この恋が罪になっても お義兄ちゃんと私

桜舘ゆう

第一章 望んでいた再会と、望んでいなかった現実 (3)

「もういいよ。顔あわせの為の食事会なんだから、目的は済んでいるし、恋人同士のお邪魔をしてもね。それに、おまえは親父の前だと緊張して、また水をひっくり返してしまうだろうから」

 からかうように笑う瑛史に、彼女は苦笑いをした。

「意地悪な言い方ですね」

「知らなかった? 俺っていじめっ子なんだよ」

「意外です」

 ふふっと笑うと、瑛史も笑った。


 風が吹き、木々の葉が擦れる音が聞こえてくる。

 お願い、この恋の終わりまでもう少しだけ待って。と、祈るように、莉央は心の中で呟いていた──。


 ★★★★★★


 いつもと変わらない朝がやってくる。

 そしていつもと同じように、莉央は目を覚まし布団から身体を起こした。

 台所からは、食欲がそそられるような味噌汁のいい香りがしてきていた。

 こうしていると、何も変わらない日常に戻ったような錯覚に陥るが、ふいに鳴るスマートフォンの着信音に、変わってしまった現実を思い知らされた。

『おはよう。今朝は少しだけ冷えるみたいだから暖かくして出かけなさい』

 それは、瑛史からのメールを知らせる着信音だった。

 再会の翌日から、瑛史はまめに莉央にメールを送ってくる。

 まるで家族としての絆を急速に作り上げようとしているようにも思えて、彼とのメールは嬉しくもあったが、その理由を考えると心の中は複雑だった。

 ふぅっと一度溜息をついてから、メールを打ち始める。

『おはようございます。早く葉月のお家に引っ越したいです。電車通学、もうやだ』

 葉月の家から莉央の通う学園は、バスで通えるような距離だったからそう返信すると、瑛史からのメールがすぐに返ってくる。

『なんで?』

 端的に聞いてきた彼に再び返信する。

『チカンにあうからです』

 スマートフォンを机の上に置いて、セーラー服の上に学園指定の白いジャケットを羽織ると、電話が鳴って驚かされる。

 画面に表示されているのは、瑛史の名前だった。

「は、はい」

『迎えに行くから、駅で待っていろ』

 それだけ告げると彼は莉央の返事を待たずに電話を切った。


 時間になって駅に行くと、瑛史は改札の向こう側で本当に待っていた。

 スーツ姿の瑛史を見て鼓動が速くなり、駆け寄れなかった。

 鼓動が速くなった理由が恋心だったから、すぐに声をかけられないと思えた。

 ──あの人は、兄だから……。

 しばらく立ち止まって見ていると、彼のほうも彼女に気がついて手を上げてきた。

 鼓動の速さを抑えるように胸元を押さえて、莉央は瑛史のもとへと駆け寄った。

「本当に来ているから、驚いちゃいました」

「嘘は言わない」

「うん、でも……どうして?」

「……おまえの学園の最寄り駅まで送るよ」

「私がチカンにあうって言ってしまったからですか?」

 瑛史が何も言わずにふいっとホームに向かって歩き出した為、莉央も彼を追うようにしてあとを歩く。

 明確な答えを彼はよこさなかったけれど、思い当たる部分はひとつだけだったから、こんなふうに出勤前の時間を使わせるのであれば、瑛史に言わなければよかったと後悔した。

「ごめんなさい、その……」

 彼女の謝罪を遮るように、瑛史が手を差し伸べてくる。

 庭園で手を繋いだときと同様に、莉央はためらいがちに彼の手を握った。

「制服、似合うな」

 くくっと何故か笑いながら言う彼に、莉央は首を傾げた。

「先生には、制服を着たところを見せたような気がするんですけど」

「制服姿で先生とか呼ばれると、なんかいかがわしいよねぇ」

「え? あ……だ、だって……」

 直後に甘やかすように頭を撫でられて心地よさを感じたが、それと同時にお兄ちゃんと呼べなくてごめんなさい、と思った。

 瑛史が、兄と呼べない自分を待っていてくれているように思えるから、早く気持ちの整理をつけなければいけないと判っているのに、彼に優しくされてしまえば未練がましく捨てられない恋情に身を焦がす。

 お兄ちゃんとはまだ呼べない。

 きっと彼は本当の理由を知らず、「照れくさいから、もう少し待って」という彼女の嘘を鵜呑みにしていると思えた。

『俺のことはいいけど、親父に葉月さんなんて言ってやるなよ』

 そう言って微笑む彼に、心がつきんと痛んだ。

 嘘つきで、ごめんなさい。

 悪い子で、ごめんなさい。

 もう少しだけと思えば思うほど、この恋に執着してしまいそうになっている。

 好きだと言ってしまえば、きっと今はこうして優しくも甘やかしてもくれている瑛史に突き放されると容易に想像が出来てしまうから、彼を忘れる為の告白も出来はしない。

 妹という立場をすぐには受け入れられないのに、それを利用して彼に甘えている自分は、なんてずるい女なんだろう。

 ふたりが義理の兄妹になるというレールは出来ていて、ガタゴトと行き先の決まっている電車はとうに動き出している。動いている以上終着駅はあるのだから、ずっとこの状況は続かない。

『お兄ちゃん』

 瑛史をそう呼んでしまえば、この恋は終わる。

 どんなに好きでも、思い続けてしまえばそれが初めての恋であっても罪になる。この恋は罪になるから、恋情にる部分を無理にでも切り落とすようなまねをしなければいけない。痛くて堪らなくても、それが自分に課せられた運命である以上は、受け入れなければいけないと判っている。

 判っていても、この恋にしがみついてしまうのだった。

「そうそう、聞いたか?」

 彼女を見下ろして言う瑛史に、どきりとさせられた。

 彼が何を聞いてきているのか判っていたが、敢えて聞き返す。

「……何を?」

「親父とお母さんが、昨日入籍済ませたって話」

「ああ、うん……知ってる」

 彼と同じ苗字になってしまった現実。

 ガタンゴトンと揺れる電車は、彼女の感情とは別にもうすぐ終点についてしまう。

「ところで、先生の会社って始業時間は何時なんですか?」

「十時」

「だいぶ早く着いちゃいますね……すみません」

「別に謝ることはないよ。いつも早めに出て会社近くのカフェでモーニングを食べているから、時間的にはさほど変わらないし」

「家では朝ご飯を食べないんですか?」

 そんなふうに聞く彼女を、瑛史が笑った。

「いったい誰が朝ご飯を作るのかな」

「──え、作らないんですか?」

「ウチは男ふたりだしねぇ……誰も作らないよね」

「そういうものですか……」

「おまえの家は違うの?」

「うちは……」

 朝ご飯や昼のお弁当は母親が用意をしてくれて、莉央も晩ご飯はすすんで作るようにしていた。

 瑛史と同じようにふたりきりの家族ではあるけれど、食事を作らないという選択肢は、日常生活の中であまりなかった。

 そのことを瑛史に説明しながらも、原因がお互いの生活環境の違いか、男女の差のせいなのか、収入の差のせいなのか、或いは性格であるのかは彼女には判らなかった。

「じゃあ……三食とも外食だったりするんですか?」

「まぁ、そういうことになるね。朝はカフェで食べるし、昼は社食だし……夜も外で軽く飲んで済ますことが多い」

「先生の会社って、社食があるんですか……大きい会社なんですね」

 彼女の言葉に、瑛史はくくっと笑った。

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