この恋が罪になっても お義兄ちゃんと私

桜舘ゆう

第一章 望んでいた再会と、望んでいなかった現実 (1)




第一章 望んでいた再会と、望んでいなかった現実

 ──今から三年ほど前。


 母のすすめで大学生の男性に、半年間だけ家庭教師をしてもらっていたことがあった。

 丁度、異性の存在を強く意識するような時期だったけれど、それだけを理由に出来ないくらい、その男性は魅力的だった。

 すらりと背が高く容姿端麗の彼に、初めは憧れの感情を抱いて頰を染めた。

 聞き心地のよいバリトンボイスに心が震わされ、甘やかすように許容してくれる彼の性格には、なんの疑問も持たないまま好意を寄せた。

 幼い頃に父親を亡くし、なおかつ一人っ子であったから余計に、彼の兄のような優しさや、包み込んでくれそうな包容力に惹かれた。それが誰に対しても同じ態度で、見つめてくる視線に深い意味がなくても、心が甘くいて切なくなっていく感情を、抑えることが出来なかった。

 ──やがてそれが初恋という名の淡い恋心であると気付かされる。

 半年だけという約束で始められた彼の家庭教師のバイトは、最初から期限があることが判っていたのに、何も伝えられないまま『先生と生徒』という関係は終わってしまう。

 そして、大学生だった彼がシリコンバレーに本社があるIT企業に就職し、研修で日本を離れてしまった為、まったく連絡のとれない期間が出来てしまった。

『半年は帰って来ないと思う』

 当時、離ればなれになるショックよりも、彼が直接自分にも教えてくれた嬉しさのほうが大きかったことを思い出す。

『じゃあ、半年後には帰って来るんですよね?』

『多分ね』

 半年後に逢おうという約束はしなかったから再会出来るかどうかも判らなかったのに、じゃあ半年後にとそのときはぼんやり考えた。

 けれど、半年たっても彼は帰って来なくて、その理由を母から聞かされる。

 ──彼が優秀だったから、そのまま本社勤務になったみたいだ。と……。

 それでも、もう彼に逢えないと悲観的に考えず、いつかはきっと逢える筈だなんて一縷の望みをいだいていた。

 少し考えれば判ったのに、自分は幼すぎたのだろうか。

 何故、母がすすめた家庭教師が彼だったのか。

 何故、海外の研修に行っていた彼が本社勤務になったのかを、母が知っていたのか。

 逢いたいと願い続けていた彼との再会は、望まない形で現実になる。


 ──確かに彼は兄のように優しかったけれども、恋心を寄せる行為そのものが罪になる日が来るとは、思ってもいなかった。

 まさか、元家庭教師の葉月瑛史が義理の兄になるだなんて。


 沢村莉央は目の前にいる初恋の相手を、ただ呆然と見つめていた。

 三年近く逢いたいと思っていた瑛史が、母の再婚相手の息子としてそこにいる。

 上質そうなダークグレーのスーツを着た瑛史は、正面の席にいる莉央に向かってにこりと微笑みかけてくる。

「莉央ちゃん、久しぶり。元気だった?」

「葉月先生……」

 彼と義兄妹になるという現実に、目の前が真っ暗になった。

 母親の再婚相手がどんな男性でも、莉央は祝福しようと考えていた。

 実際に母の再婚相手は紳士に見えて、父親が亡くなってから長い間、女手一つで自分を育ててくれた彼女の選択に不服はなかったが、その紳士の息子である瑛史には動揺させられた。

 心の整理をしようと考えても出来る筈がなく、別人であればいいと半分願うようにして視線をあげても、向かい側にいるのは間違いなく彼女の元家庭教師であり、初恋の相手の瑛史だった。

「三年ぶりくらいだよね」

 彼は親しげに莉央に話しかけてくるが、彼女は黙って頷くことしか出来ない。

 莉央の隣にいる母は「瑛史さん、海外の生活はどうだった?」などと彼に話しかけていた。

(お・に・い・ちゃん……?)

 こんな再会が待っているのなら、何故もっと早く聞いておかなかったのだろう。

 母が結婚するのなら、その相手のことや子供のことを聞いておけばよかったと、後悔の念をさきほどよりも強く感じていた。

 莉央の心に芽生えた恋心は、最初は小さな種だった。「莉央ちゃん」と優しく彼が自分の名を呼ぶ、そんな些細なことでさえ養分となりどんどん育っていった恋の花は、いったいどの段階であれば摘み取れたのだろうか。

(先生が、お兄ちゃん?)

 同じフレーズを、莉央は何度も何度も心の中で繰り返した。

 彼女が呆然とした状態のまま、テーブルには次々と料理が運ばれてくる。

 レストランでの両家顔あわせの食事会。

 洒落た店内はやや暗めの照明で、テーブルの上には小さな花とキャンドルが置かれていた。

「来月には、お引っ越しだからね。ちゃんと荷物をまとめておくのよ、莉央」

「え? あ、引っ越し、う、ん」

 急に話を振られて動揺した彼女は、水の入ったグラスをうっかり倒してしまった。

 ぱしゃ、と音がしてテーブルに広がっていく水。

 瑛史やその父親の前で粗相をしてしまい、固まって動けなくなってしまっている彼女を見かねたのか、瑛史がゆっくりと立ち上がる。

「莉央ちゃん、この店は庭園にたくさんの花があって綺麗なんだよ。散歩でもしないか? いいですよね、お母さん」

 瑛史の長いが了承を求めるように、テーブルを拭いている莉央の母親のほうに向く。

 莉央自身はどうすると返事をしていないのに、彼女の母や瑛史の父が「是非そうしなさい」と言うものだから、テラス席がある店の庭園へと連れ出されることになってしまった。

 店内からテラス席に出られる硝子を、先導するように歩いていた瑛史が開ければ、風が莉央の長い髪の毛を揺らす。

 ふと彼女は空を見上げる。

 夕暮れどきの落ちかけた太陽が、空を群青と赤に分けていて、闇の訪れを感じさせた。

「天気がいいから、星が見えるな」

 群青色の暗くなった空には小さな星が瞬いている。

 彼の言葉を受けて、莉央は答えた。

「綺麗な空ですね」

「庭園のことも褒めてあげてよ」

 くくっと彼は笑い、薔薇の花が咲き乱れる庭園も見るようにと手を動かしたが、莉央の視線は薔薇よりも瑛史の指に向けられる。

 彼女は瑛史の長い指も好きだった。

 彼に対しては好意的に思える部分が多すぎて、その単なる好意に過ぎなかった感情が次第に恋へと変化していった。

 他人に対して抱いたことのなかった熱っぽい感情を持つようになったのは、いつからだった?

「綺麗」

 ぽつり、と莉央が口にした言葉は瑛史自身に向けられたものだった。

 薔薇も確かに見事だと感じたが、花よりも目の前にいる彼のほうが遥かに美しいと思えていた。

 彼女を夢中にさせる洗練された美しさを持つ瑛史。

 艶やかな黒髪、長めの前髪の向こうで輝く切れ長の瞳。美しい鼻梁の線や整った形の薄い唇は、彼の美貌を際立たせた。

 そして三年前よりも少しだけ痩せたのか、今はいっそう男らしく見え、そんな彼の精悍な横顔を視界に入れながら疑問に感じたことを聞く。

「……先生はあまり、驚いてないんですね」

「何に対して?」

「私が、先生の妹になることに対してです」

 彼女の言葉に男は「ああ、そのことか」と少しだけ首を傾けながら言った。

「僕が君の家庭教師をすると決まったときから、それは知っていた話だからね」

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