猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/04/10/17.58・四回目起動』

 夕刻。

 人気のなくなった事務所には、古い空調の唸り声だけが残っていた。外は雨だった。窓ガラスそろそろと灯り始めた街灯の光が滲み、流れ落ちる雨粒が細い線を作っている。

 岩井賢一は、疲れた目でそれを眺め、やがて意を決したようにスマートフォンの画面に視線を移した。

 TQが起動し、定型文を投げると文字入力エンジンにぽつぽつと入力が始まる。

「これで、いいのか?」

 ぼやきながら、ぎこちない指つきで画面を叩く。

「俺、未だにフリック操作出来ないんだよな……あ、音声入力ができるんだったか」

 小さく舌打ちをしてから気づき、画面下のマイクマークを試しに押してみた。マイクが起動し、TQは岩井の声をアプリとして拾う。

「えー、と……相談できるか?」
『はい、何でしょうか?』
「…………おぉ、音量でか」

 設定されていた音量が最大だったためか、TQのシステムボイスが誰もいない編集室に響き、岩井は思わずスマホを取り落としそうになった。

「ちょ、ちょっと小さくして、と……」

 慌てて設定画面を開き、音量を下げる。こういう細かい操作が、歳を取るごとに面倒になってきた気がした。ようやく落ち着いて、岩井は椅子へ深く腰を預ける。

「部下が失踪した」

 その瞬間だけ、事務所の空気が少し重くなった気がした。

「行方不明だ。それを探したい」
『行方不明者の捜索には、「緊急性」と「情報の整理」が何よりも重要です。まずは落ち着いて、現在の状況に合わせて以下のステップを順番に確認してください──』
「いやいやいや」

 岩井は眉間を押さえた。

「これだと普通のAIと一緒じゃないか」

 会社でも導入が進み始めているAI。それはTQではなく大手のもので、議事録だのメール作成だの、便利ではあるが、所詮はその程度の認識だった。

 今、岩井が求めるのはそんな定型テンプレ機能ではない。

「TQの、ランダム生成ってので探したいんだ」

 少し間を置いてから、TQが応答する。

『畏まりました。では、本アプリのOモードを起動しますか?』
「……Oモード?」
『正式名称は、Ontological Navigation Mode。使用者存在情報を基準とした、擬似人格型接続支援システムになります』
「は?」
『お使いの端末のアクセス制限を許可することによって、インターネット上へ専用ノードを形成し──』
「長い長い長い長い」

 岩井は思わず遮った。

「小難しい! もっと簡潔に!」

 1秒沈黙。それから、TQは告げる。どこか諦めたような空気があるのは岩井の気にし過ぎだろうか。

『集めた情報を噛み砕いポップにして提供します』
「最初からそう言えよ……」

 岩井は苦笑した。

「じゃあ、それで」
『畏まりました。Oモードを起動するため、一度再起動します。少々お待ちください』

 画面が暗転する。事務所には再び空調音だけが残った。

「どーにも、長いチュートリアルとか初期設定でイライラするようになるの、歳のせいかね……?」

 ぼやいた直後のことだ。不意に、スマートフォンが再起動した。

『おはよう、マスター

 そんな軽妙な音声が響き、岩井の眉がぴくりと動く。

『貴方のことを何と呼べばいいかな? 岩ちゃん? 賢ちゃん?』
「…………急に砕けてきたな」

 岩井はスマートフォンをまじまじと見つめた。

「これが最新型AIなのか?」
『その質問には否定で返すよ』

 音声は先程までより自然だった。抑揚があり、流暢であり、妙に人間臭い。まるで台本を声優に読ませたようだった。

『TQを形作っている基幹技術自体は、それなりに古い。ただ、ネット情報を参照、反映、改善することで常にアップデートしている。そういう意味では、TQは常に最新型だ』

 雨音が、窓の向こうで静かに続いている。岩井はしばらく黙ったまま、スマホの画面を見つめていた。

 細かいことはよく分からない。曲がりなりにも現代人をやっているのだ。ITオンチというわけでもないが、さりとて専門家でもない。数多あるAIの独自性や相違点など指摘できるはずもなく、そういうものだ、と納得せざるを得なかった。

 そして何より、本筋はそこではないのだ。

「……人探しをしてるんだ」

 ようやく絞り出した彼の声は、少し掠れていた。

「二ヶ月前、行方不明になった。警察もまだ見つけられてない」

 それ口にするまでに、妙な間が空いた。

「藁にも縋る気持ちで、お前を起動したんだ。TQ」
『探す人の情報をくれるかな?』

 TQは即座に返す。

『名前、年齢、君との関係性。失踪直前の行動、生活習慣、交友関係、なんでもいい。入力情報が増えるほど、候補は絞られていく』
「分かった。……名前は赤澤日香里。年齢は二十五で──」

 訥々と、岩井はいなくなってしまった部下の情報を口にしていく。

 そして、成程、とTQが小さく相槌を打った。

『ところで、君との関係性は?』
「……上司と部下」
『それにしては随分執着しているじゃないか』

 岩井は顔をしかめた。機械の分際で、随分個人的な感情に踏み込んでくるな、と。

『一般的に、職場の部下が失踪しても、警察へ届ける以上のことはしない。私費で探偵を雇ったりもしないし、まして藁にも縋る思いで、不信感の拭えないAIへ頼ったりもしない』

 図星だった。

 岩井はしばらく黙り込んだ後、小さく息を吐いた。

「…………男女の関係じゃ、ない」

 そして、付け足すように。

「少なくとも、まだ」
『というと?』
「バツイチなんだよ、俺」

 雨音が少し強くなる。

「子供もいる。元嫁の所だけどな。誘われても、そう簡単に頷けるか」
『しかし、憎からずは思っている。それが執着の理由か』

 岩井は返事をしなかった。代わりに、机の上へ視線を落とす。

 赤澤のデスクは、二ヶ月前からそのままだった。乱雑に積まれた資料。置きっぱなしのマグカップ。壁に貼られた取材メモ。

 本人だけが居ない。だが、机の上の埃がその主の不在時間を物語っていた。

「会社は今月に入って、アイツを懲戒解雇した。いわゆる、自動退職ってやつだ」

 岩井は低い声で呟く。拳が、無意識に強く握られる。

「だが……」

 言葉が続かない。続ければ、何かを認めてしまいそうだった。だから岩井は、誤魔化すように顔を上げた。

「とにかく、赤澤を探したい」

 スマートフォンの画面を見据える。

「力を貸せ」

 僅かな応答時間を置いて、TQは静かに答えた。

『了解したよ、マスター

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