?」

「はい、そうです」

 幼い頃は【クズ】だの【愚図】だの散々からかわれたが、大人になってからは結構、気に入っている。昔、どうしてこんな名前をつけたのかと両親に聞いたところ「響き!」というなんとも簡潔な答えが返ってきたのを思い出した。

「古くから日本で親しまれてきた植物だ。秋の七草のひとつで、晩夏から初秋にかけて濃紺紫色の甘い芳香をする花が咲く。マメ科の植物だから一見地味だが、よく見れば天に向かって昇りつめるが如く咲く姿が実に艶やか」

 信号が青に変わる。慣れた手つきでギアを入れながら、男は言葉を続ける。

「でもやっぱり、有名なのは根だな。葛粉として食用にされたり、葛根湯として漢方の原料になったりしている」

「……」

 全然、知らなかった。葛に花が咲くことも、風邪を引く度にお世話になっている葛根湯が、実は葛を原料としていたことも。恐らく、葛葉の両親だって同じようなものだろう。なんと言っても子供の名前を響きだけで決めてしまう親である。

(それにしても)

 どうして彼は、こんなに葛に詳しいのか。

(植物オタクの王子様、じゃなくて犯罪者……?)

 いずれにせよ、花の好きな人間に悪い人はいない気がする。いや、犯罪者という時点ですでに悪いのか。

 相変わらず混乱しながら、隣の男をちらりと見てみる。何故か目が合った。

「!」

「葛葉か、良い名前だな」

 男が軽く微笑む。それだけでカッと身体がくなってしまった。顔がいいということをもう少しちゃんと自覚して欲しい。

「俺の名は切峰貴哉。覚えておくように」

「切峰? 切峰ってあの華道の、ですか?」

 日本を代表する華道の家元と同じ名である。華道で切峰流といえば日本中はおろか、今では世界中に広まっている壮大な流派だった。東京の片隅で、あまり風流とはいえない日常を送っている葛葉でさえ、その名前ぐらいは聞いたことがある。

「そうそう、若いのによく知ってんじゃん」

 切峰貴哉と名乗った男は、上機嫌で鼻を鳴らした。

(あ、だから高級車なんだ)

 きっとこの男は、切峰家の親戚かなにかに違いない。これで彼の持つ、独特の品格には納得できた。さらに犯罪者でない可能性がぐっと高くなる。

(だって、お金持ちのボンボンでしょう?)

 悪いコトができるはずがない。葛葉は安堵して、シートにもたれ掛かった。身を包み込むような極上のフィット感が心地よい。

(切峰貴哉か、なんか有名人みたいな名前だな……ん? 貴哉、切峰貴哉!?

 突然、葛葉はガバッと身を起こした。

 その名前に聞き覚えがある。切峰家の当主、切峰為新のご子息にして次期家元が、確か貴哉という名前だったはず──。

 華道をやっているわけでもない葛葉が、何故か彼の名前を知っていた。その理由は簡単で、つい最近まで連日ニュースになっていたからだ。

『日本を代表する華道、切峰流がNYで展覧会を開催、大成功を収めた。その活躍の立役者こそ【切峰貴哉】──稀有な才能の持ち主にして、切峰流の次期家元である』

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