S系生徒会長の優しい指先

麻生ミカリ

S系生徒会長の優しい指先 (2)

 なぜ彼が私の名前を知っていたか、それすらも考えずに私は目を閉じた。いつもならベッドに入るとすぐに眠ってしまうのに、その夜は唇に残る温度が、なかなか私を眠らせてくれなかった。


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 翌朝。

 なんとなく気分が重いけれど、学校を休むわけにはいかない。起きて階段を下りると、ママが洗面所でメイクをしているところだった。

 パパは海外に長期出張中で、ママは雑誌の編集者。二つ年上の兄ユキは都内でも有名な私立大学の付属高校に通っている。

 ──私は我が家の落ちこぼれ。

 家から電車一本の近いだけが利点の私立高校も、補欠合格でなんとかすべりこめた。

 四十をすぎているとは思えない美人のママに顔も似てないし、有名大学の大学院まで出たパパの頭脳も持ち合わせてない。平凡を絵に描いたような私。

「奈緒ちゃん、あんたいつまで寝てるの。ママもう仕事行くわよ」

「ユキは?」

幸弘はとっくに出かけました。奈緒ちゃんが最後!」

 だって、昨日あんなことがあったんだもん。

 ……とは言えず、私は唇をらせた。

「ほら、早く朝食すませてくれないと、ママ仕事行っちゃうわよ」

 ママが洗面所を出て玄関に向かう。新聞を取りに行ったのかな。

 あー、もう、学校行きたくない……。

 もし、昨日の奴に会ったら? そう思うと、胸がドキドキする。もちろんそれは、いい意味じゃないの。すっごくイヤなの。だけど気になる。イヤだって思うほどに、昨日のキスが頭の中でリプレイしちゃう。

 私は洗面所の鏡に向かってイーッと歯をむき出してみた。昨日までと何も変わらない、私。

「な、奈緒ちゃんっ!」

 ママが玄関で叫ぶ声がした。

「な、なに?」

 洗面所から廊下に顔を出すと、すごい勢いでママが走ってくる。え、ちょ、ちょっと、どうしたの、ママ!?

「玄関に、すっごい美少年が立ってるの。もしかして、あんたのこと待ってるのかしら?」

「……へ?」

 私は、ママに引っ張られて玄関まで連れて行かれる。ドアを開けると、そこに立っていたのは──。

「おはよう、西森さん」

 ……やかな笑顔。

 だけど間違いようもない。昨日の被服室のアイツ。

「あ、お母さまですか。はじめまして。僕、西森さんと同じ高校で生徒会長をやっています、手塚といいます」

「あら、生徒会長ですって!? やだ、この子ったら、こんなステキなお友達がいるなんて全然言わないから。私ったら驚いちゃって」

 ママの声は、興奮で上ずってる。よそいきの声で話すママをこっそり睨んだけど、気づいてないみたい。

「なーお! あんた、人を待たせて何してるのっ。早く準備してらっしゃい」

「ま、ママ……」

「早くっ!」

 睨みをきかされて、私は何も言えず洗面所に戻る。歯磨きと洗顔をすませてから、部屋に戻り、ユキが去年まで着ていたおさがりのベージュのセーターを着た。鞄にケータイが入っているのを確認しながら、アイツが生徒会長の手塚景と名乗ったことを思い出す。

 そういえば、先月末に生徒会選挙があったはず。季節はずれの風邪で一週間も学校を休んでいた私は、もともと生徒会に興味なんてないし気にしたこともなかったけど、クラスの女の子たちはよく騒いでいた。

『ねえねえ、さっき廊下で手塚先輩とすれ違っちゃった!』

『ええっ! うらやましい~!』

 かっこよくて優しくて、そのうえ頭も良くて、誰もが憧れる生徒会長。──そう聞いていたはずなのに。

「信じらんない……」

 どうして、私の家がわかったんだろう。あ、そういえば昨日も私の名前知ってた。もしかして、知り合い?

 ううん、あんな目立つ人、私だっていくらなんでも忘れるわけないし……。

「奈緒ちゃんっ、いつまで手塚くん待たせるつもりなのっ」

 ママの声が階下から聞こえてくる。

 いつまでも何も、私あの人と約束なんてしてないのに。

 ママ、そいつはかわいい娘のファーストキスを奪ったんだよ。顔も頭も良いかもしれないけど、性格は絶対サイアクだよ! 顔がキレイだからってだまされたらダメなんだから!

 ……そんなこと、言ったところでどうしようもないんだろうな。余計なことを言ったら、仕返しされるかもしれないし、わざわざ調べてうちまで来るあたり、昨日のことを口止めしたいのかもしれない。

 そうだ、そうだよ! 口止めしなきゃいけないような悪いことをしたんだもん、あの人。だから来たに決まってる。

 うう、謝罪されたところで私のファーストキスは戻ってこないのに……。

 私は憂鬱な気持ちで玄関へと向かった。


「じゃあ、娘をよろしくお願いしますね。ぼんやりした子ですけど、かわいいところもあるんですよ」

 ママは私の頭を下げさせる。

 こんな人によろしくしてもらいたくない、とは言えないので、私はおとなしくなすがままにされていた。

「西森さんは、お母さん似なんですね。お二人ともとても美人だ」

「あら、ちょっと奈緒聞いた?」

 ……助けて。

 満面の笑みを浮かべるママの隣で私はこっそりと手塚先輩を睨んだ。

 私に話があるなら学校で話せばいいだけなのに、家まで来てママに挨拶するだなんて、いったい何を考えてるの?

「今度、ゆっくり遊びにきてね、手塚くん」

「ありがとうございます。ぜひお邪魔させてください」

 世にも美しい笑顔で彼が微笑む。ママはうっとり見とれていた。気持ちはわからなくない。私だって、昨日のことがなければ同じ反応をしたかもしれないよ。でも……。

「ち、遅刻しちゃうから! 行ってきます」

 それだけ言うのが精一杯。私は手塚先輩の隣に並んで、今にも雨の降りそうな重い重い心をかかえたまま歩き出した。

「……おまえ、母親に似てたら良かったのに、残念だったな」

 ぼそり、と小さな声で先輩がつぶやいた。

 ほら! やっぱり、絶対優しくなんてないし、あの笑顔は化け猫をかぶってたんだっ。

 優しくてみんなに人気の手塚先輩が私にしたことを思えば、口調の違いなんてたいしたことに思えない。キレイな花にはトゲがある。人当たりのいいイケメンには裏がある!

「いってらっしゃーい」

 背後から、近所中に聞こえるほど大きな声が私を見送った。

「な、なんで迎えになんて来たんですか……っ」

 ママに聞こえないくらい、家から離れたところで私は手塚先輩にねる。

「おかしいな。西森さんは僕の彼女だよね。昨日だって人前でキスまでした仲なのに」

「なっ……」

 それはあなたが無理やりしたんじゃないですか!

「まあ、それも含めてちょっと話をしようかと思って迎えにきた。おまえだって朝から俺に会えて光栄だろ?」

 ──神様! 何かが間違っているはずなのに、指摘できないのはどうしてですか? それとも間違ってるのは私のほうなんですか……!?


 どうしてこんなところにいるのか、まったく理解不能。時間も場所も間違っている気がするのは、気のせいじゃない。

 学校と反対方面の電車に乗る私の隣には、テレビの中の芸能人も裸足で逃げ出しそうな美少年が座っている。

 窓の外は海。十月の光を受けた海水、きらきら。電車はゆっくりとカーブを曲がっていく。隣の手塚先輩に、無駄だと知りながら私は話しかけてみる。

「先輩……」

「ん?」

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